「女……嫌い……?」
離れのサロンに、ブルーベルの困惑した声が響いた。
それはブルーベルが離れに住み始めて、数日経った頃だった。
ブルーベルは自分でも驚くくらい、アルタイスでの暮らしに馴染み始めていた。
あらゆるものが、ブルーベルの心を幸せにするのである。
朝になれば、ロフトに置かれたベッドで、天窓から聞こえる小鳥の声に目を覚ます。
「おはようございます、姫様」
階段を降りて階下に行けば、いつも明るくて親切な侍女のミカが、朝食の支度を整えて、待っていてくれる。
ミカがどんな質問にも、ブルーベルのことを笑ったり、馬鹿にすることなく答えてくれることを知ってからは、ブルーベルはあらゆる質問をミカに投げかけていた。
(わたしは、何も知らなかったな)
ブルーベルは、初めてそのことを知る。
そして、ひとつ質問をする度に、新しいことを知り、新しい世界が広がるのを感じた。
ブルーベルの意識は急激に目覚めつつあるようで、それはミカにとって、とても好ましいことに思えた。
今朝の話題は、ヴィエント公爵邸の主人である、アルヴァロ・ヴィエント公爵についてである。
まだきちんとご挨拶をしていない、と心配するブルーベルに、ミカが言った言葉が、それだった。
「女……嫌い……?」
はい、そうなんです、とミカはあまり心配もしていない様子で、ブルーベルに熱い紅茶を注いでくれた。
「姫様はアルヴァロ様が怒っているのではないか、と心配されているのでしょう?」
図星の言葉に、ブルーベルは素直にうなづく。
「わたしでも、政略結婚の意味くらい知っているわ。ドゥセテラは王女ビジネスをしている、と言われているの。美しくて、魔法も使える王女を各国に嫁がせて、ドゥセテラの王家の血を入れていくのだと。上手くすれば、王女が産んだ子が、将来の国王になることだって、あるでしょう。そこにドゥセテラの影響力を期待するのよ」
「なるほど」
ミカはうなづいた。
「王女を娶る方も、多少のメリットはあると思うわ。見た目のいい、きれいな飾り物の妻が手に入るし、魔法は役に立つでしょう……でも、わたしではアルヴァロ様のお役に立てそうもないわ。それに、わたしの魔法は、地味な土魔法なの……」
ブルーベルは途端に声が小さくなってしまった。
「姫様、お言葉ですが、私には、アルヴァロ様が見た目のいい、きれいな飾り物の奥様が欲しい、とは言いかねますね。それに、美しさはさまざまな形があると思うのですよ。あと、姫様のお顔ですが」
ミカはそう言うと、遠慮なく、じっとブルーベルの顔の右半分を覆う、銀の仮面を見つめた。
「アルヴァロ様は、むしろ、ブルーベル様を心配していますよ。お顔についても、本当は何が起こったのかを、調べていらっしゃいます」
ブルーベルは驚いて目を見開いた。
「え……?」
「少しずつ、ゆっくり慣れていきましょう。アルタイスにも。アルヴァロ様にも」
その時、ふと、ミカはダイニングテーブル脇にある、不思議な水盤に目を留めた。
ブルーベルの目には、水面が静かに波立っているように見えた。
ミカはそのまままるで耳を傾けるようにすると、立ち上がった。
「さてと。私は一旦、主屋に戻りますね。何かご入用なものなどありませんか?」
「何もないわ。いつもありがとう、ミカ」
ミカはふと、思いついたように言った。
「お話相手が必要ではありませんか?」
そう気を遣ってくれるミカ。
「刺繍や読書をなさいますか? 楽器の演奏は?」
「今まで、あまりしたことがないわ」
ブルーベルは正直に答える。
「アルヴァロ様にお話してみましょうか。刺繍の基礎や楽器の弾き方を教えてくれる女性もいるのですよ。では、お食事、しっかり召し上がってくださいね」
そう言うと、ミカは主屋に戻って行った。