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第19話 離れたいのに

 翌日。私はかなり早めに登校し、公園から持って帰った高坂くんのノートを彼の机の中に入れた。直接手渡しても良かったけど、どうにも今は顔を合わせにくかった。

 一応、メッセージだけは飛ばしておいた。高坂くん個人にメッセージを送るのは何気に初めてだったから結構緊張した。元々クラスのグループチャットがあったから連絡先は知っていたけど、絵や勉強をきっかけに話すようになったのは最近ということもあって、昨日の映画の時までやり取りをしたことはなかった。

 そしてきっと、高坂くんとの個人的なやりとりは、これからもほとんどすることはないと思う。

 昨日、私が帰宅すると、やはり両親はまだ喧嘩の真っ最中だった。うんざりしつつも、わざとらしく明るめに「ただいまー!」と玄関から叫んでやった。二人はなにやらリビングでバタバタと物音を立ててから、顔だけのぞかせて出迎えてくれた。薄暗い廊下で手だけ振り、私はそそくさと自室に引っ込んだ。

 あんなふうに、なりたくない。

 あんなふうに、高坂くんと言い合いなんてしたくない。

 あんなふうになってまで、高坂くんと結ばれたいなんて思えない。

 だから私は、この絵のモデルが終わったら、高坂くんと距離を置くことにした。その第一歩が、面と向かっての接触をなるべく避けること。このノートの返却だって、その一環だ。


「わっ……と」


 早すぎて誰もいない教室でぼんやりしていると、スマホがポケットの中で振動した。見ると、高坂くんからのメッセージだ。ほとんど反射的に加速してしまう胸のあたりが落ち着くのを待ってから、私はアプリを開く。


『おはよ!』

『ノート持ってったの、春見だったんだ!』

『朝忘れたのに気がついて公園行ったけどなくて、マジ焦ったけど良かった~!』

『ありがとな!』


 立て続けにポコンポコンと送られてくるメッセージに、私の口元は緩んでしまう。そんなことに気がついて慌てて真一文字に引き締めてから、私は「どういたしまして」の吹き出しがついた猫のスタンプだけを送った。


「ふう……」


 これでいい。本当はもっと話したいけれど、やりとりが始まってしまえば辞め時を見失ってしまう。少しずつ、少しずつ遠ざかっていかないと。

 私は高坂くんのアイコンをタップして通知をオフ設定にしてから、既読も確認せずにアプリを落とした。机に突っ伏して、しばし視覚もシャットアウトする。

 これでいい。これでいいのだと、何度も自分に言い聞かせた。



 *



「おい、春見。ちょっといいか?」


 それなのに。

 昨日の夜に固めた決意を踏みにじるかのように高坂くんから声をかけられたのは、放課後のことだった。


「え、高坂、くん?」


 私は驚いた。美菜も含めて、部活に所属している人はほとんど教室から出て行っている。当然、陸上競技場まで移動する必要のある高坂くんも同じだと思っていたのに、なぜか高坂くんは教室に残っていた。

 彼は教室を見回し、残ったクラスメイトの注意がこちらに向いていないのを確認してから小声で話し始めた。


「メッセージ、見た?」


「いや、見てない、けど……」


 なんだか、いつもの柔らかな印象とは違っていた。嫌な予感がしつつ、私はアプリを起動する。


『でもさ。俺がノート忘れたの解散したあとだったのに、公園に戻ってきてたの?』

『おーい』

『もしかして、なんかあった??』


 三件、メッセージが来ていた。昨夜のことを思い出してついまた涙ぐみそうになり、必死に歯を食いしばった。


「俺、じつは春見とわかれたあとに公園に残って続き描いてたんだ。早めに完成させたくてさ。それで帰ったのが八時近かったんだけど、その後に春見は公園に来たってことだろ? そんな時間に、なんかあったのかなって」


 表情は深刻そうなのに声は優しい。気遣ってくれてるのがひしひしと伝わってくる。

 でも、昨夜のことは知られたくない。


「や、その……ノートは今朝、たまたま見つけて」


「ほんとに?」


「うん。登校途中に、ちょっと寄り道してさ」


「……机にノート入れたってメッセージくれたの、今朝の七時だけど。そんな早くに?」


「あ、その……」


 誤魔化そうと嘘をついたけど、早速墓穴を掘った。私はバカか。

 なにか言い訳はないかと頭をフル回転させるもなにも思い浮かばず、私は俯くしかなかった。


「まあ、べつに無理にとは言わないけど、話して楽になることもあるかなって」


「……」


「場所、変えるか?」


「……」


 なにを言えばいいのだろう。

 両親のこと? 青い糸のこと? 私の気持ち? それともすべて?

 ……言えるわけがなかった。

 私の家庭事情なんてどうしようもない重い話だし、結ばれると不幸になる青い糸が見えるとかファンタジーすぎるし、私の気持ちに至っては論外だ。

 肯定も否定もせずに私が目を彷徨わせていると、ふっと息を吐く音が聞こえた。


「春見。今からちょっと時間ある?」


 いつかの日のように誘われたのは、教室にいるのが私たちだけになったころだった。

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