思えば、この男、農夫をしているが、諸葛亮の弟。実は、こちらも侮れない相手なのだと、劉備は気がつく。
「……先生は、お留守とのこと、よく、わかりました。今日のところは……」
兄じゃ!と、義兄弟は、不満をつのらしている。
しかし、目の前で繰り広げられている作業は、単に、火を放てば良いというものではなく、皆で風向きの変化など、瞬時に、相談、判断をし、適切な方向へ火を導くように草を刈ったりと、気抜けない作業だ。
……これが、民の暮らしなのか。
劉備は、愕然とした。
そして、その場を離れたのだった。
「あれ、なんだか、急用ができたようで、帰ってしまいましたよ」
「あー、別にかまわんよ、均さん。どうせ、あんな格好。役に立つとは思ってなかったし」
背後から聞こえてくる、自分達の評価に、劉備は更に愕然とする。
自分は、何をしているのだろう。
先生に会えば、それで事が収まると、なぜ、そのような、安直な考えでいたのだろう。
これでは、何時までたっても、諸葛亮という人物には、会えないだろう。まずは、自身の心を入れかえなければ。
均含め、皆、楽し気に作業にいそしんでいるが、決して、気はぬいていない。
それに比べて──。
兄じゃ!と、文句しか言えない従者達が、劉備には、疎ましく思えた。
「あー、やっぱり、我が家が、一番!」
言って、月英は、ゴロリと、孔明の横に転がった。
「あら?旦那様どうされました?」
湯に浸かり、いわゆる、女に磨きをかけた、月英は、いつも以上に、妖艶だった。
もちろん、病人であろうとも、孔明は、その姿に当てられ、頬を染めている。
「あら、まだ、お熱が下がらないみたいですわねー」
「え、え、そのようで……多分……」
と、口ごもる夫に、月英は、あぁと、言って、申し訳なさそうな顔をした。
「うっかり、我が家、なんて、言ってしまいましたわ。私ったら……」
しょげかえって、しまった、妻に、孔明は、慌てた。
「いやいや!!黄夫人!確かに、ここは、あなたの家ですからっ!!何も、謝ることなどないのですっ!!」
「じゃあ!もう少し、居てもよろしいかしら?」
嬉しげな、月英に、孔明は、思う。
そういえば、里に帰ることもなく、あんな辺鄙な場所に、閉じ込めていた。自分は、師の元へ通う事ができ、好きなだけ論じているのに……。
「ええ、もちろんですよ。私も、先生の所へ、通い安くなりますからね。それに、均も、たまには、一人になりたいでしょうし」
「そうですね、均様ったら、いつも、気を使われて……」
奥様ー!と、童子の声がする。
「お食事ですよー」
「あらまあ、そんな時間なの」
「あー!旦那様は、まだ、葛湯です!」
ですって、と、月英は、孔明へ微笑んだ。
やはり、たまには、里帰りも必要だな。と、孔明は、穏やかな妻の笑顔に、またまた、当てられるのだった。