「フィリスお姉様!?」
ブルーベルは炎を消して、周囲を見回すが、フィリスの姿はない。
「ミカ! ローリン!!」
「私達はこちらに!」
玄関のドアを開けて外に出ると、そこに騎士達と共に待機するミカとローリンの姿があった。
公爵邸の騎士達のほか、騎士団から来た騎士も合流している。
「ブルーベル様、おケガは?」
「大丈夫よ。フィリスお姉様の姿を見た?」
ブルーベルの問いかけに、二人は首を振る。
「ブルーベル様、危険です。アルヴァロ様には急ぎ伝令を送りましたが、到着されるまでにはまだ時間がかかるでしょう。屋敷内に避難用の部屋があります。ミカ、ブルーベル様を連れてそこへ……」
その時、ブルーベルの背後から、声がした。
「ブルーベル」
ブルーベルが振り返ると、すぐ後ろに虚ろな顔をしたフィリスが立っていた。
着ているドレスは所々焼け焦げ、嫌な匂いを放っている。
「ブルーベル、許してちょうだい。わたくしが悪かったわ」
フィリスは、よろよろと地面に倒れ込んだ。
そのまま、動かなくなる。
「フィリスお姉様!?」
ブルーベルは迷った。
フィリスのことは、信じられない。
フィリスはすでにブルーベル達に対して、ためらうことなく、魔法で攻撃している。
しかし、ブルーベルには、フィリスを殺める意図はない。
(でももし、本当にフィリスお姉様が傷ついているとしたら……?)
(フィリスお姉様は、わたしと血がつながった姉妹であるのは、間違いない)
ブルーベルは無意識に一歩、フィリスに近寄ろうとした。
その時だった。
「ブルーベル様、危ないっ……!」
ミカが叫んだのと、フィリスが手を伸ばして、溜めた闇の魔力を放ったのは、同時だった。
ミカはブルーベルを突き飛ばし、渾身の力でフィリスに覆い被さった。
「ミカ————!!」
ミカの小柄な体に、何か黒くて重いものが正面から襲いかかった。
ミカは弾き飛ばされて、宙に放り出され、そして、ブルーベルの目の前で、地面に落ちた。
フィリスはどこにそんな力があったのかと思うほど、素早く起き上がるとドレス姿で走り去り、魔法を四方八方に放っていく。
屋敷の外壁が崩れた。
大きな木が、音もなく倒れていく。
ローリンが叫んだ。
「全員、フィリス・ノワールを追え!!」
ローリンが右手を振りかぶると、まるで花火のように火球が宙に上がり、庭中を一気に照らし出した。
遠くに、走って逃げようととするフィリスの姿が見えた。
この庭園の全ての小道は、最終的には噴水に行き着く。
「噴水に向かっている! 女性だからと油断をするな! 捕縛しろ!!」
ローリンの声に、騎士達が一斉にフィリスを追いかけて庭園になだれ込んでいく。
ブルーベルは、その場から動けなかった。
目の前に、ミカの体がある。
「わたしの、せいだわ。わたしが、中途半端な気持ちでいたから」
ミカは地面に倒れたまま、動かない。
中庭からは荒々しい足音。
何かが倒れる音。
そして放たれる魔法が交錯する音が聞こえてきた。
美しい屋敷。
アルヴァロと屋敷の人々の、労りが込められていた離れの部屋。
ブルーベルの大好きな、精霊と幻獣達の暮らす森の入り口はすぐそこだ。
花々が咲く庭は、庭師と一緒になって、手入れをした。
キアラが守る湖につながる噴水。
全てが、かけがえのない、愛しい存在になっていたのに。
大切なものが、今、破壊されようとしている。
(精霊達よ)
ブルーベルは自分の知っている全精霊を呼んだ。
精霊達は、呼び声に応え、ブルーベルの指示を待っている。
アルヴァロはまだ戻らない。
自分にできるか、わからない。
ブルーベルはそれでも一人で戦わなければならない。
「ミカ」
ブルーベルは地面に膝をついて、ミカを抱き上げる。
ミカを両手で抱きしめ、祈る。後悔の想いに押しつぶされそうだ。
すると、ミカの体から煙が上がり、次の瞬間、ミカは消え去ってしまった。
「ミカ!? ミカ、どこへ行ったの?」
ユニコーンがブルーベルに寄り添い、励ますように鼻先を押し付ける。
「ミカ! ミカ!!」
その時だった。
『大地に祝福された娘よ』
ブルーベルの耳に、自分に語りかける声が響いた。
ブルーベルは、はっとして耳を澄ませる。
『わたくしは大地の精霊デイナ。そなたに必要なものは、力。力を手にする勇気はあるか?』
「力……?」
『そうだ。人を傷つける覚悟は、あるか? 何かを傷つけても、それでも、大切なものを守ろう、と思えるか?』
「人を……傷つけても……」
ブルーベルは、腕の中で消え去ったミカを想った。
(わたしの中途半端な心が、ミカを傷つけることになってしまった)
ブルーベルはミカを失った両手を見つめる。
ローリンが泣きそうな顔をして、ブルーベルを見つめていた。
ブルーベルは深く息を吸い込んだ。
「あるわ」
次の瞬間、ブルーベルの前の地面がまばゆい光に包まれた。
思わず両腕で目をかばい、顔を背ける。
光がおさまった時、ブルーベルの前には、地面に突き刺さった、不思議な剣があった。
刀身は、透き通るクリスタルだ。
ブルーベルは心を決めて、銀のつかを握り、地面から剣を抜いた。
意外なほどあっさりと剣は抜け、ブルーベルの手に収まる。
その剣はまるで羽のように、重さを感じさせなかった。
ブルーベルはうなづく。
しっかりと剣を右手に握った。
(この剣の主人は、わたし)
(命令をするのは、わたし)
(運命を決めるのは、わたしなのだ)
「ローリン、あなたは屋敷の玄関を守って。フィリスを中に入れてはいけない」
「かしこまりました、ブルーベル様」
ブルーベルは剣を持って中庭に向かう。
その後を、純白のユニコーンが、音もなく後に続いた。
そこには、噴水の前に追い込まれた、フィリスの姿があった。
フィリスの前で、騎士達が半円を描くように取り巻き、剣を突きつけている。
さらさらと流れる噴水の水が、フィリスの背後で、虹を作っていた。
虹の美しさが、ひどく場違いなように感じられる。
フィリスがブルーベルをすがるように見つめた。弱々しく訴える。
「ブルーベル、わたくしは、あなたの姉よ。助けて……わたくしが悪かったわ。あなたを傷つける気はなかったの。本当よ。わたくしの話を聞いて」
ブルーベルは右手の剣を掲げた。
(大地の精霊デイナよ。わたしに力を貸して)
ブルーベルは、クリスタルの剣に、自分の魔力をこめた。
そして、剣先を、迷うことなく、まっすぐにフィリスに向けた。
「ブルーベル、助けてちょうだい」
「……何度、同じ言葉を繰り返すの?」
ブルーベルは叫んだ。
「真実のないあなたの言葉は、もう聞かない」
その瞬間、水晶で出来た、透明な刀身に光が宿る。
その光が放たれた。
「きゃあぁああああああああああ……!!」
フィリスの激しい悲鳴が響き渡り、そして、途絶えた。