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アケミちゃん・その2

線路は、ビルとビルの間の谷間を進んでいた。都会の路線であるはずなのに、電車が走ってくる気配は一切ない。もしかして終電なのだろうかと隼颯は思った。

ビル群を見上げると、例の影のような「異形」はビルの窓の内側や屋上にも見られた。彼らは言葉を発するわけでもなく、意味のある行動をしているようにも見えない。

「あの世」のようなものだろうか。もしかしたらあそこにいるのは「魂の抜け殻」のような存在なのかもしれない。


「何黙っちゃってるんですか?」


ふとアケミが声を出した。


「あ、あぁ……ごめん、不安だよね。もっと明るい話をしないと……」


それから隼颯は考えた。アケミちゃんくらいの女の子が好みそうな話題かぁ……。何かあっただろうか。

隼颯の周りの女の子はオカルト好きの部長に特撮ヒーロー好きの妹と、中高生としてはかなり変わった部類に入る趣味趣向を持った人ばかりだ。普通の女の子にこんな時、どんな話をしたらいいのかがいまいち思い浮かばない。


「ねぇ、アケミちゃん……」


隼颯は言った。


「アケミちゃんは趣味とか……あるの?」

「趣味……ですか?」

「うん、ほら、普段やっていることとか……」

「私はずっと、あの電車の中にいましたから」


アケミは言った。


「あの電車の中……? えっと……鉄道が好きとか?」

「好きでも嫌いでもないと思います」


それからアケミは続けた。


「そもそも『好き』ってなんなんですか?」

「それは……」


隼颯は口ごもる。そういえば「好き」という感情がどんなものなのか隼颯自身もよくわかっていなかった。何かに特別熱中したという過去もないし、それに誰かに恋愛感情を抱いたことだって今まで一度たりともなかった。

その時、目の前にサッと光が差してきた。


「え……」


見上げると、いつの間に迫ってきたのか、電車の姿があった。

轢かれる……! そう思ったが、避けている時間はなかった。

痛みを感じる前に、意識が深い暗闇に落ち込んでいった。

あぁ、死ぬのって……痛くないんだ……。隼颯は漠然とそんなことを考えながら目の前が真っ暗になった。


 *


気がつくと、白い部屋にいた。周囲を見回すと、病室のようだった。


「気がついたようですわね」


聞き覚えのある声に顔を上げるとそこにはくるくるとウェーブのかかった長い黒髪に、眼鏡をかけた高飛車そうな少女が腕を組んで、扉脇に寄りかかっていた。

彼女が隼颯の所属しているオカルト研究部の部長、春日井都子かすがいみやこだ。


「僕は……どうしてこんなところに……」


隼颯はどこかずきずきと痛む頭を抑えながら起き上がった。


「そんなこと、こっちが訊きたいですわ。だいたいどうして校門の前に倒れていますのよ」

「校門の前に……でも、僕は……」


月の宮駅は? それにアケミちゃんは? と次々に疑問が浮かんできた。


「はっきりしませんわねぇ。異界にでも行ったってんなら許してあげますけど」


と都子は意地悪そうに笑ってから言った。


「異界……。そうだ、僕は『月の宮駅』に……」

「月の宮駅……。それって、あの月の宮駅!?」


都子が食いついてきた。


「あの……ってなんだよ」

「月の宮駅といえば2008年にインターネットに投稿された『異界駅』じゃないの! あの有名なきさらぎ駅に続く異界駅ブームの流れのひとつよ」

「ブームって……」


隼颯は苦笑しながらも、なんとか部長の不機嫌の矛先が削がれたのを安堵した。あの部長、多分こちら側の入院のきっかけがただの事故だった場合、心配するよりも以前に「部活動に支障が出る」とかなんとかといって怒りだすはずだ。


「でも納得いきませんわねぇ」


都子は目を細めた。


「ツチノコ探しは一切の成果なし、その前にやったキューピットさん占いも大して意味がなかったのに、今になってこの私を差し置いてあなたが怪異に遭遇するなんて」

「それは僕だって驚いている」


隼颯は言った。


「それよりも……じんの方は? 元気にしてる?」


オカルト研究部のもうひとりのメンバーの姿はなかった。


「彼なら帰らせましたわ。『赤い部屋』の調査をさせるために」


どうしてこのまで「やらかしたいこと」が次から次へと浮かんでくるのだろうか、この部長は、と隼颯は感心するような呆れるような妙な気持ちになった。


「とりあえず」


都子は病室の扉を開けた。


「元気になったら今回の体験をレポートにして提出すること。いいですわね?」


そう言って彼女は病室を出ていった。


後で入ってきた医者の話によると、隼颯には目立った外傷等はなく、検査入院後、明日にでも退院できるということだった。


夜、隼颯は目を覚ました。閉めたはずの病室の窓が開いていた。そしてカーテンがふわりと膨れ上がる。窓枠に立っていたのはアケミだった。


「アケミちゃん……」


隼颯は驚いて身体を起こした。


「ふふ、見つけましたよ……隼颯くん」


アケミは笑みを浮かべてそう言った。以前の可愛らしい笑みではなく、何か含みを持った、ある種の恐ろしさも感じさせる笑みだった。


「無事……だったんだね」


隼颯は言った。


「気がついたら電車の中に戻っていました。ですが……」


アケミは窓からふわりと飛び上がると病室の床の上に着地をした。


「私、気がついちゃったんです。『好き』っていうのがどういうことか」

「それは……よかった」


アケミの言葉に何か嫌な予感がしながらも、隼颯はそう言った。


「私、あんなに話を聞いてもらえたのは初めてでした。正直に言って嬉しかったんです。今まで、誰ともあまり話したことがありませんでしたから。それで気がつきました。私、隼颯くんのことが『好き』なんです」

「『好き』だなんて、そんな簡単に……」


人の心が変わるはずが……。言いかけるが、今のこいつに何を言っても無駄だろう。隼颯はそう思って口を閉じた。


「ねぇ、どうやったら一生一緒に居られますか? 私、隼颯くんと一生一緒に居たいなぁ……」


アケミは恍惚とした表情を浮かべた。


「考え直すんだ、アケミちゃん。多分、まだそれは『好き』という感情じゃ……」

「隼颯くん……」


アケミは目を伏せた。


「もしかして隼颯くんは、私のこと『好き』じゃないんですか? あんなに話しかけてくれたのに、手だって握ってくれたのに……」

「そうじゃないけど……」

「酷い人です……」


アケミはそう言うと肩にかけていた鞄から中華包丁を2本取り出した。


「悪い……人です!」


アケミは中華包丁を振り下ろしてきた。

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