それは生温い風が緩やかに吹く夜の事。熱の余韻は空をも叩き、涼しかったあの季節を返してなどくれない。
盗賊の集団が荒野の崖の下で火を灯し、それぞれの休息の時を過ごしていた。はしゃいで踊りながらブランデーをオレンジの果汁で割ってリズムに合わせて口へと流し込む者や街の向こう、人々の暮らす古き文明の塊よりも更に西側に位置する海で釣り上げた魚を焼いては香りと塩味が熱と交わり染み渡る様を堪能する者、既に寝付けて明日の日差しを受ける覚悟を固めた者、様々だった。
「今日も大儲けだぜ」
盗賊の男は仲間の女の顔を見つめ、ダンスのメロディー三拍分の余韻をワインに溶かした後、テーブルにポシェットを叩き付ける。開かれた口から覗く銀貨、ポシェットの膨らみからして三十枚程だと踏んだ。
「あの街には強い戦士も栄えた文明もないもの」
女はテーブルに肘を着いて緩く握りしめた拳の上に顔を乗せ、くつろいでいる。向かい合う二人は共にブドウから作られたのだという赤い液体を口に含み、頬に温もりと優しさを乗せて暗闇を彩っていた。
他の盗賊たちの中でも崖の外に立つ二人の男は未だに仕事の話をしていた。一人は崖の入り口で昔話を語っていた。それを聞き続けるもう一人はすぐにでもこの場を発つことが出来るよう支度を済ませて馬車に乗っていた。思い出話の果て、一度途切れた点に入り口の男の言葉が添えられる。
「随分遠くまで来ちまったな」
もう一人は明るい笑みを浮かべながら馬を撫でる。
「俺はお前より故郷の近くに行けるぜ」
「五十歩百歩だろ」
同郷の者にして近所の知り合いだった二人。彼らの友情はどれ程の長さを誇っていただろうか。そんな綺麗な友情を罪で塗り固めてしまったのは飢えを感じたあの日の事。盗賊の長が貧乏な村で死を待つだけだった彼らに手を差し伸べたのだ。
数える事をやめてしまう程の時を過ごした彼らのそうした思い出巡りを、形無き帰郷を盗み聞きしている私の中に落ちた一滴の濁った感情は罪悪感とでも呼べばいいだろうか。波紋を広げて残り続ける後味の悪いそれは私の行動を鈍らせてしまわないだろうか。
やがて馬車に乗る男は手綱で馬を一度叩いて走らせ始める。馬に乗り慣れているのだろうか、軽く足を動かすだけで目標の地を、私の故郷の方角を指定して馬の向きを整えてあげられるのだから羨ましい限りだった。
私の中に一つの疑問が生まれた。あの馬車は恐らく私が乗ってきたものだろう。何故それを私の故郷の方へと向かわせたのだろう。板も盗まれた時点で場所は分かっている事は間違いない。しかしながらわざわざそこを目指す事に疑問を抱いてしまい、放すことが出来なかった。
入り口に残された盗賊はそのまま崖の中へと戻り、仲間たちと楽しそうに会話を紡いでいた。
彼らにとっても仲間意識というものは大切なものだろう。一般的な労働者が手を取り合い肩を組んで協力し合うように信頼し合った上で盗賊という仕事を行なう。
しかしながら取っている行動は非道なものだった。如何に仲間としての意識があったところで、人として大切なものを一つ持っていたところで彼らは既に人として大切なものを幾つも捨てている。
飽くまでも悪人は悪事を働く者でしかない。
そんな悪事を仕事とする彼らの根城、家というにはあまりにも自然と共存しすぎている崖の下の洞窟と呼べるか曖昧なそこに一人の男が現れた。
先ほどまでしゃがみ込んで魚の塩焼きを貪っていた若い盗賊の男が松明を向け、相手を睨み付ける。
「何か用でもあるのか」
崖の岩肌に匹敵するほどに削れたような尖った声は思いのほか反響していた。鋭い目つきが松明の細かな光と散り行く輝きの粉の照り付けを受けて凶暴な輝きを宿した。
