スライム、あるいはブロブとも呼ぶべきものだろうか。看護師の姿は緑色の半液体のような怪物に変化すると隼颯とアケミに襲いかかってきた。
「隼颯くん!」
アケミが隼颯を突き飛ばした。アケミの身体がスライムに覆われる。
「お前……人間ではないな!」
スライムは言った。
「消化……できない!」
「そんなことどうでもいいです!」
アケミは言った。
「私はただ、隼颯くんのことが好きなだけの存在ですから!」
「まぁいい! 貴様のような無機的な存在など食べても美味くもない! そこでじっとしているんだ!」
スライムはアケミを拘束したまま身体を分離させ、隼颯の方に飛びかかってきた。
隼颯はベッド周りのカーテンを引きちぎるとスライムに向かって投げた。スライムはカーテンに覆われる。どうやらこのスライム、人間の身体や内臓は溶かすことができても、アケミや布製品といった「非生物」は溶かせないようだ。隼颯はカーテンの上に飛びかかった。
「捕まえたぞ! なんでこんなことをした!」
隼颯は言った。
「なんで? 飢えるんだ。飢えて飢えて仕方がないんだ。だから私はこの看護師を殺し、食してからその姿を借りて機会を待っていた。今夜は満ちている……。私のような存在を活性化させるエネルギーが!」
「そうか、悪いけど……」
隼颯は懐中電灯に手を伸ばした。
「君はすでにたくさんの人を殺してしまった。そのまま生かしておくわけにはいかないよ」
そして懐中電灯をスライムに叩きつける。電灯は火花を散らして砕け散り、その火がカーテンに燃え移った。
「う……ぐ……あぁ、しかし……」
スライムの苦しみ悶える声が聞こえてきた。
「く……くくく……それで勝ったつもりなのか!」
アケミの身体を覆っていたスライムが隼颯に向かって飛びかかってきた。
「私はいくらでもその身体を分離できるんだ!」
「それは私だって同じですよ」
アケミが言った。アケミはスライムと共にその身体を分離させる。アケミの身体は球体関節の部分で自在に分離できるようになっていた。
「な……! 思った方向に飛んでいけない!」
分離したアケミの身体によって、スライムは炎の中に叩きつけられた。
病室には布と木、そして陶器の燃える匂いが満ちていた。
拓斗は炎に包まれていくスライムとアケミをじっと見つめていた。
病院で起こった集団死亡事件に関して、警察は医療ミスと、その発覚を恐れた病院運営陣の失踪であると公式発表をした。
「また、後々色んな意味で傷跡を残しそうな発表だな」
オカルト研究部室でテレビを見ながら隼颯は言った。スライムは死んだ。そしてアケミも死んだ。アケミちゃんは良い奴とは言いがたかったが、それでも勿体ないことをしたなと思っていた。動機はどうであれ、最後は隼颯を助けようとしてくれたのだから。
「でも、隼颯の言うことが本当なら仕方のないのとだと思いますわ。だってそうでも言っておかないと、世間様が納得する説明はできないでしょう?」
髪の毛を弄びながら都子は言った。
「そうですね。それと『赤い部屋』に関する情報、見つけました。今まで全然ヒットしなかったのに、不思議です」
電子音のような声が聞こえてきた。隼颯と都子が目を向けると、そこにはノートパソコンを前に置いた小柄な男子高校生が座っていた。やや長めの髪に、伏し目がちな目をしている。このオカルト研究部のもうひとりの部員、
隼颯は迅がしっかりとした肉声で話すのを聞いたことがなかった。彼はいつも、愛用のパソコンかタブレットを使い、そこで合成した音声によって会話をしていた。
「で、何を見つけましたの?」
迅はパソコンの画面を都子に見せた。
そこには赤いポップアップ形式のインターネット広告が表示されていた。「あなたは/好きですか」と書かれている。
「これって……フラッシュじゃない……本物の赤い部屋?」
迅は頷いた。
「広告を消す時は慎重に消さなくては駄目よ。いずれ歯止めが効かなくなって、私たちは死んでしまうことになるんだから」
数日前から都子が迅に調査を頼んでいた「赤い部屋」とはインターネットに広告形式で現れるという怪異だ。赤地に「あなたは/好きですか」と書かれた広告であるが、消しても消しても何度も同じ広告が出てくる。やがて広告の内容は「あなたは赤/好きですか」「あなたは赤い/好きですか」と変化していき、そのうちに勝手に消えては新たな広告が現れるということが繰り返されるようになる。そうなってしまっては手遅れで、やがて広告の文字が「あなたは赤い部屋が好きですか」となった時、目撃者は動脈を切られて死んでしまうというのだ。「赤い部屋」とは犠牲者の血により真っ赤に染まった部屋のことであると都子は推測していた。
「でも……噂を確かめたいっていう好奇心もあるから……1回だけ……」
都子は震える手でマウスをクリックした。広告は消え、すぐにまた新しい広告が現れた。内容はまだ変化していないようだ。
「いいのか? 続けたら僕たちはみんな……」
「いいんじゃないかしら? 怪異の存在を確かめられるんだから名誉ある死ではなくって?」
その時だった。部室の窓の外からブーメランのように飛んできた中華包丁が迅のパソコンを破壊した。迅は驚いて椅子を倒し、床に尻もちを着く。
「な、何よ……」
都子は目を丸くして窓の外を見た。外にある太い木の枝の上に仁王立ちしていたのはアケミだった。アケミの身体は損傷箇所が綺麗に治っていた。
「アケミ……?」
隼颯は思わず座っていた椅子から立ち上がった。
「ふふふ」
アケミは笑った。
「私、気がついたんです。どうすれば私が隼颯くんを好きな気持ちを証明できるのか」
「どうすれば証明できるって言い出すんだ?」
アケミは木の枝を蹴り、ふわりと空中に舞い上がると、部室内に着地をした。
「悪い虫を徹底的に駆除するんです。隼颯くんに寄り付く悪い虫を。前回はあのスライム、そして今回は……」
アケミはどこからともなく2本目の中華包丁を取り出すと、その先を破壊されたパソコンに向けた。
*
隼颯たちの高校から少し離れた場所に停まっていた自動車の中で、運転手の男は口を開いた。
「良かったのですか? 若様」
「うん、問題ないよ」
若様と呼ばれた隼颯たちと同年代と思しき少年は言う。屈託のない笑顔を浮かべた少年だった。
「あの一宮隼颯という男はどうにかしなきゃならないと思っていたんだ。そんな矢先に現れてくれた『アケミちゃん』は僕たちにとっては都合が良かった。違うかい?」
「だから若様は一度破壊された『アケミちゃん』の修復を……」
「僕たちは忙しいんだ。他の人がやってくれるっていうんなら、是非とも協力してもらわないと」
「さすが、寺生まれは違いますな」
運転手は言った。