閉会の発声を震源に、拍手が津波のように広がった。
天井が異常に高い大空間の遥か先まで整然と並ぶ長テーブル。それらの傍らに立って満足げに手を叩いている無数の若者たちを見回しながら、
いつか己れの作品でもう一度この祭に来たい。でも絵の描けない自分が胸を張ってここに立つなんて叶いそうもないだろう。
知らぬ間に
*
「お疲れさま」
大井町駅前通りの居酒屋店内で、
「完売おめでとうございます。さすがカジ先生ですね」
実際、鍛冶ヶ谷の薄い本は多くの愛好者に熱狂をもって受け入れられていた。ディープな同好の士がブース前に何人も集まり、互いの推し場面を語り合う状況は感動すら覚える。
その手のコンテンツに慣れている
「コミケって凄いッスね。
熱く語る
「お前さんも何か創って売ってみればいい。絵が描けなくったって、詩でも小説でもいいんだぜ。なんだって受け入れてもらえるから」
*
上野駅経由で谷中のワンルームマンションに辿り着いたときには九時を回っていた。
「リュウちゃん遅いよ」
内側から扉を開けた弟は、文句を言いながら二人を部屋に迎え入れた。ワンルームだがよく片付いた綺麗な部屋。デスクトップのモニターでは、KingGnuがサッカーワールドカップのテーマ曲を生演奏している。
「紹介するよ。こちらが鍛冶ヶ谷淳さん。大学のサークルの先輩で、今は小学校の先生をしてる。先生、こいつが僕の弟の
「おお! この方が常日頃リュウちゃんが話題にしていた趣味と実益を体現するロリ×SMの小学校教師、カジ先生なんですね」
軽く会釈する鍛冶ヶ谷に、
「リュウジ、あとで身体に聞かせてもらわないとな」
「イメージ通り!」
鍛冶ヶ谷の悪ノリに大喜びの
「先生もほら、座って」
ちょっと待っててとキッチンに向かう
「案外似てないんだな」
「まあ二卵性ですし。でも、小さい頃はまるっきりそっくりさんだったんですよ。親でも間違えるくらい。だもんだから、呼び名誤魔化せるように名前考えた、とか言ってましたよ」
「それは酷い」
鍛冶ヶ谷は笑った。
「おかげで小中学校でも混乱を極めてたもんね」
グラスとビールを並べたお盆を手に戻ってきた
「先生が呼び間違えるなんて日常茶飯事だったし、ラブレターが間違って届くなんてのもあったっけ」
「リョウジのリョウは坂本龍馬と同じ漢字解釈だから、初見の人はリュウジって読んじゃうじゃないスか。ちゃんと漢字で書いてくれりゃ間違えないんだけど、小学生とか平仮名で宛名書いたりするから……」
「リュウちゃん、僕宛に届いた
「あれは事故だろ。ちゃんとリュウジ様って書いてあったんだから」
鍛冶ヶ谷はにやにや笑いながら聞き役に徹している。
「こう見えて中学までは優秀だったんスよ、僕も。でも受験のときに体調崩しちゃって行きたかった高校に入れなくて。そっからですね、僕の転落人生は」
「こら、たわけ。我らが学窓、駅弁大学を転落側に並べるでない。あれはあれで、ちゃんとした大学じゃないか。なんせ、俺に小学校教師という天職を授けてくれたとこだからな」
「でも、あの失敗は痛かったよね。その所為で、大好きだった皐月先輩の後を追えなかったんだもんねえ、リュウちゃんは」
初めて遭ったときの衝撃。消印の無い年賀状。卒業時に告げた精一杯の想い。初めてのデート。そして、夜の停車駅。
皐月さんのことなら、今でも山ほど思い出すことができる。けれども時間が経てば、それらもきっと薄れていく。僕自身でも気づかないまま、ぽろぽろと。いや、仮定では無い。たぶんこれまでだって喪われた大切な記憶はあるのだろう。時間の流れに棹さすことはできない。
記憶を辿り思い出し、整えて記録する。それこそが自分の表現、創作の原点になるに違いない。
鍛冶ヶ谷と