優乃ちゃんはその翌日から学校に来なくなった。先生は病気だと言っていたが、何かあったのかもしれない。私は心配で優乃ちゃんの家に行こうと思った。しかし……。
「なに、優乃くんの家に行くのか?」
「えぇ……心配で……」
「やめておきなさい」
「どうしてですの?」
「床に臥せているのを友人には見られたくないでしょう」
「いえ……きっと弱っているからこそ励ましが必要ですわ」
「そう思うのならやめておきなさい。死の病じゃあるまいし、顔を合わせたからといってどう変わることもありません。元気になった姿を見せたくて早く治すに違いありませんよ」
「そう……ですか」
「えぇ……そうです……」
先生は私が優乃ちゃんのお見舞いに行くことをやんわりと引き止めたようだった。それが気にかかった私は逆に優乃ちゃんのうちに行くことにした。
日が傾き始めている。夕焼け空に棚引いた雲が浮かんでいた。この美しい景色もあと一刻もすれば全てが闇に包まれてしまう。なんだか儚いなと思うと、少しだけ胸中にも不安が広がるのだった。
優乃ちゃんの家の門の前まで来るも、その門は閉ざされていた。
「だめかしら……」
せっかくここまできたけれど私は諦めて帰ろうとした。その時、門の奥から声が聞こえてきた。
「なんで!………は………しょ!?」
「優乃ちゃん……?」
それは優乃ちゃんの声で、まるで誰かと言い争っているかのような剣幕を感じさせる声音だった。
「……はな、………なんだ。だから……」
「……のばか!……は全部……てこと!?」
途切れ途切れに声が聞こえる。少女の声と男性の声。優乃ちゃんと紫雷様……?
「なんか……喧嘩してるのかしら?」
「お前も………んだ!」
「いやっ!………いやぁ……っ!」
「優乃ちゃんに何かあったんだ!」
私は裏から屋敷に入ろうと思い塀を回り込んだ。抜け道から塀を潜ると私は庭に侵入した。緊急事態だから仕方ない。
「優乃ちゃん……待ってて……!」
私は急いで優乃ちゃんの部屋の方に行った。
「優乃ちゃん……!」
優乃ちゃんが部屋の中にひとりでいるのが見えた。周りに聞こえないように窓から声をかける。
「ローザ……!あなたなんでここに?」
私に気づいた優乃ちゃんは窓を開けてくれた。
「声が聞こえたの!何かあったんじゃないかと思いまして……」
「……そう……アレを聞いたのね……」
私の言葉を聞いたローザは途端に目を伏せる。
「え……」
「ローザ……帰って……」
「……っ!?どうして!私、あんまり聞こえなかったの……。何があったの?」
「……聞いてなかったのね……でももう遅い……」
「だから……なにがですのっ!」
「ローザ……あなたは良い子だわ」
「……なによ……急に……!」
「だからね、もし私が悪いことをしたら……あなたは私を許してはいけないわ」
「それじゃあ優乃ちゃん、悪いことをしようとしてるの!?」
私はもう何が何だかわからなかった。ただ涙が出てきてしまった。
「私はね、多分私じゃなくなるの……。でも完全に私じゃなくなるわけじゃない……」
「何を言ってるんです!」
「ほんとよ。もう始まってしまったの……あなたもきっと……私を許せない。でもあなたは優しいから……もしかしたら私を許してしまうかもしれない……。その時は、私を信じないで。あなたはずっと、私を許しちゃいけないの」
「……わかりました。何のことかさっぱりわからないですけれど……きっと、これからわかるんですわね……」
「……ごめん。本当に……ごめん」
声を殺して泣く優乃ちゃんを見れば、優乃ちゃんにはどうしようもなくて、しかしひどく恐ろしいことが起きてしまうことがわかった……。
「約束しますわ……あなたは私の、最高の友達ですもの」
「……ありがとう。きっともう……そう言ってくれることもなくなると思うけれど……私もあなたといられた時は、1番楽しかったわ」
「………うぅ……なんで……そんな……いなくなっちゃうみたいな……こと……言うんですの……」
「ごめんなさい……ローザ……ローザ……」
優乃ちゃんは泣きながら身を乗り出して私を抱きしめた。
「さぁ……もう行って……見つかってはいけないわ……」
「わかりました……また会いましょ!優乃ちゃん!」
