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第1話 新学期の始まり

 眩しい春の日差しが、教室に降り注いでいた。

 開け放たれた窓からは爽やかな風が吹き込み、黒板に貼られた座席表を小さく揺らしている。

 その前では「やったー! 俺一番後ろの席~!」だとか、「ええ~! 去年に続いてまた私教卓前なんだけど~!」だとか、「二年でも席隣だね! よろしく!」だとか、色とりどりの賑やかな声が響いている。

 それもそのはず。今日は高校二年生になった新学期の初日だ。制服も指定鞄も一年生の時と同じだけれど、心も同じというわけにはいかない。一年を経て高校生活に慣れ、かわいい後輩の入学に胸を躍らせ、少しずつ迫る受験の気配からは目を逸らす。そんな期待と不安が入り混じるのも無理はない。


「はぁ……」


 けれど、私は違った。

 一年生の時から変わらず、周囲に気づかれないようため息をこぼす。新しい自席に座り、薄い指定鞄から筆箱だけを机の中に入れ、あとはスマホに目を落とす。

 五本、か……。結構多いなあ。

 先ほど見えた教室内を縦横に伸びる青い糸の数に、私は辟易とした。

 去年、高校一年生の教室で見えたのは二本だけだった。そのうちの一本は、勉強もできてスポーツも得意な男子と、明るくて笑顔の可愛い女子の小指同士が青い糸で繋がっていた。二人は秋ごろに付き合い、冬の初めに別れた。聞いた話では、なんでも趣味の考え方がまるで合わず、大喧嘩をしたらしい。それだけなら当人同士の話なのでなんの関係もないのだが、別れてからしばらくはどこか教室の空気が張り詰めていた。スクールカーストでも上位の二人が大喧嘩をして別れ、互いに敵意をむき出しにしていたのだから当然といえば当然だが、正直いい迷惑だった。

 二本だけでもそんな感じで大変だったのに、二年生のクラスでは五本ときた。勘弁してほしい。

 憂うつで沈む心を紛らわせようとSNSアプリを開き、なんてことはない投稿を流し見する。けれど、流れてきた写真にどこぞのカップルを繋ぐ青い糸が映っていて、私はすぐアプリを閉じた。


「やっほー! 紫音、おはよー!」


 そこへ、唐突に明るい声が割り込んできた。聞き慣れた透明感溢れる声に救いを感じながら、私は顔を上げる。


「美菜、おはよ!」


 沈んでいたことがわからないよう、私はできる限りの笑顔をつくった。目は細めて、口角をしっかり上げる。周囲を心配させないように練習してきた成果もあってか、これまで見破られたことはない。

 案の定、中学から友達の美菜も特に気にした様子はなく、私の前にある自分の席について話を続けた。


「いや~二年でも紫音と同じクラスでほんと良かったー! 結花とはべつのクラスになっちゃったから、あとで茶化しに行こうね!」


「結花は理系だもんねー。てか、茶化しにってなに」


「あれ、知らない? 結花、春休みに告白されて恋人できたんだって! しかも二年から同じクラス!」


「ええー! そうなの! 知らなかった! 昼休みにでもいろいろインタビューしないと」


 私たちはいつものように、会話に花を咲かせていく。いつの間にか、心は随分と軽くなっていた。本当に美菜には感謝だ。

 美菜は中学一年生の時にクラスが一緒になり、そこから仲良くなった。地味でパッとしなくてコミュ力が平均よりやや下の私とは違い、可愛くてオシャレで優しくて天真爛漫なハイスペック女子だ。友達も私とは比べものにならないほど多く、高校での私の友達のほとんどが美菜経由でできた友達だ。もちろん、結花も例外ではない。

 そしてそれほどのハイスペ女子をハイスペ男子たちが放っておくはずもなく、美菜は定期的に誰かから告白されていた。もっとも、美菜は優しいけれど自分の好みもしっかりと持っており、流されて付き合うといったことはない。断るところは曖昧にせず断り、本当に好きだと思った人とだけ付き合っている。ただ……。


