目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第10話 決着

 朝は訪れ、私は窓ガラスという不思議な隔たりを見つめていた。薄っすらと映る顔が自分のものなのだと情報を取り入れて、続いて窓の向こうの景色に目を通す。これ以上の高さを持つ建物から小さくまとまって見える木々に広がる青空、散りばめられた雲。この景色は人が作り上げたものだろうか。神などというものが存在するなどとは思えなかったものの、神が描いた一つの絵画などと神秘的な感想を抱いて見つめ、それも終わって盗賊の二人を引きずりながら部屋を出る。

 出迎えた彼女はテーブルに肘を着き、ため息をつき、手で支えている頬と二房のクルミ色の髪の生きた様を見て私は身体に溜まった気怠さを隠して笑顔を張り付ける。

「おはよう」

「不満」

 再びため息をつく彼女は看板娘として相応しい態度を忘れているように見えた。

「あなたがいなくなるの、つまらない」

 日が二度沈むまで、つまるところ明日の夜まで待たせてしまうのはあまりにも可哀想。しかしながら今抱えている事を解決しないまま傍にいるのはもっと可哀想。

 私はただ、彼女を見つめて訊ねる事しか出来なかった。

「友達はいないのか」

 看板娘はまたしてもため息をついて力なく目を細める。この朝幾度目になるのか分からないため息は私の中に罪悪感を産み落とす。

「友達はいないのさ」

 気取ったような言葉に対して声は飾りすらない寂しさが主役。私の中の罪悪感は更に増す一方だった。



 トマトとレタスのサラダとパンという豪華な朝食は終わりを迎え、宿を出て馬を引き取る。馬車を引く役割を持つ馬は二頭に増えたものの、息は合うのだろうか、倍以上の時間を費やしてしまうのではないだろうかと心配を募らせる。

 馬車の中に盗賊二人を詰め、中に納まっている物を確認する。労働証明用の板が立てかけられている他、盗賊に支払う金を運ぶために使われたと思しき木箱と配達先を記して貼られたままの紙が見えて、確信を持った。宛て先からしてやはり盗賊と組んでいたのだろう。私への支払いよりも安く済むと考えたのだろうか、おまけに私から金をむしり取ろうとしていたのだから間違いなく大儲けである。

 そんな悪事も今夜をもって幕を閉じる。その瞬間が楽しみで仕方がなかった。相手が懸命に築き上げてきた事を壊すことがこれ程までに心躍る娯楽に成り得るとは今までの人生は教えてくれなかったものだ。

 馬車を走らせて急ぎ急ぎ故郷へと向かう。出発した時点でギルドが動き始める太陽の位置と比べて目に見えて低い。空を泳ぐ太陽は正直なもので、それに従う仕事人たちはもっと時間に正直。その為か、私を貶めた嘘があまりにも際立った色合いをしていて出来る限り目に入れたくない記憶となっていた。

 馬は懸命に走り、太陽が沈み始める頃には故郷にたどり着いた。

 私は早速これからの予定に関係のない一頭の馬を厩舎に返してこれまでの働きぶりの履歴を刻んだ板を雇い主へと返すべく家を目指す。

 ドアに掛けられた輪を用いてノックを行なうとすぐさま出てきた男、彼に板を渡すとにこやかな笑みを浮かべながら銅貨を十五枚手渡して依頼は終了。

 これから向かう場所、これから果たす事。最も大切なことは心の準備だった。度胸がなければ、怒鳴りつける覚悟がなければすぐさま折れてしまうこと間違い無し。敵対、争い、その瞬間が恐ろしかった。



 太陽は顔を隠して空は俯き、星は笑う。

 私は馬車と盗賊を見せつけるように配置してドアに掛けられたベルを鳴らす。

 夜風が吹く、夜闇の波の静けさを持った落ち着いた十五拍を奏でられる時間を経てあの男は出てきた。私の顔を見つめて一拍と少し程度の時を流す沈黙の果てに眉間に皴を寄せる。

