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第21話 幸せな休日

 桜が散り、新緑の木々が立ち並ぶ季節になった。

 高坂くんと付き合うようになってから一ヶ月あまりが過ぎ、不幸の青い糸で繋がれた私たちの関係は……意外にも順風満帆だった。


「紫音~、もう少しだけ左向いて!」


「こう?」


「そそ! おーいい感じー!」


 いつの間にやら呼ばれ方が変わり、休日である今日も今日とて河川敷まで足を伸ばして高坂くんの描く絵のモデルをしている。陸上部は月曜と木曜がお休みなので、最近はもっぱら木曜と休日に絵、月曜に勉強、という感じで一緒の時間を過ごしていた。

 ちなみに、告白された日に下書きを終えた絵は、GWに追い込みをかけて完成させ既に応募している。結果が出るのは六月ごろらしく、それまでは夏にある大きなコンクールに出す絵の構図を練ろうということになった。高坂くんが今描いている絵もその一環なんだけど……


「うーん、やっぱり紫音の横顔って絵になるよなあ。いつまで見てても飽きない」


「ねえ、恥ずかしいんだけど。それにさっきからずっと手が止まってる」


「良い絵を描くにはまず観察からなんだよ」


 得意げにそう語る高坂くんだけど、三十分以上見つめられているこっちの身にもなってほしい。仄かに熱くて緩みそうになる頬と、いくばくか速い鼓動を心地良く感じながら、私は彼方に広がる青空を眺める。


「そういやさ、藤村と野々村のやつ聞いたんだよな?」


 ようやく鉛筆を滑らせながら、高坂くんが訊いてきた。


「ああ、うん。付き合ったんだってね」


 視線はそのままに私は答える。

 昨日の朝のホームルーム前、美菜は教室に入るや否や満面の笑みを浮かべて、「ねねねっ! 聞いてー! 私、藤村と付き合うことになったんだ~!」と私に突撃してきたのだ。


「俺らはその時ちょうど教室にいなかったけど、なんかすごかったらしいな」


「ああ、うん。確かにすごかった」


 そこにはちょうど結花も来ていて、二人して「ええっ!」とハモった。さらには近くにいたたまに話すクラスメイトの女の子たちにも聞こえたようで、私たちの周りは朝から大盛り上がりだった。


「いやーでも、あの映画見た時からわりとかかったよな。一ヶ月くらい経ってるっけ?」


「うん。詳しいことはあんまり聞いてないけど、少しすれ違いとかもあったみたいで」


 映画を見た後は私も自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、どうやら美菜のほうもいろいろあったらしかった。なんでも、会話が学校の時よりギクシャクしててあまり楽しくなかったり、あれやこれやと気を遣いすぎて空回りしてしまったりしたらしい。これまでの美菜の恋バナではそんな話を聞いたことがなかったので、結構心配していたのだ。


「藤村は優柔不断なところあるからなー。まあ、野々村ならその辺もわかってて付き合ってそうだし、たぶん大丈夫だとは思うけど」


「まあ、そうだね。今はほとんどすれ違いもなくなったって言ってたから、私も大丈夫だと思ってる」


「そうか、なら良かった……あ!」


 そこで、なにやら思いついたように高坂くんはポンと手を叩いた。


「どうしたの?」


 その仕草がいかにも「良いこと思いついた!」という感じだったので、私は興味深げに首を傾げる。すると、高坂くんはいやに顔を輝かせて笑った。


「今度さ! 藤村と野々村連れてダブルデートいかね!?」


 高坂くんの言葉に、思わず私は指定されたポーズを崩して立ち上がった。


「ええっ!? なんで!」


「めっちゃ楽しそうだし! それに前はなんだかんだ作戦のこと気にしてたから、今度は気兼ねなく遊びたいじゃん!」


「んー」


 一理ある。ほかのクラスメイトとは違って美菜には高坂くんと付き合い始めたことを報告してあるから問題はないし、確かに楽しそうだ。ただ……


「ただちょっと、なんというかその、恥ずかしいというか……」


 ここ一ヶ月、異性と付き合うということに不慣れすぎて、私は終始あたふたとしていた。付き合ってから初めてした美術館デートで唐突に手を繋がれ、「ひょわ!」などと奇声を発して跳び上がったときなんか顔から火が出るかと思ったくらいだ。

 そんなことを思い出しモジモジしながら伝えると、あろうことか高坂くんは私に抱きついてきた。


「紫音、お前マジで可愛いな!」


「ななな、なににゃに!?」


 黒歴史はこうして生成されていくらしい。



 *



 ひと通り絵を描き終えると、私たちは並んで土手に腰を下ろした。用意周到にも高坂くんはレジャーシートを持ってきており、すぐ隣で仰向けに寝転がっている。私も勧められたけど、さすがに恥ずかしいので大人しく体育座りだ。


「いやーのどかだなあ」


 青空を仰いで高坂くんがつぶやく。


「ふふっ、そうだね」


 ちょうど同じことを思っていたので、私は小さく笑って頷いた。

 川から吹いてくる涼風は心地良く、土手や河原に生えている草花をなびかせている。四月には花が満開だった桜並木はすっかり緑に衣替えをし、うららかな陽気に隠れた夏の気配がひしひしと感じとれた。

 また日曜日ということもあって、河原にはまばらに人がいた。水切りをしている小学生に、川釣りを楽しんでいるおじさんたち、私たちと同じようにレジャーシートを敷いている家族に、川沿いに置かれたベンチで寄り添い合っているカップル……。

 私たちも、そういうふうに見えているのかな。

 自覚すると途端に熱くなる頬は、一ヶ月経っても相変わらずだ。いい加減慣れろよと思わなくもないが、この気持ちを大切にしたいと思う自分もいる。慣れてしまうとなんだかもったいない感じがして、もう少しこの気恥ずかしさや幸福感を味わっていたいのだ。

 それに、今のところなんともないが、不幸の青い糸のこともある。チラリと左手に目をやれば毛糸ほどの青い糸が変わらず絡みついており、その先は寝転がる彼の手のほうへと伸びている。なるべく気にしないようにはしているけれど、やっぱり不幸の予感が身近にあるというのはどうにも落ち着かなかった。


「また明日から学校だしなー。ちょっとダルいなーこれは五月病かなー」


「そのわりには絵も勉強も陸上も頑張ってるよね」


「ふふん、今は彼女もいるからな~。やる気に満ち溢れてる」


「またそういうこと言うー。というか、どこが五月病なの」


 ただ、それでも。

 ずっとこんな時間が続けばいいなと思う。

 たとえ不幸の予感があったとしても、今は高坂くんと離れたいとは思わない。

 未来のことはわからないし、起きていないことを考えても仕方がない。

 さらりと小っ恥ずかしいセリフを吐く高坂くんの隣で、私は頬を赤く染めながら笑っていたい。


「まあでも、ほんとやる気のあるうちにやらないとだよな」


 人のことは言えないほど私も小っ恥ずかしいことを考えながら笑っていると、高坂くんが勢いよく跳ね起きた。近くに留まっていた蝶々が、驚いたように飛び立つ。


「なにかするの?」


「ああ。俺さ、進路を決めるためにもそろそろ親に絵のこと言おうと思ってるんだ」


 一陣の風が、彼の短い髪を微かに揺らした。

 その下には真っ直ぐに前を見据える、爽やかな笑顔が浮かんでいて。

 やっぱり高坂くんは、すごい人だと思った。

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