例えるなら、今まで校庭一週を毎日繰り返していた体に、突然町内1週を強制させられたかのような。そんな疲労感が襲う。
高校時代は町内1週が当たり前だったが、卒業以降はそこまでする必要がなかった。そうしてすっかり脳味噌も必要な分だけ体力消費することを覚え、それ以上に鍛えることを放棄していたのだ。今日は何の事前練習もなくこうして走らされたのだから、疲れるのは致し方ない。
授業中、何度も頭の中がぷしゅーという音をあげたが、辛うじて元気な手足で帰り支度を進める。ぺしゃんこになったスクールバッグをジジーっと開けると、あるものが目に入った。
それはぶら下げ紐がついたレッサーパンダの可愛い小銭入れ。当時は勿論クレカなど持ち合わせていなかったので、学校ではジュースや購買の牛乳プリンが買える位の小銭さえあれば充分だった。
後は、念のために緊急用としてパスケースに1000円札が1枚入っている。流石にこれだけでメイク用品を買うにはちょっと心許ないので、家にある財布がいつもよりも温かいことを願う。
そうだ。確か当時の私のお小遣いは5000円だった。
人にもよるが、学生時代のお小遣い制には大きく分けて2パターンある。1つは我が家の様に月々のお小遣いの金額が決まっているパターン。もう1つは、遊びに行く度に家族からお金が貰えるパターン。私の親は「大人になったら決められた給料で暮らしていかなければならないし、今の内から限られたお金の中で行動するのも一つの勉強だ」という理由から前者のパターンだった。
当時は遊びに行く度にお金が貰える子が羨ましくて仕方なかったし、何なら今でも羨ましいとは思える。
だが、この年になれば親が言いたかったことも十分すぎる程理解できる。自分で稼いだわけでもないのにお小遣いが貰えるというのは、本当に有難いことだったのだ。
色々な意味で大人になったのだなと、感傷に浸りながら帰り道を歩く。今日はバイトや部活で一緒の方向に帰る子はいなかった。当時はいつも誰かと一緒に帰ることが多かったので、1人で帰るこの道が何だか来た時よりも色あせて見えた。
疲労で重たいんだか、メイク用品を買いに行くことで浮かれているのか分からないちぐはぐな足を前後に動かし、やっとの思いで家に到着する。親も仕事でいないので手洗いうがいをした後、早速部屋へと駆け込んだ。
そして普段使いのカバンの中に入っている財布を開けると、中には2,300円が入っている。思ったよりも入ってはいたが、今後のことを考えるとあまり消費もしたくない。
「非常用のお金は使いたくないし、このお金で何とかしのぐしかないか。」
ぼそっと一言だけ発し、必死に最低限必要なものを考える。
高校時代、このお小遣いは殆ど漫画や買い食いに使うのが当たり前だった。昔の私が見たら、そのお金を削ってまでメイク用品を買う日が来るとは思いもしなかっただろう。脳内では早速
「あのブランドは高いからこのお金じゃ無理。あれならいける?いや。てか、この時代からあるブランドって何?そもそも、この肌ならあんまり必要ないのか?」
なんて1人で会議を始める。昔の私が経験できなかったことを、未来の私があーでもないこーでもないと言いながら実行するのが、どうしようにもなく不思議な気持ちだった。
メイクだって時代によって流行が違う。太眉が流行る時もあれば、チークが濃いのが流行る時がある。今でいう地雷系や韓国系という言葉は流行っていなかった。これは必要なものだけではなく、この時代にあったメイク自体も取得しなければ。
そう思い、今日の所はメイク用品を買いに行くのを辞め、翌日に友人たちに聞くことに決めた。
明日、もしかしたら元の世界に戻っているという可能性は勿論ある。
しかし、何故だろう。私は心のどこかで「明日もここにいる」という強い確信があった。
そして、帰ってきた母の手伝いを昔よりも積極的に行い、お風呂に入った後、当時流行っていたお笑い番組を見る。この頃にやっている番組はもう全てと言ってよい程、今は見られなくなったものだ。
中には既にお亡くなりになられた方が元気に笑いをとっている姿を見て、私はどこか複雑な心境を持ち合わせてしまった。10年という月日は、自分が思っているよりも重いのかもしれない。
リビングではまだ笑い声が響く中「おやすみ」と告げ部屋へと向かう。これからのこと。明日のこと。戻った時のこと。その全ての不安もベッドにしまい込み、忘れるように目を閉じる。
「私は何で、この時代に戻ってきたんだろう。」
よほど疲れていたのかその一言を呟いた後の記憶はなく、気が付いたら時間だけが経過し朝日が昇っていた。目を覚ましても、私の瞳には昨日の天井が映っている。
そう。案の定元の世界に戻っていることはなかったのだ。こうして今日も、昨日と似ている様で全く違う一日が始まろうとしている。
明日もここにいる確証はないし、逆に授業中何ていう中途半端なタイミングで前の時代に戻るかも知れない。わからないことだらけで、今日も明日も生きていかなければいけない。
それならば、いつまでいられるか分からないからこそ、今の自分が過去の自分にできることを精一杯して行こう。
もしかしたらそれこそが、今私がここに戻ってきた理由なのかもしれないのだから。
その先の未来で、何か変わってしまうことがあったとしても。