必死に眠気をこらえるべく手の甲を指でつまんでみたりしていると、ふと向かい側の座席にいる女の子と目が合った。年齢は隼颯と同い歳くらいだろうか、別の高校の制服を着ている。そしてかなりの美少女だった。黒目はぱっちりとして大きいし、髪の長さはちょうどセミロングくらいだ。
少女はこちらの視線に気がついたらしく、人懐っこそうににこりと笑った。隼颯は少し気恥ずかしくなった。必死に眠気と戦っている様子を相手にしっかり見られていたというわけだ。
隼颯の所属している部活は「オカルト研究部」だった。昨日も部長の無茶ぶりで、近所の山の中を「ツチノコ」を探して数時間歩き回ったところだった。
気がつくと電車の中には隼颯と、それに向かい側の美少女のふたりだけになっているようだった。
何かがおかしい……と隼颯は思った。眠気と戦っていたせいで気がつかなかったが、一向に外の景色が明るくならない。
隼颯が普段利用している鉄道は途中から地上に出るはずだ。しかしその気配が全く感じられない。電車内の電光掲示板を見ると、そこにはなんの文字も浮かんでなかった。
隼颯の眠気はここでようやく覚めた。
「ね、ねぇ……」
隼颯は目の前の少女に話しかけた。
「なんでしょうか?」
少女は丸い目をさらにまん丸にしてこちらを見る。
「おかしく……ないか? この電車。普段ならとっくに次の駅へついているはずだ」
「たまにあるんですよ、こんなこと」
少女は慌てる様子もなしに言った。
「たまに……って」
隼颯は立ち上がると扉の窓の方へと移動した。そしてハッとする。ここは地下ではない。夜の大都市だ。遠くの方には背の高いビル群の明かりが見える。
「夜って……僕はそんな長時間寝ちまってたってことか? でもこんな街、見覚えがないというか……」
「ここに来た人はみんなそう言います」
いつの間にか隣に立っていた少女は言った。
「君は……?」
「私はアケミっていいます」
「アケミ……ちゃんか。僕は一宮隼颯だ。よろしく……ってなるのかな」
やがて電車はゆっくりと停車した。
駅のようだった。周囲には高層ビルがそびえ立っている。電車の扉が開いた。
隼颯はアケミの方を見た。アケミは何も答えなかった。
「降りる……べきか?」
「わかりません」
アケミは言った。
「私は降りたことありませんから」
隼颯は電車を降りた。アケミも彼に続いて電車を降りる。
「なんで、君まで……」
「なんとなくです。大抵の人はこの駅で降りません。降りた人間がどうなるのか、少し興味があったんです」
「君は……何か知っているのか?」
「この駅については知りません。ただ、電車の中にいて、何度か通り過ぎるのを見ただけです」
隼颯は駅名表示の方に歩みを進めた。
「つきのみや……駅」
隼颯は駅名を読み上げる。
不意に隼颯とアケミの顔に黒い影が差した。見上げると、そこには背の高い「異形」が立っていた。
背の高さは2メートル以上ある。手足の細い人型をしているが、身体は黒いシルエット状になっており、輪郭ははっきりとしない。
「アケミちゃん……!」
隼颯は不意にアケミを庇うように前へ進み出た。人影はふたりのことを無視してホームを歩き去っていった。
「な、なんなんだ……?」
「周りを見てください」
アケミは言った。周囲を見回すと、こちら側のホームにも、向かい側のホームにも、さらにその向こうのホームにも同じような「異形」の姿があった。
「電車に戻ろう!」
隼颯は咄嗟にアケミの腕を掴むと電車の方に駆け戻ろうとした。しかし、電車の扉はふたりの目の前で閉まり、そのまま発車する。
「あ……」
隼颯は虚しく立ち止まった。
振り返るとアケミはキョトンとした表情でこちらを見つめていた。
「ごめん……なさい」
隼颯は謝った。
「僕がこの駅で降りたばっかりに、こんなことに巻き込んじゃって……」
それから隼颯は思考をめぐらせた。
この話、まるで「あの話」とよく似ている。オカルト研究部部長がしきりに話していた「きさらぎ駅」の話に。
隼颯は非科学的なことを信じるようなタイプではなかった。幼なじみの好で部長にはオカルト研究部に入れられてしまっていたが、常に「この世には不思議なことなんて何もない」と懐疑的な目線で彼女の活動を見守っていた。
「次の電車……来るかな」
隼颯は僅かながらの希望を胸に駅の電光掲示板を見上げた。しかしそこにはなんの文字も映されていなかった。
「アケミちゃん、きさらぎ駅の話……知ってたりする?」
と隼颯は尋ねた。
「きさらぎ駅……ですか?」
アケミは首を傾げる。
「うん、ある人が路線図に存在しない『きさらぎ駅』っていう駅で降りて、そのまま異界に迷い込んでしまったって話なんだけど……」
「もしかしたら私たちも、そんなふうに『別の世界』に入り込んでしまったということですか?」
「そうかもしれない。信じられないことだけど……」
「あの、隼颯くん」
アケミは言った。
「さっきはどうして私に謝ったりしたんですか?」
「どうしてってそれは……」
隼颯は考える。
「僕がこの駅で降りたから君も好奇心に駆られて降りてしまった。その結果ふたりしてここに取り残されて……」
「私が隼颯くんについて行かなければよかった話ではないでしょうか」
アケミはさも当然のことのようにそう言った。
「かもしれないけど、やっぱり僕のせいで何かがどうなるのは良くないことだから……」
それから隼颯は周囲を見回した。あの「異形」たちは駅舎内に無数に存在しているものの、積極的にこちらに対して危害を加えてくることはないようだ。だとすればこちらのやることも決まってくる。いかにしてこの駅から脱出し、現実世界に帰るのかを考えるだけだ。
「アケミちゃん、ここは日本の法律とか……適用されないよね」
隼颯は確認のために言った。
「え? どういうことですか?」
「ほら、怪異の世界は『日本国憲法通用せず』って……」
これも部長の受け売りだ。
「問題ないとは思いますけど……」
「よし、じゃあ線路に降りよう」
隼颯はそう言うと線路上に飛び降りて着地をした。アケミもそれに続く。その時、隼颯には何か木のようなものがぶつかり合うような微かな音が聞こえた気がした。
「線路に降りて……僕たちが今までやって来た道を戻るんだ。もしかしたら元の鉄道路線に帰れるかもしれない」
戻った先が何年後になっているのかはわからないけど……。と隼颯は心の中で付け加えた。確か「きさらぎ駅」のインターネット掲示板に投稿された元祖体験談では、投稿者の「はすみ」という女性が現実世界に戻ってこられたのは7年後だったという。
「隼颯くん、行きましょう。戻れなくても……私たち、ずっとふたりきりだから寂しくないはずですよ」