「それで、美菜のほうは彼氏と最近どうなの?」


「ああ、そう! 聞いてよ~紫音~! 修二がさ、ぜんっぜん連絡くれないの! 遠距離恋愛って疎遠になりがちだからなんでも話そうねって言ってたのに!」


「あらー。でも、山本先輩の行ってる大学って、関東で結構頭のいいところだよね? 勉強で忙しいんじゃない?」


「と、思うでしょ? 修二本人もそう言ってきたんだけど、ほら、これ見てよ!」


 美菜が見せてきたスマホの画面には、一枚の写真が映し出されていた。どうやら私がさっきまで見ていたSNSアプリの投稿らしく、「#友達と、#遊園地、#マジ最高!」などのタグ付けがずらりと並んでいる。さらにその下には、川釣りやキャンプ、海でバーベキューなどいかにも大学生といった投稿が続いていた。


「……山本先輩、すごくキャンパスライフをエンジョイしてるね」


「もう最悪! ぜーったい私のこと飽きてきてるよ! もう~っ!」


 美菜は早口で愚痴こぼしながら私の机の上に突っ伏す。その拍子に、美菜のスマホの後ろに貼られた小さなプリクラが見えた。


 ……やっぱりか。


 フィルターやら落書きやらといった加工がなされたプリクラ。しかし、そこには加工とは違う一本の青い糸がくっきりと映っていた。


「もう~~っ、なんで私ってこうも恋愛運ないんだろ。もしかして私ってダメダメなのかなーー……。ううう~~~~」


 美菜が嘆くのも無理はない。美菜は頼りがいのある積極的な年上が好みなのだが、これまで付き合ってきたほぼすべての人と半年もしないうちに別れていた。理由は様々だが、今の山本先輩のように遠距離になったことをきっかけに離れたものもあれば、浮気をされたり、少しハードなものだと喧嘩から暴力に発展しそうになって別れたものもある。そしてその相手はすべて、美菜と青い糸で繋がっている人たちだった。


「だ、大丈夫だよ、美菜。美菜はすっごく可愛いし、優しいし、ぜったい幸せな恋愛できるよ!」


「えーー……ほんと? ほんとにそう思う?」


「うん、すっごく思う!」


「うう~~ありがと~~紫音。少しだけ元気出たよう~~」


 ひしっ、と大仰に抱きついてきた美菜の背中をさする。少しあざといところもあるけれど、それは暗い話が深刻になりすぎないようにとの彼女なりの配慮でもあり、本当に優しくていい子なのだ。そんな美菜が青い糸と繋がれた人とばかり付き合って悩んでいるのは私としても悲しいけれど、最悪な不幸に見舞われていないだけまだ良かった。私もずっと助けられているし、やっぱり美菜には幸せな恋愛をしてほしい。


「……はい。私の話はこれでおしまーい。……と、いうことで! 今度は紫音の番ね!」


「ええっ!? 私?」


 中学からの親友の幸せを願っているさなか、突然の背信行為をされた。私の声が裏返る。


「もちろんでしょ~! ほら、春休みになにか進展はなかったの?」


「し、進展って、私は特になにもないよ。特定の誰かと仲いいわけでもないし、付き合っている人もいなければ好きな人もいないし」


「へぇ~?」


 意地悪っぽい笑みを浮かべ、美菜はちらりと視線を教室の前方へ送った。そして戻ってきた視線の意味を理解しつつも、私は素知らぬ顔で首を横に振る。


「なんにもないってば」


「ふ~ん? まぁいいけど、なにか手伝ってほしいこととかあったら言ってね! 茶化しながら全力で応援しますから~」


「だ、だから……!」


 頬の熱を感じつつ、わちゃわちゃとじゃれ合う。

 本当に私たち……いや、私は一年生の時から変わっていなかった。

 黒板の前で私たち以上に笑いながらじゃれ合う男子の集団に、私はこっそりともう一度視線を向ける。


 高坂くん……。


 一年生の時から想いを募らせている、私の好きな人が友達と笑い合っていた。

 教室に伸びる五本のうちの一本を、私の小指に絡ませながら。


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