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第9話 告白

 高坂くんに連れられてやってきたのは、人気の少ない公園だった。


「この公園、学校から少し離れててほとんど人来ないわりに桜とかきれいでさ、結構穴場なんだよな」


 教室で見た真剣な表情は鳴りを潜め、今はいつもの爽やかな高坂くんに戻っていた。

 対して私は好きな人の隣に並んで十分以上も歩いた時点で既にいっぱいいっぱいになっていた。道中は高坂くんが気を遣ってなにか話してくれていたけど、ほとんど覚えていない。行き先や理由についても「着くまで秘密」とか言われてもうドキドキしっぱなしだ。


「さっ、ということで目的地に着いたことだし、言うんだけどさ」


「う、うん」


 いったい、なにを言われるんだろうか。

 真っ先に脳裏をよぎったのは告白だった。けれど、それならべつに場所を移す必要はないし、あれしきのことで高坂くんが私を好きになってくれるはずもない。恋愛経験は豊富だろうし、ちょっと元気づけられただけで落ちるちょろい私なんかとは違う。

 となると、やっぱりさっきの感想の件だろうか。絵を自分で描きもしない人が偉そうになにをいってるとか……いや、こんなとこまで連れてきてそれはないか。じゃあ、あれか。むしろもっと感想を聞きたいとかかな。SNSで創作をしている人の投稿をよく見るけれど、感想をくれたら飛び上がるほど嬉しいとか、もっと聞きたいしもっと頑張ろうって思えるとか書いてあった気がする。高坂くんは絵を描くことを恥ずかしがってるし、学校だと万が一誰かに聞かれたらということも考慮して場所を移したとか……。

 道中にも考えたことが脳内で再浮上しているところへ、高坂くんは一度言葉を区切ってから口を開いた。


「次に出すコンクールの、絵のモデルになってくれないか?」


「…………へ?」


 彼の口から出た答えは、私の想像のさらに斜め上を行っていた。コンクール? モデル? 聞き間違いだろうか。


「次のテーマがさ、『黄色』なんだ。今日言ってくれた言葉を聞いて、春見を描きたいって思ったんだ。だから、頼む!」


「え、ちょ、ちょっと待って! いったいどういうこと?」


 どうやら聞き間違いじゃないらしい。というか話の流れがまったくわからない。テーマが『黄色』? なんで『黄色』だったらモデルが私なの? そもそもさっきの言葉を聞いてって、どゆこと?

 戸惑う私に、高坂くんは慌てて説明を補足してくれた。


「あーえと、悪い。じつは俺、絵を描くのが好きなんだ」


「え? うん」


 それは知っている。あの素敵な絵を見ればすぐにわかる。


「でも、実力はぜんぜんでさ。小学生の時から描いてるのに入賞はおろか佳作にすら入ったことがなかったんだ。コンクールはもちろん、学校の美術の課題ですら選ばれない。十年近く描き続けて、この前やっと小さなコンクールの佳作に入れたんだ。それが、あの駅に飾ってあるやつなんだ」


「あ、そうだったんだ」


「うん、ほんとようやくって感じ。でも上の賞の絵見ただろ? もうレベル違いすぎてさ。さっきも言ったけど、俺ってまだまだなんだなって思い知らされた。ほんと、昔からそうだった。俺には絵の才能なんてない。絵なんかよりもむしろ勉強とか陸上、あるいは人付き合いとかそういう処世術みたいなもんが上手い人。親とか先生とか友達とか、周りが俺を見る目がそういう目だった。そういうイメージがついていたと思うし、事実俺は勉強も陸上も人付き合いも苦手じゃない。むしろ得意だし、楽しくもある。でも、本当は絵を描くほうが好きだった」


 自嘲気味に、高坂くんは笑った。なにかを我慢しているように見えた。


「俺は、周囲が期待する自分へのイメージを保つために、絵を描くのが好きだってことを隠してきた。絵を描くのが好きだって言って、見せて幻滅されたり微妙な反応をされるのが怖かった。だから、友達はもちろん、親だって俺が絵を描くのが好きなことは知らない。このノートもそうだ。これは数学のノートじゃないんだ。数学の時間に、こっそり絵を練習するためのノートなんだ」


 そこで、高坂くんはまた言葉を区切った。一度深呼吸をしてから、彼は真っ直ぐに私を見た。


「だから、このノートを春見に見られたとわかった時は正直焦った。どうにかいつもの自分を取り繕おうとしてた。そしてなんとか誤魔化して、その場から逃げようとしたら……春見が俺の絵を褒めてくれたんだ。すごく嬉しかった。ノートだけを見て褒めてくれたんならまだしも、まさか駅に飾ってある他の絵を見たうえで俺の絵を素敵だと言ってくれた。なんていうか、ちょっとクサいけど、希望の光が差し込んだような気がしたんだ」


