高坂くんに連れられてきたのは、既にお約束となった公園だった。
「ほら、そこに座って」
いつものように鞄をベンチに置いてから、高坂くんはブランコのほうを指差す。
「いやでも……というか、高坂くん、今日火曜日だよ? 部活は……」
「サボった」
あっけらかんと言う高坂くんに、私は思わず呆然とする。確か陸上部顧問の先生は生活指導の先生だった気もするけど、大丈夫なんだろうか。
「とりあえず、ほら。ポーズとか気にせず座るだけでいいから」
「う、うん……」
私は促されるがまま、ブランコに腰掛ける。キイッと鎖が小さく軋んだ。
かと思えば、隣でも同じように鎖が音を立てて揺れた。
「え?」
つい声が出た。
隣のブランコに、高坂くんが座っていた。しかも手にはキャンパスノートと鉛筆があり、慣れた手つきで描線を引き始める。いつもはブランコの正面にある鉄棒に腰掛けているのに、どうして。
「俺さ、じつは絵を描くのが好きなんだ」
「え?」
さらに疑問の声が重なる。
それは知っている。本当になにを言っているんだろうか。
「昔から描いてるけど全然ダメダメで、ほとんどの人は見向きもしないような絵しか描けない」
それは違う。少なくともこの前のコンクールで佳作をとってるし、私は高坂くんの絵が好きだし。
「こんな絵を描き続けるくらいなら、得意な勉強頑張って医師か弁護士になってお金を稼ぐほうが人生は上手くいく。あるいは、陸上にさらに打ち込んでインターハイやその先まで登り詰めて注目を浴びれば人生が大きく華やかになる。コミュ力を活かして人脈を築いて興味のある業界で会社を興したっていい。どう考えても、俺にはこいつらのほうが向いている」
ひと息に話してから、一度高坂くんは言葉を区切った。でも、手は絵を描くのを止めていない。
「そんなふうに思っても、親や先生や友達の純粋な期待を受けても、俺はやっぱり絵を描きたかった。勉強をするより、陸上をするより、絵を描いていたかった。心の奥底でいつも、静かに叫んでいた」
線を引く速度が、加速する。
「その叫びを人知れず聞いて、そっと背中を押してくれたのが春見だった。本人は無意識っていうんだから困ったもんだよな。でも、それはそれで嬉しかった。本心から言ってくれてるんだってのがわかったから。しかも、絵を描くことからデザインを学べる大学っていう選択肢をくれたのも春見だ。お前、どんだけすげーんだよ」
夕陽に照らされ、彼の顔とキャンパスノートが色を帯びる。昨日選んだ、あのオレンジ色に似た色が満ちていく。
「だからこそ俺は、春見を好きになった。いきなり気持ちが口から漏れてしまったのは予想外だったけど、順番が違うだけで一番大切な気持ちは変わらない。これからもっともっと俺のことを知ってほしいし、好きになってほしい。そんな希望も込めて、もう一度言う」
くるりと、彼の手の中でノートが反転する。
完成するまでは秘密、などと言われて結局一度も見せてくれず、昨日拾った時にもなんとなく見なかったページが、上方に書かれた文字とともに視界に飛び込んできた。
――題名『希望と初恋』
「春見、好きだ。俺と恋人になってほしい」
夕陽の中で、ブランコに腰掛け朗らかに笑う一人の少女の絵とともに、彼の優しくて真っ直ぐな声が私の心を震わせた。
鉛筆のみで描かれた下書きのはずなのに、それは鮮明な質感を伴って胸の内へと響いてきて。
固めたばかりの悲壮な決意が溶けていく。
甘やかで、温かくて、とろけるような熱が、私の心から身体へと広がっていく。
視界の端に漂っている、私と高坂くんを繋ぐ青い糸すらも愛おしくなるほどに、私は高坂くんとその手にある絵に見惚れていた。
「はい」
トクトクと心地良いリズムで打ち鳴らす心音を感じながら、私はそう答えずにはいられなかった。
こうして私たちは、恋人同士になった。