「金は持ってきたのか」

 そんな問いを跳ね除けて私は盗賊と労働証明板を突き付けて睨み付ける。

「なんだそれは、知らないぞ」

 とぼける男、困った時には誤魔化す事しか知らない彼はまさに調子のいい人物の見本だった。

「お前の罪を持ってきた」

 後ろに控えている馬車を指して言葉の続きを投げ込んで行く。

「これはお前が世話になっている業者の馬車か」

「ああ、そうだが」

 私は次の言葉をとうの昔に用意していた。準備した時の心構えの通りに告げるだけの事だった。

「盗賊が運んで来ていたし」

 馬車に載せられていた木箱を、そこに貼り付けられた郵便用紙を見せつける。

「宛て先と送り主を見よ、これが盗賊と組んでいるという証拠だろう」

 男は目を見開く。収められた瞳は揺れて震えて動き回り続け、焦点が定まらない。

「盗賊の長にも訊ねてみようか」

 猿轡を外し、長の口から言葉を引き出すべく睨み付ける。

「ああ、間違いない」

 慌てている。それ程までに私が恐ろしいものだろうか。これまでの扱いを考えると恐ろしいかも知れない。

 一方で不正を働きし者は未だに降参の白旗を上げてはくれない。

「何かの間違いだ、俺を嵌めようとしている」

 穢れた意見は切り裂いてしまおう。私はナイフを取り出して男に向ける。途端にあの日の光景が、この件以前の事が浮かび上がってきた。あの日、砂漠に溶けていた意識を取り戻し、獣に立ち向かった事。ナイフを容赦なく振り下ろし、毛が絡まろうとも構わず力任せに引き抜いては再び刺し、追い払った事。

 目の前に立つ者に対して同じことをするのはあまりにも容易。

 この状況の元凶は今にも零れ落ちてしまいそうな程に目を見開き、口を震わせて恐怖に潰され途切れ途切れの言葉を夜の闇の中に綴っていく。

「治安維持部隊にでも通報するつもりか」

 あの集団、男が告げた公の組織に通報すれば間違いなく不当な弁償を背負うことなく穏やかな生活を送ることが出来るだろう。

「名誉が欲しいのか、平民」

 彼の言葉には私の思考の中の正解と不正解が混ざっていた。

「確かに名誉は欲しい」

 そう告げさえすれば正直。私は確かに名誉が欲しかった。手を伸ばせば届いてくれないだろうか。私の言葉を聞いて高笑いしている男の声には形容しがたい不快感が滲み出ていた。

「ああ、通報するつもりなんだな」

「しない」

 私が欲しい名誉とは異なるものを指していた彼の姿がどこまでも哀れに見えて仕方がなかった。

「私が欲しい名誉は隣の街にある」

 荒れ地の中に佇む街、汽車が走る事で四方八方から見つめられる特徴が一致しているそこに置いてきた。

「一度の食事にも使えない名誉は要らないんだ」

 それから私はナイフを男の頬に、冷たい鋼を微かな動きで近付ける。

「命が惜しいか」

 男は震え怯える目で肯定を訴えて、震える口から空気を零す。音はつかめなくとも意図を読み取ることはあまりにも容易い。

「通報はしないから、私の頼みを聞いて欲しい」

 もう既に一度日が沈んでしまった。これから名誉を、宿の看板娘や老人に立てた誓いを果たすためにはこの男への要求をのんでもらう必要があった。

「馬の運賃をくれないか」

 途端に男は安心を得たような表情を目の端に、肌の表皮の裏に薄っすらと浮かべて牛の皮を加工して作った財布を取り出す。

「命を助けて欲しい」

「愚かではなかったそうだ」

 張り詰めた空気が緩んで行く。夏らしさを感じさせない涼しさは二人のやり取りを未だに見守り続けているようだった。

  男の小汚い手が差し出された。私の手に渡った貨幣は日頃はそうそう見かける事のない枚数を誇っていた。

「命だけは助けてくれ」

 私はこの男の命を奪う程の理由など持ち合わせていなかった。復讐心は命を脅かす大きさではなかった。

「殺しはしない」

 そうして私が主演を務める復讐劇は無事に幕を閉じた。

 辺りに広がる星々の祝福を見つめながら銀貨の数を数えながら家に帰り、ただ眠りに就くだけだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?