「……うん!ローザ!」
優乃ちゃんは涙を拭いて笑顔で私を送り出してくれた。人に気付かれないようにもとの道を辿り塀を潜った。もう日は落ちかけ黄昏に沈む街並みが妖しげに私を見つめていた。
「……帰りましょう」
私は家の前まで来ても、そこが自分の家だと思えなかった。むしろ、信じたくなかった。父の書斎から煙が上がっている。給仕や警護人が慌てふためきながら玄関のあたりで騒いでいる。
「な……っ!なにがあったんです!!」
「お嬢様っ!ご無事でしたか!」
「ご無事って……何があったの!?」
「……心してお聞きください……お父様が……お亡くなりになられました……」
「え……」
私はそれを聞いた瞬間息が出来なくなり、周りの景色がぐにゃりと歪んだ。
「え……え……?」
「お嬢様!お気を確かに!」
「そんな……嘘ですわ……」
「大樹信仰対抗勢力による大樹崩落作戦……その対象になったらしいな……」
髭面の男が家から出てきて呟いた。
「どういうことです!」
私はその男に詰め寄った。
「おっと……これはローザお嬢様……あのですね……グラジオ様が……」
「それはききました!先程あなたが言った大樹崩落作戦!それはなんですか!」
「……本当は秘密なんですがね……あなたには知る権利がおありでしょうから教えます。大樹崩落作戦とは文字通りあの大樹様を崩落させようとする恐ろしい作戦のことです。しかしそれを成功させるには警備や兵力を削がねばならないでしょう。だから……あなたのお父様はやつらにとって抑えておかなければならない強敵だったわけです……」
「ぐ……そんな……どうして……」
「信仰の対象が違う者の考えを理解出来るはずもありません。ただ彼らには穏便にしていられるだけの余裕がなかったのでしょう……それでこのような恐ろしいことを……」
「そうならないようにお父様は日頃から平等を説いていたのに……どんな者にも手を差し伸べていたのに……!それがなんですか!これは!私はっ!……何を信じたらいいんですの……」
冷静でいられるはずもなく私は叫び出していた。
「……あなたには酷でしょうが……そのような慈愛にも逆恨みをする輩もいるのです。全てを奪おうとする者もいるのです……」
「……広い心と器で……全てを許さなければいけないの?」
「……いえ。それはわかりません。私ならば許せないでしょう。しかし報復が生むのもまた報復…賢なる者なればその行先をどう納めるのか……」
「……私、許しませんわ」
「やはりそうですか……」
「……父に会ってきますわ」
「……では私も失礼します」
私は家に入った。硝煙の香りが書斎に近づくにつれて濃くなってくる。
「お嬢様!こちらには来ないでください!」
「いいえ!通してください!」
「……はい」
使用人の牽制を押し退け私は煙の立ちこめる廊下を進む。
「……お父様」
私は書斎のドアを叩いた。無論返事はないが5秒後にそのドアを開いた。
「お父様……」
そこには私の最も尊敬する人がいた。貴族たるものの在り方を身におしえこんでくれた厳しさと、どこまでも深い優しさで私を包み込んでくれた最愛の人……。覚悟を決めるためにここに来た。しかしそれでも悲しすぎる亡骸を見て、泣いてしまった。
「一体誰がこんなことを……!」
先程の優乃ちゃんとのやりとりが頭に浮かぶ。犯人は……優乃ちゃん……?いや、しかし優乃ちゃんとは別れたばかりだ。私より早くこの家に来られるはずがない。増してやお父様を手にかけるなんて時間は……。だが優乃ちゃんが関わっていることは確かだろう……。
「どうして……あなたは大樹信仰ではなかったの……?」
1番の友達を信じられなくなった。しかし彼女はこうも言った。
「私を信じないで」
信じられないに決まってる。最初から私を裏切るつもりだった?しかしあれが芝居とは思えない。目的は何?優乃ちゃんはどうして泣いた?考えれば考えるほど私はわからなくなった。
「もう……わかりませんわ……」
そう言うと私はぱたりとその場に倒れた。失ったものはあまりに大きく、その現実に心が耐えられなかった。冷たい床の感触も次第にぼんやりと薄れ暗く深い眠りへと誘われていくのだった。