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笠司、令和四年末 ―東京―

 閉会の発声を震源に、拍手が津波のように広がった。

 天井が異常に高い大空間の遥か先まで整然と並ぶ長テーブル。それらの傍らに立って満足げに手を叩いている無数の若者たちを見回しながら、皆川みながわ笠司りゅうじは強い高揚感を感じていた。一様に彼らの面々に浮かぶやり切った感。一からモノを作り製品として創りあげ、その販売まで完了させた完走者たちの貌の集合は、売り子としてスポット参加しただけの笠司リュウジには眩しかった。

 いつか己れの作品でもう一度この祭に来たい。でも絵の描けない自分が胸を張ってここに立つなんて叶いそうもないだろう。

 知らぬ間に笠司リュウジは拳を握り込んでいた。


          *


「お疲れさま」


 大井町駅前通りの居酒屋店内で、笠司リュウジの掲げるビールジョッキにひと回り大きなジョッキがぶつけられる。店推奨のメガハイボールをぐいとあおって、紅潮冷めやらぬ顔を向けてくる対面の男の上機嫌さ。


「完売おめでとうございます。さすがカジ先生ですね」


 笠司リュウジの祝辞にまんざらでもない鍛冶ヶ谷かじがやじゅんは、満悦顔で焼き鳥を咥えた。


 実際、鍛冶ヶ谷の薄い本は多くの愛好者に熱狂をもって受け入れられていた。ディープな同好の士がブース前に何人も集まり、互いの推し場面を語り合う状況は感動すら覚える。

 その手のコンテンツに慣れている笠司リュウジでさえ及び腰になるエッジの効いた鍛冶ヶ谷の性癖は温厚で堅実な北東北の人々に受け入れられることは難しく、どうしたって日陰に籠るしかない。まして彼の場合、その嗜好を知られるだけでも職を失いかねない。それがどうだ。この十万を超える性癖の坩堝るつぼでは、そんなピーキーな偏好も全肯定される。それどころか集うことさえできるのだ。


「コミケって凄いッスね。多様性ダイバーシティそのものっていうか。こっちに真希波マリが歩いてると思ったら、あっちのブースでは千束とたきなが向かい合ってタイを直し合ってたり。向こうの島には駅員さんがたくさんいて、そっちで見本をめくってるのは看護師さんと銃を担いだ軍人さん。もちろん見た目普通の人の方が圧倒的に多いんだけど、巫女とかケモミミとかバニーとかウマ娘とか駆逐艦とかが紛れ込んでても誰も気にしない。そう。近いものを挙げれば、スターウォーズの酒場シーンですよね。アレの、もっとずっと自然なやつ」


 熱く語る笠司リュウジに当てられたのか、普段はクールで通っている鍛冶ヶ谷の目元も少し赤い。竹串を串立てに差して鍛冶ヶ谷は応えた。


「お前さんも何か創って売ってみればいい。絵が描けなくったって、詩でも小説でもいいんだぜ。なんだって受け入れてもらえるから」


          *


 上野駅経由で谷中のワンルームマンションに辿り着いたときには九時を回っていた。


「リュウちゃん遅いよ」


 内側から扉を開けた弟は、文句を言いながら二人を部屋に迎え入れた。ワンルームだがよく片付いた綺麗な部屋。デスクトップのモニターでは、KingGnuがサッカーワールドカップのテーマ曲を生演奏している。


「紹介するよ。こちらが鍛冶ヶ谷淳さん。大学のサークルの先輩で、今は小学校の先生をしてる。先生、こいつが僕の弟の龍児リョウジ。双子だけど僕とは違い出来が良くって、今は天下の東大の大学院生」


「おお! この方が常日頃リュウちゃんが話題にしていた趣味と実益を体現するロリ×SMの小学校教師、カジ先生なんですね」


 軽く会釈する鍛冶ヶ谷に、龍児リョウジが食いついた。笠司リュウジを睨みつける鍛冶ヶ谷は、指出しの皮手袋に拳を当てて口の端を上げる。


「リュウジ、あとで身体に聞かせてもらわないとな」


「イメージ通り!」


 鍛冶ヶ谷の悪ノリに大喜びの龍児リョウジを放っておいて、笠司リュウジは部屋の隅に居場所を確保した。


「先生もほら、座って」


 ちょっと待っててとキッチンに向かう龍児リョウジの後姿を見送ってから、鍛冶ヶ谷がぼそりと言った。


「案外似てないんだな」


「まあ二卵性ですし。でも、小さい頃はまるっきりそっくりさんだったんですよ。親でも間違えるくらい。だもんだから、呼び名誤魔化せるように名前考えた、とか言ってましたよ」


「それは酷い」


 鍛冶ヶ谷は笑った。


「おかげで小中学校でも混乱を極めてたもんね」


 グラスとビールを並べたお盆を手に戻ってきた龍児リョウジが話を引きとった。


「先生が呼び間違えるなんて日常茶飯事だったし、ラブレターが間違って届くなんてのもあったっけ」


「リョウジのリョウは坂本龍馬と同じ漢字解釈だから、初見の人はリュウジって読んじゃうじゃないスか。ちゃんと漢字で書いてくれりゃ間違えないんだけど、小学生とか平仮名で宛名書いたりするから……」


「リュウちゃん、僕宛に届いた恋文ラブレター持って待ち合わせ場所行ったことあったよね」


「あれは事故だろ。ちゃんとリュウジ様って書いてあったんだから」


 鍛冶ヶ谷はにやにや笑いながら聞き役に徹している。


「こう見えて中学までは優秀だったんスよ、僕も。でも受験のときに体調崩しちゃって行きたかった高校に入れなくて。そっからですね、僕の転落人生は」


「こら、たわけ。我らが学窓、駅弁大学を転落側に並べるでない。あれはあれで、ちゃんとした大学じゃないか。なんせ、俺に小学校教師という天職を授けてくれたとこだからな」


「でも、あの失敗は痛かったよね。その所為で、大好きだった皐月先輩の後を追えなかったんだもんねえ、リュウちゃんは」


 龍児リョウジの軽口には苦笑いしか返せない笠司リュウジだった。中二から数える鷹宮たかみや皐月さつきへの想いは、今に至るまで 笠司リュウジの中でおこり火のように残っている。

 初めて遭ったときの衝撃。消印の無い年賀状。卒業時に告げた精一杯の想い。初めてのデート。そして、夜の停車駅。


 皐月さんのことなら、今でも山ほど思い出すことができる。けれども時間が経てば、それらもきっと薄れていく。僕自身でも気づかないまま、ぽろぽろと。いや、仮定では無い。たぶんこれまでだって喪われた大切な記憶はあるのだろう。時間の流れに棹さすことはできない。


 笠司リュウジはその無常を哀しいと思う。そしてその瞬間、まるで歯車がガチャリと噛み合ったかのように天啓が閃いた。


 保存アーカイブすることはできるんじゃないのか。

 記憶を辿り思い出し、整えて記録する。それこそが自分の表現、創作の原点になるに違いない。


 笠司リュウジはそう確信した。


 鍛冶ヶ谷と龍児リョウジが自分をネタに盛り上がっているのを眺めながら、笠司リュウジは最初の一手を考えていた。表現先はツイッター。テーマは初恋の墓標。始めるのは、新年から。

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