「ドゥセテラ国王にお目通りを。我はアルタイスから参った者。我が国国王からの信書を持参した」
それは、フィリス王女が正式にカラスカス帝国皇帝の花嫁に決まってから、十日ほどが経った頃だった。
ドゥセテラ宮殿に、一人の男がやって来た。
門を守る衛兵も、その男の様子に、一瞬、声を失う。
それは、見慣れない、一種異様な雰囲気を感じさせる男の姿だった。
一般的な馬の大きさよりも一回りも大きく見える馬に跨った男は、腰に届くほどに長い白い髪を背中でまとめている。
黒の上下に上半身は赤の上着を重ね、腰には太いベルトを巻いている。
腕には革の防具を着け、足元はブーツ。
何よりも印象的だったのは、左目に黒の眼帯を付けていること。
あらわになっている右目は、茶色だった。
「アル……タイス……? 貴殿、アルタイスと申されたか?」
一人の衛兵が繰り返すと、背後の衛兵が、「あの、辺境の蛮族、アルタイス族ではないか?」とささやいた。
「辺境のアルタイス族……?」
困惑する衛兵の前に立ち、蛮族呼ばわりされたのも聞こえていたと思われるが、白い髪の男は、鷹揚にうなづいた。
「ドゥセテラ王国国王陛下に、書状をお持ちしている。お目通りを願いたい」
* * *
それから二時間後。
白髪の使者の姿は、謁見の間にあった。
正装を整えたドゥセテラ王国国王が玉座に着き、背後に王妃と二人の側妃が並ぶ。
そして玉座の左側に、三人の王女達が、右側に大臣達が並んだ。
女性達もまた、正装のドレス姿。
裾が大きく広がったドレスを着用し、扇を持ち、無表情に使者を見つめていた。
そこには、辺境からやって来た使者に対して、圧力をかけるという意図があったかもしれない。
しかし、この白髪の男に対しては、それが成功しているようには見えなかった。
男は馬に乗っているわけでもないのに、騎乗していた時と同じ服装に、さらにあろうことか、オオカミの毛皮を肩から背中に掛けていた。
(まあ、なんと野蛮な)
思わず王女達がお互いに視線を交わし、扇の下で小さな声で言葉を交わした。
当の使者の男の方は、一方、臆することもなく、むしろ寛いでいるかのようにも見える気さくさで、口を開いた。
「歴史あるドゥセテラ王国、代々あらゆる国々の国母を輩出してきた、美しい血筋の国。心よりの敬意を表し、ここに我が主君、アルタイス国国王からの信書をお届けいたします」
ハリのある声が、謁見の間に響く。
確かに、その身なりや容貌は独特のものがあったが、よく見れば、この使者の男は極めて整った容貌をしていた。
髪色こそ白だが、まだ年若い青年であることがよくわかる。
残念ながら、左目に被せている黒の眼帯が惜しいとドゥセテラ国王は思う。
「これは丁寧なご挨拶、いたみいります。して、そなたのご主君は、何かお求めがあって、使者殿をはるばるドゥセテラまで送られたのかな?」
使者から信書を受け取った大臣が、恭しく国王に差し出す。
アルタイスの使者は、ははは……と笑うと率直に切り出した。
「我が主君の大切な弟君は年頃でして。噂に聞く、美しいドゥセテラの王女殿下をいただくことはできないものかと思い、参上した次第でございます」
その使者の言葉に、王女達はまさか、という想いで動揺した。
国王の背後でも、妃達がこの話の成り行きを見逃すまい、と背筋を伸ばした。
アルタイスの使者はぐるりと遠慮なく女性達を見回す。
「噂ではお美しい四姉妹の王女殿下方と聞いておりますが、誤りでしたか。王女様方は、三姉妹でいらっしゃるのですね」
王女達は居心地悪げに、身じろぎした。
「いや、構いませんよ。我が国にとって、大切なのはお一人のみで。あ、これは失礼いたしましたな。いえいえ。主君が弟君の花嫁にと望んでおられるのは、最も美しいと評判の、第四王女……末の姫君、ブルーベル殿下で」
「いや、あいにくだが、ブルーベルは現在療養中で」
