「私、確信したわ。あなたとじゃ幸せになれないって――」
一年間つきあった彼女から、いきなり別れを告げられた。その後、僕はどうやって家まで帰ったのか記憶がない。気がつくと、真っ暗な自部屋でひとりうつむいていた。なんだよ、幸せになれないってさ……。
そもそも最初に言い寄ってきたのは彼女のほうだ。バイト先のコンビニで一緒のシフトに入ることが多くて、向こうから「連絡先交換しよう」って言ってきて、気がつけば深い話をするようになって、ある日バイト終わりにふたりきりで飲みに行って、その夜に……。それだけ。ただそれだけの関係。好きっていうか流れでつきあっただけだし、彼女にそんな思い入れなんてないし、ちっとも悲しくなんか――。
スマホを握り締め、泣いていた。わずか一年、されど一年。彼女のいろんな表情がまぶたの裏に浮かんでは消える。僕のなにがダメなの?どこが気に入らないの? ねぇ、ねぇ教えてよ、直すから! そんな女々しい言葉ばかりが頭の中で渦を巻く。こんなに別れがつらいのなら、いっそ出会わなければよかった。いや、出会っていたとしても、あの日のバイト終わりに飲みにさえ行かなければ――。
不意にスマホが鳴り、僕は慌てて画面を見た。彼女か!? ……いや、ニュースサイトの通知だ。再び絶望の底へ沈もうとする僕の目に、見出しの文字が飛び込んだ。
『都市伝説!? 過去の自分に電話できる?』
……気がつくと僕は、その記事を読んでいた。なんでも、スマホの設定画面に表示された自分の電話番号を十回連打すると過去の自分に繋がる、という噂が中高生の間で広まっているそうだ。記事の執筆者も試しにやってみたが繋がらなかったらしい。なんだよ、ガセネタかよ。こんな記事書いて給料もらってんだから、記者なんて楽な仕事だよなぁ――。
……気がつくと僕は、スマホに自分の電話番号を表示させていた。バカバカしい話だと思いながらも、そういうものにもすがってしまうほど今の僕は弱っているのだ。記事によると、過去のどの時点に繋がるかはわからないらしい。強く念じればその念じた頃の過去に繋がるとか繋がらないとか諸説あるそうだが、でも、もう今の僕にとってはいつでもいい。繋がったら過去の自分に忠告してやるんだ、「あの女には気をつけろ」って。
深呼吸して、画面を見る。よし、やってやる、やってやるぞ――。一回、二回、三回……人差し指で連打していく。八回、九回……十回目をタップした瞬間、いきなり着信音が部屋に鳴り響いた。
えっ? 電話が繋がるって、過去からかかってくるパターンなの? えっ? 画面に彼女の名前出てるけど……なんで? あ、そうか、単に彼女から電話がかかってきただけ……え!ええっ――!
「も、もしもし!」
「……もしもし」
「何?こんな時間にどうしたの?」
「……あのね、やっぱり、別れたくない」
「えっ?」
「なんかいろいろ思い出してたら、私にはヒロ君しかいないな、って」
「……そっか、そっかぁ」
「もしかして……泣いてる?」
「泣いてないよ!泣いてるわけないだろ――うう、よかった、よかったぁ……」
「やっぱ泣いてんじゃん」
「……だってさー、急に別れるとか言われたから、うう……」
「ちょっとー、泣きすぎ、アハハ――」
もう過去の自分に電話をする必要は、なくなった――。
それから四年が経ち、僕達は結婚した。いまや僕は、大手の出版社に勤めるサラリーマン。彼女が家庭に入ってもやりくりできるほどの収入は得ている。
あの別れ話の後、彼女は今までのサバサバした感じから打って変わって、僕に尽くしてくれるようになった。彼女に理由を聞いても「えー、好きだからに決まってるでしょ」としか言わない。まぁ、それだけ好いてくれているのなら、僕にとっては本望。そしてそれが、結婚を決めた理由だった。
日曜の朝。休みでいつもより遅く起きると、食卓には既に朝食が並んでいた。
「おはよう、今、味噌汁温め直すから」
幸せなひとときだ。彼女、いや、妻の料理はおいしい。ついつい食べ過ぎてしまい、最近ちょっと太った気がする。
「朝ご飯食べてる間に、ちょっとスーパーに買い物行ってくるね」
「うん、わかった」
妻が身支度を整えている間に、僕は朝食を半分ほど平らげた。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「……あのさ」
「ん? なに?」
「……朝ご飯、おいしい?」
「おいしいよ、君の作るものはなんだって」
「……そう、よかった、じゃあね――」
急にいったいなんなんだろう? 妻の唐突な問いかけを疑問に思いながらも、ご飯をほおばりながら妻を見送った。程なくして僕は残りの朝食を食べ、ソファに横になりテレビをつけた。
突然、キッチンのほうから電子音が鳴った。
なんの音? キッチンに行ってみると、妻のスマホがあった。ははぁ、うっかり忘れていったんだな。電話みたいだけど、誰からだろう?
