三が日の八割は、実家の居間にいた。
目が醒めたら、TVで新庄監督が食用ガエルを食べて盛大に外していた。司会の席に伊東四朗さんの姿が見えないのは寂しいね。たしかコロナ対応だったっけ。
向いの
「起きたんなら、あんたもお雑煮食べなさい」
目の前に置かれた大ぶりの椀を見つめながら僕は、
のっそり起き上がって箸を持ち、切り餅の雑煮と格闘していると、先に食べ終えて椀を下げてきた
さんきゅ。餅を頬張った口でそう応えると、ヨァウェルカムと綺麗な発音で返してきやがる。これだからこいつは。
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二日目は、八時前に起きてTV正面の席を確保した。昨日のよりも具の少ない、というかほとんど餅だけの雑煮をいただきながらも、目は画面しか追っていない。箱根駅伝。正月のコンテンツでは不動のナンバー1だ。
炬燵に腕まで潜ってTVを観ていると、外出着に着替えた
「リュウちゃん、ホント
うるせえ。ほっとけ。
「そんなに好きなら箱根に出る大学とか行けばよかったのに」
いいんだよ、僕は駅弁大学で。別に選手になれるほど速かったワケでもないんだし。
ざっくり剥いた半分の蜜柑をひと口で食べる
「リョウちゃん、もう行くの? さわさんにお土産持ってかなくていい? 栗きんとんとか」
要らないよ、邪魔になるだけと冷たく断る
「じゃ、ごゆっくり」
僕の目は
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三日目も朝八時からTVの前。
夜、部屋で炬燵でバスタブで、独りのとき僕は思い出す。物心ついたころからこっちの、些細で大切な記憶たち。その時々の僕を背後から俯瞰する今の僕というフィクションで、記憶をひとつずつ
笠地蔵六。
それが今の僕というフィクションであり、陳列棚の屋号でもある。
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四日目は流石に外に出た。といっても、歩いて行ける近所の小さな神社まで。親父とお袋との三人で散歩がてらの初詣だ。身の丈に合ってると思う。大層なことを願うつもりはない。ただひとつ、どこでもいいから就職できますように。そのうえで余力があったら、良縁なんかもよろしくお願いしますよ。ねえ神様。
「今夜のバスで
神社からの帰り道でそう告げる僕に、親父が珍しく応じてきた。
「俺の学生時代、世の中は売り手市場だった。商売も求人も。つくればどんどん売れるし、モノの値段もバンバン上がる。それでも売れる。物が売れれば給料も上がるし、何よりも明るい未来の世界は借金天国だからな。もちろん就職だって売り手がエライ。ひとりで内定二つ三つなんてざらで、大卒の就職率も相当良かったはずだ。ご多聞に漏れず俺も安易に内定が取れて、そのまま深く考えずに就職した。結論から言えば、最初入った会社は中程度にブラックで、俺が二年で辞めた後しばらくしたら消滅してたよ」
親父はそこで、いったん話を切った。疲れたのだろう。正直僕も吃驚した。こんなに連続して話す親父は記憶にないから。背筋を伸ばして空を見上げた親父は、姿勢を戻してから話を再開した。
「この話で教訓はふたつある。ひとつは、世の中は興亡に満ちているということ。良いことも悪いことも紙一重だし、一寸先が光だか闇だか、はたまたグレーだかなんだかなんてまったくわからない。もうひとつは、そんな状況でも何かやってりゃ普通に暮らすことができる可能性があるってことだ。その証明は俺であり母さんであり、お前であり
お袋は黙って親父に寄り添っている。こんなにも控えめなお袋も、たぶん僕は知らない。
「
俺の年始の訓示はこれで終わりだと話を締めた親父は、それから何事も無かったかのように先に立って歩き始めた。小走りでその横につくお袋。僕は親父の訓示とやらを反芻していた。当たり前のことのようだが、なにか深い意味があるのかもしれない。いや、意味なんて全く無い可能性も少なくない。ただそうであってもだ。間違いなく言えることは、幸運であろうが偶然であろうが、親父の短くない時間がそこには横たわっている。それだけは解った。
*
令和五年一月五日の早朝、僕は僕の街、