「そういやもうすぐ商業の大会じゃん。」
あの学園祭から1週間。突然モモが思い出したように言う。私も言われてハッとした。
そういえば、この時期になると我が校は簿記やワープロ、タイピングなど、商業に特化した県内の高校が一堂に集い、その実力を競う大会があったのだ。検定勉強ばかりしている我が校も勿論それに出場が決まっており、この時期はその選手の選出があったのだ。選出方法もとっても簡単で、先生に声をかけられたら拒否権なく出場が決定する。
ちなみに、ここに来てから暫く経過したが、未だに私が帰れそうな気配はない。
「さくのは昨年電卓で出たんだっけ?」
「出た出た~。」
「てか学校から選ばれるのって何人ぐらいなん?」
「電卓は1年から3年まで合わせて10人くらいだったかな。のんちゃんとモモは簿記で出てなかった?」
「出たよー。簿記は結構多かった気がする。」
「簿記は大会に出てる人自体が多いし、この学校からも30人位いた。」
「みんな優秀だね~。うちはオールマイティでどれにも特化してないから今年も留守番確定だわ。」
「殆ど平均点のことをオールマイティっていうの上手いわ。」
「でしょ?」
いつものやり取りにもう懐かしさはなく、日常に溶けていく。
この大体は、昨年選ばれた人が翌年の大会に続けて出ることが多い。私は電卓が得意だったため、昨年は代表として選ばれた。そして、覚えている。私は3年間ずっとこの大会に電卓の選手として選ばれていた。
すると、ここで何か違和感を覚えた。それは思わず立ち止まってしまう程の。あれ。私、何か大事なことを忘れている気がする。でも、思い出せない。
まるで厳重にロックされたタイムカプセルみたいに。それは、思いさなければならないことなのに。なのに、どうしてだろう。頭がずっとそれを拒む。
「どうしたの?次モトヤマの授業だから送らたらバリ怒られるよ。」
「あっ、うん。ごめん今いく。」
結局そのもやもやした正体のしっぽを掴むことが出来ないまま、心を置き去りにして足だけを前に進める。
その授業の帰りにモトヤマに呼ばれ「今年も電卓よろしく。」とポンっと肩を叩かれ記憶通りに2度目の大会の選手になった。
そして次に言われた言葉は、
「じゃあ今日から放課後に簿記室ね。そこに置いてある問題3枚解いたら帰って良いから。何かあったら職員室ね。」
スピード報連相。ブラック企業よりブラックだ。
有無も言わずにこんなことをさせられるなんて納得がいかない!
というのは、どの生徒も頭に思い浮かぶことである。
しかし、モトヤマ。もとい、この学校のボスに逆らうと更にこっぴどいことになるのだ。信じられないかもしれないが、この学校は授業で答えを間違えたり、忘れ物をすると問答無用でチョークが飛んでくる。酷いときには黒板消しが飛んでくることもあるし、さぼった暁には机がなくなっているなんていうこともあった。
こんなこと昨今で起こったなら大問題だ。1年の頃のの大会では、道に迷った上、たった15秒遅刻しただけでこっぴどく怒られたなんていう苦い思い出もある。何はともあれ、ボスには逆らわず上手くやるのがこの学校では一番利口な生き方なのだ。
自分の時間が減るし、あまり乗り気ではないが「はーい」と返す。
そして他の2人は今年も簿記で選ばれていたため、放課後に仕方なく3人仲良くため息をつきながらそれぞれの牢屋を目指すのだった。
先に説明しておくと、この電卓の大会は、出された問題に対していかに正解が出せるかというのがポイントである。
1チーム5人制で、その正解数が多かったチームの勝利だ。
例えば、Aという学校では、4人が8問。1人が1問正解できたとする。
Bという学校では、4人が6点。1人が10問正解できたとする。
この場合、Aの合計点は33点。Bの合計点は34点。
よって、Bの勝利ということだ。
1人だけがミスを連発した場合も、逆にとても優秀場合も、どちらに転んでも大きく勝敗を左右する。だからこそ一人一人のスペックがとても大事なのである。今年も我が校からは10人出るので、2チームで出場することとなるらしい。ちなみにそのチーム決めというのも、先生が勝手に決めることなので仲がいいからチームを組む等ということは決して出来ない。
チームで戦うと言っても個人競技のようなもののため、運動部のように一緒に練習をするというよりは、放課後に勝手に問題を解いて終わった人から解散というものだった。
鎖を付けているかのように重い足取りで、既にカタカタと音が鳴り響く教室を前に思わず立ち止まる。
ああ。なんて面倒くさい。この頃にやってたドラマみたいのに。
そう思いながらも当時の恐怖政治を覚えている体は何とも素直で、そのままガララララっとドアを開けた。
一心不乱に電卓をたたく人。
頭を抱えてペンをがりがりとする人。
そして、黒板の近くで問題を配っている人。
その光景を見て私は全てを思い出した。