だが、画面を見ても相手の名前や電話番号は表示されていない。
……非通知?いや、それならそのように表示が出るはずだ。考えている間にも音は鳴り続け、止む気配はない。私は思わず電話をとった。
「もしもし?」
電話口から聞こえる女性の声。これは紛れもなく、妻だ――。
「そろそろかなと思って電話してみたの。私の指示通りうまく調達できた?ほとんど味も匂いもないから、食事に混ぜたらわかりゃしないわよ」
頭がこんがらがっている。いったいこれはどういう――あっ。
「もしもし?聞いてる?買い物から帰ったら床に旦那が転がってるから、すぐ業者に電話するのよ。あとはうまく処理してくれるわ。とにかく落ち着くのよ。このために四年間段取りしてきたんだから――」
話さずにはいられなかった。
「……僕だけど」
「……なるほど、そういうことなのね。それであの時、未来の私と会話がいまいち噛み合わなかったのか」
「あの時っていつ?だいたいさっきからなにを言っているの?」
「でもこうして、時間差で最後の会話ができるなんて、神様も粋な計らいするわね」
「最後?だからどういう――」
その言葉と一緒に、僕の胃の中のものはすべて吐き出された。
猛烈に胸が締めつけられ、呼吸ができない。床に転がりのた打ち回る。体のいたるところが痙攣している。そうか、そういうことだったのか。すべてはこの計画のために仕組まれた猿芝居。最初から妻は僕の財産が目当て。四年前から周到に準備して結婚に持ち込んだんだ……未来の妻からの助言によって。
いつの間にか、僕のスマホがポケットから床に投げ出されていた。朦朧とする意識の中、それをつかみ取り設定画面を開く。
妻にできたのなら、僕にだってできるはず。過去の自分に忠告してやるんだ、「あの女には気をつけろ」って。そうすれば、この運命もきっと変わる――。
震える指に全神経を集中し、自分の電話番号をタップする。
一回、二回、三回……八回、九回……十回――!
力任せに耳に押し当てたスマホからは、確かに呼出音が聞こえた。……出ろ! 出ろ! 頼むから電話に出てくれ、過去の自分よ!
呼出音が途切れ、声がした。
「もしもし――?」
「……あれ?なんで僕のスマホで電話してるの?」
「電話が鳴ってたからとったのよ」
「誰から?」
「うーん……間違い電話みたい。荒い息づかいで訳わかんないこと言ってた」
「本当?なんだか気味が悪いな」
「酔っぱらいかなにかよ、きっと。……今のあなたみたいに」
「おいおい、仕方ないだろー、みんな飲ませるんだもん」
「アハハ、ごめん」
「でも、シャワー浴びてだいぶ酔いが醒めたよ。……いい結婚式だったな」
「そうね、感動しちゃった」
「……なぁ、幸せになろうな」
「ええ、もちろんよ。私、あなたとなら絶対幸せになれるって思うもん」
「そっか、そう言ってくれると嬉しいよ」
「……さっきの電話で、確信したわ――」