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キューピットさん・その4

十円玉が動いた。


「キューピットさん、僕のこと、もう嫌いになりましたか?」


隼颯が質問をした。

十円玉がゆっくりと動き始めた。


「む」

「し」

「ろ」

「す」

「き」


都子が十円玉が示した文字を読み上げる。


「ちっ」


アケミが舌打ちをした。


「ですが、一宮くんにはアケミちゃんという想い人がいます」


迅のタブレットが言う。


「に」

「く」

「し」

「み」

「は」

「あ」

「い」

「の」

「う」

「ら」

「か」

「え」

「し」

「『憎しみは愛の裏返し』って、妙に愛について詳しいキューピットさんですわねぇ」

「まぁ、元が愛ゆえに浮かばれぬ魂となった霊だからなぁ」


隼颯はどうしたものかと途方に暮れながら言った。


「許……しません」


アケミはゆっくりと言った。


「あっ、だから途中で十円玉から手を離してはいけませんわ!」

「構いません!」


アケミは立ち上がった。そして何もない虚空に向かって中華包丁を向けた。


「さぁ、出てきてください、キューピットさん! あなたが愛の霊だというのなら、私も隼颯くんへの愛情をもって直接対決します」

「そうか、ならば受けて立つとしよう」


部屋の中につむじ風が巻き起こった。名前の割に妙に渋い声だなと隼颯は思った。キューピットさんの儀式用の紙が舞い上がった。そればかりではなく、棚の上に置かれていたプラモデルも、それに植木類も風に巻き込まれ、床に落下して四散した。やがて部屋の中央に現れたのは弓矢を持った屈強な男の石像だった。背中にはキューピットらしく翼が生えている。しかしその姿は少年というよりも筋骨隆々な大男だ。


「私がキューピットさんだ」

「イメージが……」


都子が震える声で言った。


「キューピットさんが愛に敗れた者たちの霊の意識集合体というのなら納得です。彼はおそらく、『モテなかった者たち』の魂なのでしょう。だからキューピットの姿を借りていても『おっさん』の姿なんです」


迅のタブレットが解説をする。


「なんでもいいです! 隼颯から離れてください!」


アケミは中華包丁をその場で振り回した。


「嫌だね!」


キューピットさんは言う。


「一宮隼颯は俺がようやっと見つけた男なんだ! 優柔不断で根暗! この俺ですらワンチャンありそうな男なんだよ! だから絶対に手放してなるものか!」

「アケミ、もうそいつ、殺っちゃっていいよ」


隼颯は言った。


「わかってます!」


アケミは中華包丁を構えてキューピットさんに突撃した。キューピットはアケミの攻撃に押され、窓を割って家の外へと飛び出した。

隼颯の家の目の前は公園だ。アケミとキューピットさんは噴水のある広場で対峙する。


「どうして! どうしてどうして!」


キューピットさんは言った。


「どうして俺たち、私たちはいつもいつも誰からもほんの少しの好意すら持ってくれないんだ!」

「そういう風に考えてるから悪いんじゃないですか?」

「うるさい! うるさいうるさい! 俺の目の前でいちゃいちゃしやがって!」


キューピットさんは弓に矢をつがえて構えた。


「まずい……! アケミの武器は中華包丁、キューピットさんの武器は弓矢、射程が違いすぎる!」


ふたりを追って家から飛び出してきた隼颯は言った。


「アケミちゃんが負けたら……どうなりますの……?」


都子と迅も隼颯に追いついてくる。


「多分、僕は一生怪異に脅かされ続ける……」

「それもそれでありですわね。オカルト研究部的には……」

「裏切ったな!」


キューピットさんは目にも止まらぬ速さで矢を放ってくる。アケミもその攻撃を必死にかわすものの、自らの攻撃が相手に届くことはなかった。


「ふはははははは! お前のその薄っぺらな『愛』と俺たちが長年積み重ねてきた『悔しさ』どちらの方が上か思い知らせてやる!」


キューピットさんは一度に3本の矢を一気に弓につがえた。


「そんなのもちろん……」


アケミは中華包丁を正面に構えるとその場に立ち止まった。


「喰らえ! トドメだ! リア充なんて死んじまえ!」

「愛が勝つに……決まってます!」


アケミは中華包丁を振り下ろした。

3本の矢は中華包丁によって一刀両断にされた。さらにアケミは中華包丁の柄から手を離す。中華包丁はブーメランのように回転し、キューピットさんに向かっていく。


「なっ……! 何故だ! 愛など所詮!」


中華包丁はキューピットさんに命中した。キューピットさんは中華包丁を喰らうと粒子状になり、消滅していく。


「キューピットさん、愛は必ず勝つんですよ」


アケミは言った。


「だって愛のためならば、どんなことだって許されるんですから」


 *


一宮瑠璃は自身の家を見上げていた。2階にある兄の部屋の窓は大きく割られていた。瑠璃はため息をついた。彼女のリュックサックはぱんぱんに膨れ上がっていた。


「お兄ちゃん、さようなら、私、お兄ちゃんとはもう縁を切るよ」


瑠璃は家に背を向けて出ていった。


 *


「おはようございます、おはようございます、今日は休日ですね」

「うぇばぁっ!」


隼颯は驚いてベッドから飛び起きた。どうして、ここは僕の部屋のはずだよな? それなのになぜアケミが……。


「どうかしたんですか?」

「いや、どうかしたもこうしたもなんでアケミがここに……」


アケミはいつもの制服の上にエプロンを着ている。


「どうしてって、隼颯くん言ったじゃないですか、この家にいれば『安全無事』だって。だから私もここに居候させてもらうことにしたんです」

「僕の父さんと母さんは……」

「許可を出してくださいましたよ? 私が『国家から派遣された隼颯くんを根暗から更生させるためのエージェント』って言ったらそのまま信じちゃって……」

「じゃあ妹は?」

「妹……ですか?」

「あぁ、いただろ? この部屋の向かいの部屋に、僕以上に根暗そうな女の子が」

「いませんでしたよ?」

「え?」


隼颯はパジャマ姿のままベッドから降りた。昨日割られた窓は木の板によって塞がれている。

隼颯は妹の部屋に向かった。相変わらず男の子のような部屋だった。

そして隼颯は、妹のパソコンのキーボードの上に置き手紙が置かれているのを見つけた。


 *


お兄ちゃんへ


私、もうお兄ちゃんとは縁を切ります。あれだけ言ったのに、お兄ちゃん、昨日、うちに変なものを持ち込んだよね? 私、気がついてたんだから、お兄ちゃんたちが自分の部屋の窓を割って騒いでたことを。

だからもうお兄ちゃんのことをお兄ちゃんとは思いません。さようなら、隼颯さん。


妹、じゃなくて一宮瑠璃より

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