「あ……」


 そこまで言われて、私の中で彼の言いたいことが繋がった。


「次回のコンクールのテーマは『黄色』だ。この『黄色』というのをどう解釈するかがひとつの審査基準になってくる。ストレートに黄色いものを描いてももちろんいいんだけど、俺はその『黄色』を『希望』と解釈して描きたいんだ」


「な、なるほど。だから、私にモデルを……」


「うん。言葉足らずでごめん。ちょっと先走ってというか、心が急いてた」


 高坂くんはくしゃりと相好を崩した。夕陽の光に反射してか、いやに眩しい。

 でも、そうか。

 私の言葉が、高坂くんの中で希望の光になってくれてたなんて、ちょっと嬉しい。ううん、すっごく嬉しい。やばい。顔がにやけそう。


「だから、頼む。俺、もっと上の賞に入ってみたいんだ。協力、してくれないか?」


 そう言って、高坂くんは頭を下げた。今度は私が慌てる番だった。


「ええっ!? ちょ、顔を上げて!」


「お願いだ。無理を承知で言ってるのはわかってる。ただ、どうしてもやりたいことなんだ」


 困る。困るよ。

 私はちらりと自分の左手に目をやった。そこには変わらず不幸の青い糸が絡みつき、その先は真っ直ぐに高坂くんの左手へと繋がっている。


「え、えと……」


 ぐるぐると私の中をいろんな考えが駆け巡る。

 純粋な気持ちとしては、協力したい。好きな人のお願いなんだから、私にできることはなんだってしたい。

 でも青い糸のことを考えるなら、私と高坂くんは近しい関係であってはいけない。なるべく遠い関係で、親しくならないほうがいい。それに絵のモデルというのはなんか恥ずかしいし、受賞して駅に飾られるなんてことになれば恥ずかしさの比は桁違いだ。

 ただそれでも、私は高坂くんの絵も好きだ。高坂くんがどんな『希望』を描くのか興味がある。しかも、青い糸ついてもべつに高坂くんと付き合うわけじゃない。高坂くんが言っているのは、あくまでも上の賞に入りたいという自分の夢に協力してほしいということだけだ。恋人関係とかになるわけじゃない。

 また、あんなに高坂くんの絵を褒めちぎっておいて、今さら絵に関する頼みを断るのもどうかと思う。やっぱりあれはお世辞だったのかとか思われて、絵を描くという好きなことを辞められるのも嫌だ。

 だからこれは、仕方のないことなのかもしれない。

 めまいのしそうな葛藤の末、私はふっと息を吐いてから言った。


「……うん。わかった。それで、私はどうすればいいの?」


「え! マジで!? ありがとうー!」


 パッと頭を上げたかと思うと、高坂くんは今日一番の笑顔で顔を綻ばせた。どきりとしたのは言わずもがな、ただでさえ早い私の心音がさらに早くなっていく。彼自身の言う通り、確かに高坂くんは人付き合いが格段に上手らしい。

 興奮気味の高坂くんが落ち着くのを待ってから、私は改めて次のコンクールに出す予定の絵について尋ねた。高坂くんはベンチに鞄を置いてしばし公園内を見渡すと、ブランコのほうへ私を誘導する。


「ここにさ、普通に腰掛けてくれない? ちょっと眩しいかもだけど、夕陽側に顔を向けて」


「う、うん」


 私も鞄を置き、言われるがままにブランコに座る。それから細かな指示に従って鎖を持つ手の位置や顔の向きを変え、表情も頑張って作った。


「よし。早速で悪いんだけど、だいたいのイメージだけでも描きたいから、しばらくそのままでいてくれる?」


「は、はい……」


 高坂くんはブランコの前にある鉄棒に器用に腰掛け、先ほどのキャンパスノートを広げた。そしてしばらく私のほうを見つめてから、教室でも見たことがないほど真剣な顔つきで鉛筆を動かし始める。