「最も美しい王女は、わたくし、第一王女フィリス・ノワールです」
国王とフィリスの声が重なった。
フィリスは決まり悪げに、国王に謝罪の意味でお辞儀をしたが、怯むことなく使者にこう付け足した。
「とはいえ、わたくしはすでに、大国カラスカス帝国の皇帝陛下の花嫁となることが決まっておりますの。嫁入りの準備を整えている途中ですわ」
白髪の使者は微笑んだ。
「さようでございましたか。いや、構いませんよ。繰り返しますが、我が主君の望まれるのは、ブルーベル姫のみ。療養中であろうと、関係ありません」
白髪の使者は気後れすることも一切なく、まっすぐに国王を見上げた。
「ブルーベル姫をいただきます」
それから宮殿内は大混乱だった。
会見はひとまず中断し、アルタイスの使者には、食事が振る舞われることになった。
その間にこの縁組について協議するためである。
しかし、国王、王妃、側妃達に続いて退出しようとした王女三人を、アルタイスの使者は恐れげもなく止めた。
お美しい姫君方と少しでもお話をして、故郷の仲間達に自慢したい、などと言われ、王女三人はアルタイスの使者とお茶を共にすることになってしまった。
白髪の使者は遠慮なく王女達を眺め、それぞれの容姿を褒め、着ているドレスも褒めちぎった。
王女達はそれで機嫌を良くしかけたのだが、フィリスがアルタイスはどんなところか、と質問すると、アルタイスの使者は妙に嬉しそうに話し始めたのだった。
「アルタイスは大変な辺境で、馬車で向かおうとすれば、一ヶ月はかかりますな。田舎も甚だしく、おしゃれなドレスメーカーなどもおりません。国民のほとんどは、農民ですね。大きな街もありませんから、娯楽はありませんし、冬の厳しさもまた、格別です。毎年、大雪の度に、気の毒な遭難者が出るんですよ」
アルタイスの使者は自分の国のことを話すのが、いかにも嬉しい、という様子で、フィリス、トゥリパ、ロゼリーの三人の王女を、順々に見つめていく。
一方、王女達の顔色は、どんどん悪くなっていた。
「恐ろしい獣も多くてですねえ、オオカミはもちろん、巨大なクマも出ますし、草原にはコヨーテがうろうろしていますね。森には大きなヤマネコがいまして、これが獰猛なもので。人間を襲うこともしばしばです」
そう言うと、アルタイスの使者は、うっとりとした様子で、トゥリパを見つめた。
「トゥリパ姫、あなたはとても愛らしいですね。まるで最高級の人形のようだ。叶うことなら、我が妻として、アルタイスにお連れしたいくらいだ。私は実は独身でして」
アルタイスの使者は優しく、トゥリパに微笑みかける。
「我が国では、女性も馬に乗り、剣を使えなければ、生き残ることはできません。大自然の中で、獣達と戦いながら生き抜く日々も、エキサイティングだと思いませんか……?」
その言葉を聞いた瞬間、トゥリパは真っ青になって、礼儀にも構わず、立ち上がった。
フィリスとロゼリーも続く。
「ア、アルタイスの使者殿、失礼ですが、お茶会はお開きにいたします。後ほど、歓迎の宴会でお会いいたしましょう。わたくし達は、支度がありますので」
フィリスが息も絶え絶えに言うと、アルタイスの使者は打って変わってあっさりと、無表情にうなづいた。
少し横柄にも見えたが、所詮蛮族。……一瞬、フィリスは何かおかしな気がしつつも、そのまま流した。
今はこの場から離れたい。
三人の王女達はおざなりにカーテシーをすると、先を争うようにして、部屋を出て行った。
続いて、同席していた大臣達もロクに挨拶もせず退出する。
そしてただ一人残されたアルタイスの使者。
一転して優雅にティーカップを持ち上げると、いかにもおいしそうに、紅茶を楽しむのだった。
「お楽しみはこれからですよ、覚えておいてくださいね、お美しい、王女様方」
アルタイスの使者は、眼帯に覆われていない、茶色の目を細めて、呟いた。