コツコツ、とドアを叩く音がした。
ブルーベルはその時、二階の寝室でベッドを整えたり、掃除をしたりしていたのだが、慌てて、窓から下を覗き込んだ。
離宮の玄関先に立つ、ストロベリーブロンドの髪をした少女が見えた。
「……トゥリパお姉様!?」
慌てて、ブルーベルは階下に向かった。
姉達が離宮に来たことは今まで一度もなかった。
しかし、あの特徴のある髪色は、第二王女トゥリパで間違いない。
(一体、どうしたのかしら)
ブルーベルが慌てて、昨夜鍵をかけたドアを開けると、果たして外には、侍女も連れずに一人で立っているトゥリパがいた。
トゥリパは、古い木綿のワンピースを着たブルーベルの姿を見て、一瞬、不快げに眉を寄せたが、すぐに表情を変えて、神妙な様子になった。
「ブルーベル、驚かせてごめんなさいね。実は……お詫びに来たのよ」
今朝のトゥリパは細かなレースが施された、淡いミントグリーンのドレスを着て、髪は下ろし、片方のサイドだけ編み込んでリボンを付けていた。
大きな青い目を見開いて、じっとブルーベルを見つめる。
「ね、あなたから借りたあのネックレス、確か揃いのイヤリングもあったでしょう……? それを少しの間、借りられないかしら。実は……」
トゥリパの青い目が涙で潤んだ。
「ごめんね、ブルーベル。あのネックレス、壊されちゃったのよ……!」
「え……!?」
ブルーベルは呆然として、目の前のトゥリパを見つめる。
「本当にごめんね。でも、弁償して、お返しするわ。似たようなものを探すから、それで、イヤリングを貸してもらえないかと思って」
トゥリパはあっさりと説明する。
一方、ブルーベルの方は、驚いたまま、言葉が出てこない。
(似たようなものを探す?)
一方、トゥリパの方は、言葉とは裏腹に、特に申し訳なさそうな様子もなく、堂々とブルーベルの視線を受け止め、見つめ返している。
(壊された!? また? それに弁償って。あれは、お母様が遺してくれた、数少ない品物よ……)
「ブルーベル。わたくしね、これからお買い物に行くのよ。よければ、すぐイヤリングを持ってきてくれないかしら?」
トゥリパは、お詫びに来た、と初めは殊勝な態度を取っていたのもすっかり忘れたように、いらいらし始め、ブルーベルは仕方なく寝室に行き、ネックレスとお揃いのイヤリングを取ってきた。
「トゥリパお姉様、ネックレスですけれど、その、本当に……」
トゥリパはさっとイヤリングを掴むと、吐き捨てた。
「もう! 悪かったと言ったでしょ? 本当にあなたときたら、執念深いんだから。それじゃあね」
「トゥリパお姉様!!」
ブルーベルは反射的に手を伸ばし、トゥリパを追おうとしたが、その前で、離宮のドアがピシャリと閉じられた。
ブルーベルは呆然として立ち尽くす。
深い後悔が浮かんでくる。
大切なものを、渡してはいけなかった。
しかも、これで終わるとは思えない。
なぜか、頭の中で、警告のような音が響いている。
ブルーベルは深い不安の中にいた。
「お母様……ごめんなさい。わたしにと、せっかく残してくれたのに……」
ブルーベルは後悔に沈んだ。
そっと、古い宝石箱に唯一残された、ムーンストーンのネックレスを手に取った。
(もう何も失いたくない)
そう思ったブルーベルは、ネックレスを首にかけ、ベッドに入った。
丁寧に、ムーンストーンを服の下に入れ込む。
そしてその夜、事件が起こった。
* * *
(あああああああぁ———!!!)
女性の悲鳴が聞こえた。
痛い。
顔が痛い。
無意識にブルーベルの右手が動き、顔に触れようとすると、誰かの手がそっとそれを遮った。
その時、一瞬、右手が冷たく硬い、何かに触れた。
『眠りなさい』
落ち着いた男性の声が聞こえた。
『今は、眠ることが何よりの薬です』
自分の意志に反して、ブルーベルはまるで催眠術にかけられたかのように眠り続けた。
何かが起こった。
目を開けて、確かめなくては。
しかし、今のブルーベルには、まぶたを持ち上げることすら、できない。
(お母様……)
再び、薄れていく意識の中で、ブルーベルは幼い頃に死別した母を思った。
それは、本能的に、自分の力の及ばないことが起こったかもしれない、と察した、そんな怖れのせいかもしれなかった。