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なんて迷惑な女だと思われただろうな。

彼がいる。


1つ年上の先輩。

七瀬先輩が。

そう。私は昨年、電卓で彼と同じチームだった。

私は、とあることをきっかけに彼に憧れを抱いていた。

南京錠を賭けたタイムカプセルの隙間から、少しずつ中身が溢れだす様に。

だけど、それは着実に私を過去に戻していった。


彼は、死んだのだ。

この大会から、数か月後に。交通事故で。


大会に出ることを聞いたその時に、思い出してもいいようなものを。

忘れていたのではない。思い出さないようにしていたのだ。


学校の集会で知らされて、目の前が真っ暗になった感覚を。

人が死ぬことの恐怖を、私は何もわかっていなかった未熟さを。


彼が生きている。

この時代では当たり前のものなのに、私には信じられない光景だった。


「どうしたの?」

「後ろ詰まってるよ。」

「あっ、ごめん!」


簿記と電卓は同じ教室だったため、一緒に来ていたのんちゃんたちに声をかけられ急いで近くにあった机に荷物を置く。目の前では電卓チームに問題を配っている彼。前に帝とやり取りをした時とは比べ物にならない位心臓が声をあげていた。


ちょうど1年前のこの頃は、ただのチームの先輩の1人という認識だった。いいや、少しだけ言い方の酷い訂正をしよう。彼の隣には、学校では有名なとってもかっこいい先輩がいつも居た。言うならば、先輩は『かっこいい人の隣でよく見る人』という認識。クラスメイトたちも軒並み憧れたのはそっちのかっこいい先輩。私はこの人にも興味がなかったが。


七瀬先輩の認識が覆ったのは、大会前日のことだった。その日は部活の関係で参加が遅くなり、問題を終える頃には私しかいなかった。1人しかいない教室にちょっとした恐怖と虚しさを感じつつ、もう帰ろうと鞄に電卓などをしまおうとしていた時のこと。

筆箱に着けていたキーホルダーがないことに気が付いた。心臓が一瞬だけひゅっとする、あの嫌な感覚。別に高額な訳ではない。

しかし、中学の頃に修学旅行で自分へのお土産として買った思い出の品ではあった。周りからしたら泥まみれの汚れたキーホルダーだとしても、私にとってはただのガラクタなんかではない。

記憶と攻防戦を繰り返し、必死に探し回る。ポケットの中。机の中。足元。キョロキョロするも見当たらない。早くこの教室から出たい焦りと、もしも誰かに踏んづけられてたらどうしようという不安。足元に気を付けながら必死に周りを見渡すもやっぱり見当たらない。


もう帰った方が良いのか涙目になっていると、突然扉の開く音が聞こえた。先生が来てしまったのかと思いビクっと肩を震わせると、目の前には七瀬先輩がいた。ばっちりと目が合ってしまい、お互いに若干の気まずい空気が流れる。私はもう恥ずかしくなってしまい、そのまま帰ろうとする鞄に手をかけた。


「ちょっと待って。ごめん、もしかしてまだ問題解いてた?俺、筆箱忘れて取りに来ただけだから。すぐ消えるから大丈夫だよ。」


彼がそう優しく声をかけてくれた。気を使ってくれた彼に申し訳なくて、私は下を向きながら言葉に迷っていた。すると、明らかに机が片付いているのに私が離れた場所に居たのが疑問に思ったのだろう。


「何か落とし物でもしたの?」


少しずつこちらへと歩み寄ってくれながら、そう聞いてくれたのだ。その声が優しくもあり、まるで迷子のこどもに話しかけているかのように聞こえて思春期真っ盛りの私。穴があったら入りたかった。

きっとこの時の頬はたこと同じくらいに真っ赤だっただろう。もう切り刻んでネギや天かすと一緒にたこ焼きにでもぶち込んでくれた方がよっぽど気が楽だった。

こんな時、大丈夫と虚勢を張ればいいのか、素直に手伝ってほしいと言えばいいのかもう分からない。ただ、目元が夕暮れの様にじんわりとどんどん赤くなっていったのを覚えている。その様子をみて焦ったのか、先輩は少し声を詰まらせながらも話を続けた。


「あの、俺、実は次のバスまで時間あるんだ。ここら辺、ほら、田舎だからさ、結構空いちゃうんだよね。だからその、もしも落とし物だったら、俺も付き合うよ?」


この話は嘘じゃない。実際にバスの時間が1時間くらい空くことはよくある。だけど、『ただ』大会で同じチームになっただけのほぼ面識のない『ただ』の後輩。『ただ』筆箱を取りきに来ただけなのに、何という不運に巻き込まれたのだろうと思ったに違いない。

それでも結局、申し訳なさよりも自分の大切なものを見つけ出したい気持ちの方が勝ってしまい、私はついに顔を真っ赤にしながら答えた。


「レッサーパンダの…キーホルダーを落としました。」


あぁ。これが財布とかだったのならどれだけマシだったことか。そうしたらきっと先輩だって「大変だ!」となったのだろう。こんな必死な顔をして探しているのが、まさかの修学旅行で自分宛に買ったキーホルダーとは。もう彼の顔を見るのすら怖い。


しかし、彼はすぐに鞄を置いて

「分かった!俺も頑張って探すから、見つけ出そうね。」

と笑ってくれた。


色々な意味で心臓が爆発寸前。彼はズボンが汚れることを気にせず膝をついて色々な所をみてくれた。後から思ったことだが、もしかしたら私がスカートだったから気を使ってくれたのかもしれない。なんて、自惚れてしまった。


結局、何故か皆目見当がつかないような廊下の端っこに落ちていて、そのキーホルダーを受け取った時はもう顔面どころか全身が真っ赤だったことだろう。このままポッポと音を立てながら海の中へ逃げたい位。


なんて迷惑な女だと思われただろうな。

それ以外の感想はない。

実際に迷惑な女だから仕方ない。

キーホルダーを両手で大事に抱えながら、何度も何度もお礼と謝罪を繰り返す。


「いやいや気にしないで。見つかってよかった。あぁいうのって、案外自分で探してると見つからないもんだよね。」


怒るでもなく、迷惑そうな顔をするでもなく、彼はただ笑っている。その表情に目が釘付けになり、磁石の様に容易に離すことができなくなった。

そして


「明日の大会、一緒に頑張ろうね。」


そういって手を振り颯爽と去っていく。

夕焼けの赤が私の体に馴染んで消えた。

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