先が見えてきた卒論を打ち込む手を休め、僕は炬燵から立ち上がった。コーヒーでも淹れよう。台所の小窓の向こうは微妙にピンク色がかっている。払暁ってやつか。
コーヒーのマグカップと非常食のクラッカーひと包みを手に席へと戻った僕は、ディスプレイを埋めているワードの画面を仕舞ってバックグラウンドのツイッターを表にあげた。昨日見つけてブックマーク代わりにRTしていた記事を引っ張り出して、その概要をもう一度読み込む。
『匿名超掌編コンテスト』
「あちち」
なみなみのコーヒーに口の中をやけどして思わず声をあげてしまった。もちろんだが、部屋の中を見回しても反応する人などいない。あらためて画面に目を向ける。
文字数五百の超掌編小説の公募で、評価方法は読者審査。公開の場はツイッターで、その際には作者名は匿名となる。書籍化勢や公募勢、その他ベテランの創作者たちと同じ条件で、僕のようなド新人の作品が並べるというワケだ。
*
「お前のツイッター小説な、アレ、全部実話のモノローグだろ」
先週の日曜日の午後、録画アニメのCM抜きをしながらカジ先生が僕に言った。
「まぁわかるよ。要は自己紹介だろ。なにかを始めるにあたっての基礎工事というか、ある種の決意表明というか……」
頬が紅潮してくるのがわかった。そのつもりではあったし誰でもいいからわかってもらいたいとも思ってたけど、こんなに近い人からピンポイントで言い当てられると恥ずかしいとしか言いようがない。
「ただな、アレばっかりだと流石にちょっと気持ち悪いぞ。だらだらと自慰行為を見せられてるみたいで。や、JSや幼女のそれだったらなんぼでもウェルカムなんだけど、成人男性のオナニーでは萎えるしかないし」
「実在のJSや幼女はオナニーとかしません!」
「いや、高学年くらいになるとそういう子もいるようだぞ。前に五年生の授業を受け持ったとき……」
教育委員会に知られたら即刻で処分されそうな現場風景の逸話をスルーしながら、僕は次の一手を考えていた。そう。今やってるツイッター連作は、言ってみれば大学時代までの僕自身の履歴書だ。いや、もっと正確には
「まあとにかくだ。お前さんの場合話は簡単だよ。のっけからの高嶺狙いはそろそろ諦めて、早いとこテキトーなので手を打って童貞を返上しなさい。上見上げるのはそっからで」
*
ふすま越しの外の世界が白んできている。土曜日の朝だ。
クラッカーを齧り、冷めてきたコーヒーで流し込む。卒論の提出日まであと十日を切っている。四年間におよぶ密度の高い大学生活も、あと二ヶ月そこそこで終わるのだ。双子の兄として生まれ、自我を形成する多感な時期を横浜という雑駁な街で過ごし、そうしてできた萌芽の自我を杜陸という地方都市で磨いて固めてきた。そんな二十三年半に渡っての
僕はこのコンテストに最初の小さな一歩を記してみようと思う。テーマは転生と復活。たったの五百字だからたいしたことを盛り込めもしないだろう。単なる一発ものかもしれないし、もしかしたら大きな物語の序章になるかもしれない。でもそんなことはどうでもよくて、とにかくは自分とは別の誰かの人生をゼロから創造することを始めてみるのだ。