『過去に戻れたらどうしますか』と問われたら、あなたは何て答えるだろうか。受験に失敗したからやり直したいとか、世界の危機を救いたいとか、私はそんな大それた理由じゃない。
私はただ、ただ。
学生時代に恋をしたいからやり直したい。
乙原さくの、29歳。
彼氏いない歴=年齢。ささやかな派遣社員として働いている。
たまにくる高校時代の友人からの連絡と言えば、結婚しただの子どもが生まれただの、そういうものばかり。別にそれが嫌な訳じゃない。
だけど、前までは好きな芸能人が不倫してたとか、会社の上司がムカついただとか。そういう何気ない日常のことでも連絡が来たのに、今ではこうして、人生において重要なポイントでしか連絡が来なくなってしまったのだなと痛感するから、少し悲しくなるだけだ。
以前は「結婚しなくても1人の方が気楽。」なんて思っていたけど、最近はちょっとだけ今後のことが不安になる。家に帰ったら、誰かがいてほしい夜もある。寂しいときには、おはようと言ってくれる人が欲しい朝もある。
私はいつしか、恋に恋していたのだ。
さて。突然だが、よくあるタイムスリップしちゃった系の物語。
あぁいうのは基本、電車や車に轢かれたり、誰かと思いっきりぶつかったり、そういうので起こるのが多いイメージがあることだろう。
しかし私の場合には違った。
ただ朝に目を覚ましたら、何故かタイムスリップしていたのだ。
いつもなら聞こえるはずのない母の「起きなさい!」という声。
見覚えのあるぬいぐるみが置かれている自分の部屋。
そして何より、メイクで荒れていないハリ艶のある肌。
電池パックのある後ろ側にプリクラを貼りまくったガラケーをパカッと開くと、目に映るは12年前の日付。
何が起こっているのか全く分からなかった。
ただ寝て。朝起きて。あぁ今日も仕事かぁなんて思って周りを見たら。
時間が巻き戻っていて。売れない漫画家でも、もう少しマシな導入を書くことだろう。
何はともあれ、私は突然高校時代にタイムスリップしてしまったのだ。
「あんたいい加減に起きなさい!学校遅刻するよ!!」
「あっ、はい!」
こんな感覚もう10年以上味わっていないのに、反射的にそう答えた。
懐かしい半熟の目玉焼き。隣にはキャップがべたついたソース。湯気が立っているみそ汁に、茶碗に米粒が少しだけ付いたほかほかのご飯。
ここに来てやっと、自分が過去に戻ったのだと実感を得る。理由も分からない。確かに高校時代は楽しかったけれど、めちゃくちゃ何かをやり直したいことも思いつかない。
29歳の私は今、どうなっているのだろう?
あっちの方には、17歳の私が入っているのだろうか?
また朝に目を覚ませば戻っているのかもしれない。
今日は何かの漫画の主人公にでもなった気分で、一日だけあの時の日常を謳歌しよう。
そう割り切ってからは心が軽かった。
学校に着くまでの道のり。
今は1人暮らしをしてたまにしか実家には帰らないが、
この道も随分と変わってしまっていた。
そうそう。ここには駄菓子屋さんがあったな。
あぁ。こっちは今はアパートが建ってたっけ。
まるで白黒写真とスマホの写真を照らし合わせるかのように間違い探しを続けながら歩く。
私の学校は検定取得に特化した学校で、放課後も勉強、長期休みも勉強、隙あらば勉強。簡単に言えば「勉強が恋人」状態だった。女子の方が多い学校だったので、男女比率は大体7:3。同じクラスで付き合ってる人もいれば、他校で知り合った人と付き合ったり、中にはブログ等を通して付き合っている人もいた。当時はちょっと羨ましいなくらいに思っていた男女関係。
後になって気付く。
人生という限られた時間の中で、この時期に恋をすることは、例え相手と長続きせずとも、苦い思い出だったとしても。将来何物にも代えがたい経験になるということを。
そして、私はこの時真っ先に勉強を恋人に選んでしまっていたのだ。卒業する頃には、周りよりも取れた資格の数が多く表彰もされた。それだって、私にとっては大切な勲章。だけど、この時もしも彼氏がいたら。恋をしていたら。そう思うことが幾度かあったことも事実だ。
今回は違う。私はこうしてもう一度高校生に戻れたのだ。もしも明日起きても29歳の自分に戻っていなかったら、握っていたペンを捨て、彼の手を取ろう。暫く戻れない可能性があるのなら、叩いていたキーボードを投げ、携帯で彼にメールを打とう。
不器用でもいい。恋がしたい。