 これが、高坂くんが絵を描く姿なんだ……。

 一際大きく、私の心臓が跳ねた。初めて見る好きな人の表情に頬も熱くなっていく。

 それだけじゃない。図らずも、私は今好きな人に唯一無二の真っ直ぐな眼差しを向けられているのだ。平静でいられるはずもなく、ドキドキしないほうが無理だ。


「あ、言い忘れてたけど、辛くなったらいつでも言ってね。それと、話くらいなら全然してもらって大丈夫だから」


「はーい……」


 といっても、いったいなにを話せばいいんだろうか。今日はそれなりによく話したけれど、私が避けていることもあって普段からお喋りをする仲ではない。どうしたものか。


「そういや春見ってさ、絵見るの好きなの?」


 指示通りの姿勢で固まったまま思案していると、ふいに高坂くんが話しかけてきた。驚きと緊張でビクッと肩が跳ねて笑われたけれど、私は取り繕って返事をする。


「うん、まあ結構好きだよ。でも、なんで?」


「ほら、駅にあった鑑賞コーナーってかなり奥のほうにあったじゃん? 通りからも外れてるし、あるのに気づいても絵を見るのが好きでもないとわざわざ奥まで行って見ないだろうなって思って」


「あー確かに。私も電車が遅れてなかったら気づかなかったかも。もっと手前にあればいいのにね」


 言われてみればそうだ。あんな場所にあってはなかなか目に留まらないだろう。高坂くんの絵はもちろん、他の絵も素晴らしかったし、なんだかもったいない。

 けれど、高坂くんは私の言葉にかぶりを振った。


「いや、俺はむしろあの位置で良かったけど。春見は褒めてくれたけど、やっぱりどうしても俺の下手さが際立つし」


「えー私は高坂くんの絵、もっといろんな人に見てもらいたいって思ったけどなあ」


 視線はそのままに、私は頭の中で『春心』を思い浮かべる。うん、やっぱり素敵な絵だと思う。


「また嬉しいことを言ってくれるね。春見は人を褒める思いやりの天才だな」


「未だかつて言われたことないけど」


「マジで? あーでも確かに、春見は驚かし癖があるからなー」


「ねー、そのネタいつまで引っ張るの」


「あははっ。ジョーダンだよ」


 むくれる私に、高坂くんは朗らかに笑った。

 会話が弾む。楽しい。そのおかげか、みるみる緊張も解けてきた気がした。

 もっと話したいななんて思って、次は私からと話題を探す。


「高坂くんは、風景画を描くのが好きなの?」


「ん? ああ、そうだよ。小さい頃に行った丘陵公園の高台の景色に感動してさ。その時からぼやっと風景画らしきものを描くようになった」


 手を止めずに高坂くんは答えた。

 ちらりと横目で様子をうかがうと目が合いそうになり、すぐさま視線の先を夕陽に戻した。心臓は、相変わらず情けない音を立てている。


「あの『春心』もさ、ここで自主練してた時に桜を見て思いついたんだ。そのままの風景でも良かったんだけど、俺パースが苦手だからちょっと構図変えようかなって」


「へぇ……! ここであの絵が!」


 興奮のあまり、今度は思わずキョロキョロと辺りを見回した。

 これまで私は、自分が好きだなと思った絵が生み出された場所に行ったことはなかった。だから、ここが好きな絵の生誕の地だと言われれば自然に心が弾む。入り口にある桜並木のそばか、少し離れたところのベンチか。『春心』は、いったいどこで描かれたんだろう。


「春見、視線は前で」


「あ、はい」


 そうだった。動いちゃいけないんだった。シュッと慌てて元の姿勢に戻すと、また高坂くんが笑った。


「ふははっ。いやー、春見ってやっぱ面白いわ」


「いやいやどこが」


「なんかもう、全体的に」


「なにそれ。意味わかんない」


 ついいつものくせで素っ気なく突き放すも、高坂くんは気にしたふうもなくまたあけすけに笑った。その笑顔はいつもの柔らかな笑みとは違う。好きなことをしているからか、少年のような純真さを感じた。


「ふふっ」


「え? なに?」


「いーや、なんでもない」


 我慢しようとしても、堪えきれず笑みが込み上げてくる。

 貰い泣きならぬ、貰い笑い。去年私の心を打った優しい笑顔も素敵だけれど、今の笑顔もとっても素敵だ。こっちにまで、楽しさが伝わってくる。


「ただね。高坂くんは本当に絵を描くのが好きなんだなあって、思っただけ」


 こんなふうに笑えるのは、やっぱり絵を描くのが好きだからだろう。

 好きなことをして、楽しくて、だからこんなふうに笑えるんだろう。

 その一端に、少しの間だけでも協力することができて本当に幸せだ。


「やっぱり高坂くんは、絵を描いてるほうが高坂くんらしいよ」


 好きな人が、好きなことをしていて、純粋に楽しく笑っている。しかも私は、そのモデルになっている。これだけで、私にとっては十分だ。

 私も踏ん切りをつけて、前に進まないと。

 左手から伸びる青い糸を一瞥し、私は密かに恋を諦める決意を固めた。



「――春見、好きだ」



 世界の音が止んだのは、その直後だった。

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