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第34話 私のせい

 看護師さんに注意され、早足と駆け足を繰り返しながらも、私はどうにか彼の病室に辿り着いた。


「っ、はぁ、はぁ……」


 息が上がる。たいした距離は移動していないし、それこそ高坂くんと一緒にいた時のほうが歩いたり走ったりしているのに一番息が切れている。意味がわからない。

 肩で息を整えながら、私はチラリとネームプレートに目をやった。

 602号室 高坂 実

 名前を見ただけで、肋骨の下がうずく。手には嫌な汗が流れ、ズキズキと頭が痛んだ。

 高坂くん、高坂くん、高坂くん……!

 けれど、引き返すつもりはない。私は祈るような気持ちで、重く閉まり切ったドアを開けた。


「あ……」


 そこは静寂に満ちていた。

 私のいた複数人の患者さんが入院している部屋ではない個室の病室で、室内はかなり薄暗い。上方の小窓からは月明かりが差し込み、彼が横たわるベッドを淡く浮かび上がらせていた。


「あ、あぁ……」


 そして無慈悲にも、それはふわりと波打った。

 胸の前で震える左手の小指に絡みつき、緩やかな螺旋らせんを描いて彼の左手へと伸びている。毛糸ほどの太さの糸は、ぼんやりとした輝きを放って眼前でその青を主張していた。

 ふらつく足で病室に入ると、ドアはゆっくりと閉まった。遠くで聞こえていた看護師さんたちの話し声やリノリウムの床を歩く音は遠ざかり、さらに静けさが増していく。

 どうにかベッドのそばまで辿り着くと、私はその場にへたり込んだ。


「高坂、くん……」


 寝ている彼の両腕には、分厚いギプスが巻かれていた。台の上に置かれ固定された手は痛々しく、私はそのまま直視できなかった。


「高坂くん、高坂くん……っ」


 ひんやりとした床に涙が次々と落ちていく。喉の奥から彼の名前を呼ぼうとするも消え入るような声しか出ない。彼の反応はなく、微かな寝息が聞こえるばかりだった。


 どうして、こうなってしまったんだろう。


 涙で濡れた床を見つめながら自分に問いかける。

 でも、そんなのは分かりきっている。

 私と彼が、恋人同士だからだ。

 私が、彼の告白を受けたからだ。

 私が、彼に近づいたからだ。

 私と彼が恋人同士でなければ、あの丘陵公園に一緒に行くこともなかった。彼もきっと土砂崩れに巻き込まれずに済んだ。

 私が彼の告白を受けなければ、恋人同士になることもなかった。最初の絵のモデルが終われば、あとはそのままフェードアウトしていればよかった。

 私がずっと避けてさえいれば、告白されることもなかった。私が余計なことを言わなければ、そもそも絵のモデルなんて話にもならなかった。

 せっかく不幸の青い糸が教えてくれていたのに。

 好きな人が不幸に遭うのを回避する手段があったのに。

 その手段は私の気持ちさえ我慢すれば難なく達成できるものだったのに。

 高坂くんに話して受け入れてくれたからなんて、なんの言い訳にもならない。

 ぜんぶ、私のせいだ。


「ごめん、ごめんなさい……っ!」


 私はどうすればいいんだろう。

 これからどうしたらいいんだろう。

 漏れ聞こえた声で看護師さんになだめられるまで、私は彼の傍で泣き続けた。

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