男は声を震わせながら盗賊たちを一瞥し、長と思しき大きな帽子を被った男に向けて懇願する。
「この街から出て行ってもらえないか」
盗賊団の存在を知る街の住民誰もが望んでいたこと、それはあまりにも情けない声で告げられた。
「そんな声じゃ届かねえな」
松明を向けていた男は先ほどまで魚が刺さっていた枝を向ける。その手を揺らすように動かしたその時、崖の上から様子を眺め続けていた私の行動が始まる。
起きている盗賊団は全員闘志を燃やし、襲い掛かろうとしていた。今にも街を滅ぼし全てを食らい尽くしてしまおうと言った凶悪な精神を振りかざし一人が一歩を踏み出したその時、地は揺れた。
熱い空気を叩いて静寂を裂いて彼らの心を揺らしたそれは上から盛大に火の粉の雨を降らせる。
「なんだ」
驚きの感情の行き場として私の方を、崖の上の方を見る。視線の先に私がいただけの事。しかしながらそれだけで充分だった。
「貴様、何者だ」
長の質問が飛んでくる。腰に手を当ててくっきりとした顔に迷い一つ無い視線。威風堂々という言葉がよく当てはまる人物はなぜ悪事に手を染めてしまったのだろう。悪の道に走るその足を洗うように仕向ける事は不可能だと断定することは容易かった。
しかし、私の、私の身の回りに生きる人々に手を出す事だけは諦めてもらわなければならなかった。
私はマッチを一本取り出して箱の側面のざらつきで擦り、火を灯す。
「何をしようというのだ」
長の声が届くと共に私はマッチ棒を遠くへと放り投げた。これは彼らに見えていなければならない、そう、目にしなければ諦める事など無い。
放物線を描く小さな光がその果てを、岩肌をつかんだ途端、そこから盛大な炎と煙を上げながら大きな衝撃を伝わらせて地を揺らす。
私は崖の底へと降りて、長を見つめる。感情の底を想いのままに見せつける。
「次はない、私もろとも吹き飛ぶだけ」
袖で顔を覆っていた盗賊の長は再び顔を向け、見つめると共に得た感情に目を開かれてしまう。
「待て、それは」
気が付いたことだろう。彼らの根城に仕込んだ爆発物の正体に、樽いっぱいに詰め込んだ火薬や火に反応して爆発を誘発させる成分を含んだ街の知恵たる爆弾に。
「恩人はもう去った。私は命など惜しくない」
彼らは開いた口を塞ぐことも出来ずにただ驚きの情に支配され、おろおろと辺りの爆弾を見回し続けていた。
「あの程度の人生を送り続けてきた自分を生け贄にするのも容易い」
これは最大限の脅し。実行は最終手段だと彼らも分かっている事だろう。
「待ってくれ、やめてくれないか」
命が惜しい、当然の反応、当たり前の流れに自らの手で誘導出来た、望みが叶う事に満足感を覚えた。
「ならば、あの街の住民に酷い事をするのはやめにしろ」
突きつける要求は彼らにとってどれほど重いものだろう。彼らの収入源の大半が近所の街から奪い取る形で得たものだろう。
長は辺りを見つめる。男女で仲良く飲んでいたはずの仲間、踊ることで日々の気分転換を行なっていた彼、魚を食べて鋭い目つきの中に生の未来を描いていたはずの仲間、他にも様々な仲間たちがいたものの、全てが恐怖一色に染め上げられていた。
「分かった、出て行けばいいのだろう」
そうして立ち去ろうとするものの、私はそれだけで終わりとはしなかった。
「待て」
長は視線を震わせながら再び私を見つめる。先程までの大きな態度は嘘のように縮んでしまっていた。
「二つ隣の街の運送商会と通じてはいないか」
「分かっていたのか」
それはあまりにも情けない白状だった。私の視線から感情が消えている様を目にしてしまって、本当の脅威を知ったのだろう。
「馬車を持って行く盗賊を見た」
それから私は盗賊の長を引っ張り、隣の街の関所の前に立つ窯職人と再び顔を合わせた。