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戦の前には恋がある2

差し入れとやらの大皿を挟んで、孔明と女は、向かい合って座っている。先程から、童子が、二人の為に取り皿へ、盛られている鶏肉と、添え物の野菜を盛っていた。


互いに皿が並ぶと、女は、頂きましょうと言って、箸をつけた。


とたんに、まろやかな顔つきになる。どうやら、女の好みの物を持って来たようだ。


その間も、童子は、孔明の家の裏方で、茶を用意したりと、忙しく動いていた。


「一人位は、使用人がおらねば、相手に舐められます」


「はあ。そうゆうものですか」


はい、と、答えながら、女は、箸を口元へ運んでいる。


「例えば、仕官の話が来ても……」


「……仕官ですか。私に」


「そうですよ?あなた様に、声がかからずして、どなたに?」


「ほお」


孔明の、試すような、又は、他人事の様な物言いが、女の気を逆なでたのか、


「では、あなたは、妻の家に、養ってもらうつもりなのですか?仕官もせずに、このままなのですか?」


と、なにやら、強引に、妻、の話を持ち出して来た。しかし、実の所、そこ、が、心配なのだろうと、孔明は、思う。


孔明は、思い出したのだ。


女の父、名士である黄承彦に、嫁をめとらぬか、自分の娘は、どうだと、話を持ちかけられていた事を──。


「……ですが、黄承彦様。私は、ただの書生で、嫁など、まだまだ……」


「おやおや、また、そのような事を。孔明殿、そなたの噂は耳にしている。才能溢れる男──、伏竜鳳雛ふくりゅうほうすうであると。才能がありながら機会に恵まれず、力を発揮できていない、まだ世に隠れている、逸材だと。でだねぇ、それは、そなたが、独り身だから、ではないかと、私は思うのだよ。実にもったいない話ではないか?で、うまい具合に、私には、娘がいる」


一ヶひとつき前、名士は、孔明の元へ現れ、そんな事を言った。


さらに、


「……ただ。親の私が見てもねぇ、器量の方が。何しろ、娘と来たら、赤毛で色黒。いわゆる、不美人なんだが、才知の方は、かなりのもので、私は、孔明殿、そなたの才と、お似合いだと思うのだよ」


名士は、美人は三日で飽きるとか、才がなければ、内助の功も発揮できないとか、知れた能書きを、くどくど言い回した末、やおら、孔明へ顔を近づけてきた。


「幸いな事に、娘は、体が丈夫だ。きっと、子宝にも恵まれる。何しろ、跡を継ぐ者がなければ、家は、潰れてしまう。もしも、その様な事があり、貴殿の有能な血が引き継がれなくなるとなれば、残念至極。つまりだね、嫁選びとは、非常に重要な事なのだよ」


残念至極と、誉められましてもと、孔明が恐縮している側から、黄承彦は、何故か、声を潜めた。


「でだ、これは、ここだけの話だよ。夜になれば、顔など伺えまい。いや、まあ、あの時の顔が、良いという者もいるがね、盛り上がってしまえば、そんなもの。結局の、所は、アソコの相性だろう?しかも、うちの娘は、赤毛だよ。分かるかい?孔明殿。髪が赤毛ということは……、アソコ、の毛も、赤いということ……」


「はっ?!」


くくくく、っと、実に下衆な笑い声を挙げると、黄承彦は、どうだろう?と、孔明へ返事を迫ったのだった。


──アソコ、とは。全く。


そんな事に釣られて、ホイホイ、話を受けられるかと、孔明は、怒り半分、飽きれ半分で、話を留保していた。


そして、気が付けば、一ヶひとつきが、経過していたのだ。


「どうせ、父が、娘は、醜女だが、と申したのでしょう」


「いや、醜女、とまでは……」


うっかり口を滑らせた孔明に、女は、はあぁと、ため息をついた。


いつも、こうなんです──。


顔を歪めて、そう愚痴をこぼす女の姿は、実に妖艶だった。


容姿と、実家の財力に釣られる男は、ろくなもんじゃないと、黄承彦は考え、娘の容姿をあえて、醜女と言っているのだとか。


「父の言いたいことも、分かります。ですが、それを、あちこちで、吹聴して……」


これでは、表も歩けないと、女は、更に、息をつく。


はあぁと、流れる吐息に、孔明の胸は、妙に高鳴った。


いったい、己の身に何が起こっているのか。これは、何なのだろうと、思いつつ、またもや、つい、口が動いていた。


「あー、その、アソコが。アソコが……」



「はあ?アソコ、とは、どこですか?」


「いや、醜女ではなく、アソコの毛も赤いと……」


あっ、と、孔明は叫び、慌てて、詫びを入れようとしたが、女は、泡を食って、箸を落としていた。


「……それで」


「ああー、私は、アソコが気になるとか、そんなことではなくて!いや、あの、そうではなくて、ですね!!」


「……よろしいですよ。殿方と、いうものは、そもそも、そういう生き物です……しかしですね」


「申し訳ございません。実に、不快な、言葉を発してしまい……まして」


「で、孔明様、私の、髪は、黒うございます。ならば、アソコの毛は、どうなのでしょう?」


ひっ、と声を挙げ、今度は孔明が、箸を落としていた。


「成る程、あなた様の事が、良く分かりました。これは、暫く、仕官に向けて、整えなければ、なりませんわね」


「あ、あ、あの、整えると、申しますのは?」


「噂に名高い、諸葛亮孔明と、私も、多少、気になりこうして、お伺いしましたが、結局、単なる男でありましたか」


女は、袖を、口元に当て、ふふふと、笑った。


孔明は、何が起こっているのか、まだ、分からなかった。


胸の内から涌き出てくるモノが、なんなのか。同時に、何故、自分が、微笑んでいる女に、見惚れているのかと、戸惑うばかりだった。


「まあ、よろしいでしょう。そこを、うぶ、と、捉えるのか、表裏のない誠実さ、と、捉えるかは、仕官なさる先、お仕えいたす、主君が決めること……ああ、まずは、どなたにお仕え致すか。そこからですわね」


「い、いや、私は……」


「よろしいこと?このまま、夫婦めおとになれば、赤子やや、の兆しが、現れます。新しい命が芽吹くのですよ?それを、どなたが、守り、養うのですか?」

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