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第2話 信仰

 そこには私の家など無い。ただあるのは人々の営みと他人事のような喧噪だけ。様々な品を売る人々や木の部品を組み合わせて作った骨組みの屋根として黄ばんだ白と薄汚れた桃色の組み合わせで彩られた布を被せたテントの内側に収められた品々を見つめる。役に立つものは売られていないだろうか、並べられたものに大きな魅力を感じられなかったためにその場を離れて歩き出す。

 切りそろえ磨かれ敷き詰め整えられた石の地面には土埃が固まり不規則な模様を作っていた。美しかったはずの景観を乱したのは自然の力。吹き抜ける風や川という形で流れては様々な場所で岩や壁にぶつかりまき散らされる水の衝撃、私たちの行動といった流れが作り上げた醜さ。

 石の街並みを足並み揃えて歩くローブの集団を目にした。彼らは年齢も性別も、それどころか国籍までもが不揃いかもしれない。信仰の形と装いと足並みだけを揃える彼らの姿は私の目には大変滑稽に映ったものの、特に言葉にすることもない。

 彼らが振り向き私へと向ける視線の味はあまりにも薄味。

「あれは天上神から見放されし者」

 彼らの言葉の意味を見通すことなどできなかった。あの宗教の信者の誰もが同じ言葉を向けてくるのには理由でもあるのだろうか。彼らに常に覗かれているのか似顔絵を画家に描かせて教団に属する者たちの記憶に刻み込んでいるのか。いずれかに該当する行動を取っているというのならすぐにでもやめていただきたいものだ。私が彼らに大きな迷惑をかけた事などあっただろうか。それ程大きなことを成し遂げる力があるのならば今頃このような土地に居座る必要性もない。

 彼らによればこの街、いや、この世界ではだろうか。世界を構成する要素を七つに分けてそれぞれを一柱の神が自在に操りこの世界の運命を決めているという筋書きを信仰する宗教があるそうだ。炎、水、土、風という四つの基本属性に加えて光と闇の二つ、残る一つは輝きとも無とも言われていて人では知覚できない次元のモノなのだそう。万物はそれらの内のどれかの加護を強く受けており、その中でもとびきりの強さを誇る加護を受けし者は摩訶不思議な力を行使すると言うが私にとっては眉唾な話にしか思えなかった。そもそも万物が天上加護を受けるというのならば私は何者でもないという事にならないだろうか、命、ここに在るよ。

 私にとっては害でしかない宗教の信者たちから望まぬ言葉を掛けられながら私は去って行く。

 街の出入り口付近で小麦粉と野菜、別の店で肉を買って山の方へと歩みを進める。

 やがてたどり着いたのは街の外れの山の麓にひっそりと聳え立つ小屋のごとき家。それこそがあの憎き宗教の信者の手によって街の住民権を奪われた私の住まい。

 私は山に潜り、クルミやプラムを採って改めて家の中に身を包み、光沢を放つ立派なきりを用いてクルミを割り始める。固くて立派な殻は人の手で割るには大きな疲労を背負う事となってしまう。クルミ割りの職人がどのような加工を行うのかと問われれば大抵の住民はリスを飼うだのくるみ割り人形の部隊を用いるだのといったあまりにも高コストかつ手間のかかる方法を答えとして提出するが、恐らく乾煎りか水に浸して柔らかくするか。そう言ったところであろう。一つの会社として長時間の火を扱うだけの燃料を持っているわけでもなければ貴重な水を頂くだけの金も持っていない。あの宗教団体に理由もなく目を付けられて長時間居座るだけでも命の危機を感じてしまう私では十分な燃料も揃えられずに調理のための最低限で済ます他なかった。

 きりを突き立ててしっかりと割ってみせる。そうして取り出した中身は細かく砕いて小麦粉と共に混ぜ、貴重な水をここで混ぜる。そうして出来たパンの準備。クルミの優しい香りと小麦の豊かな香りが今にも口へ運べと誘惑を仕掛けてくる。

 しかしながらそのまま食べるわけにもいかず、外に設置したかまどに木々を入れ、燃料で軽く湿らせてマッチに火をつけそのまま放り込む。本来かまどは有料で貸してくれる団体が街にあるものの、私に扱う権利はなかった。あの宗教団体に目を付けられたが為に人として生きる事すら難儀してしまうという有り様は己ながら無様だと嘲笑を浮かべてしまう。

 野菜と肉を切って全て鍋に入れて煮込む。酸味の強いトマトを潰して塩やトウガラシ、パセリなどで味を付けたソースを入れて味を調え、しまいには私好みの味へと変貌させるべくレモングラスを他のハーブと比べて少々多めにまぶして混ぜ、煮込み料理は完成した。

 プラムの内の一つはそのまま、他の二つは潰してジュースにして木のカップに注いだ。

 そうしている内に恐らく焼けたであろうパンを取り出して煮込み料理と共に口にしながら寂しさを得た。恐らく今、平民たちは夕飯としてワインやビール、蒸留酒を果汁で割って作ったリキュールなどを片手に友人や家族と共に日頃の疲労や苦労、頑張りを分かち合って癒し合い、料理を味わいながら関わりの糸を強く結びつけて生きる事の価値を噛み締めている事だろう。

 私は今まであの宗教を心の中で何度呪った事だろう。どうして私が世の中の全てから見放されなければならないのだろうか。誰がそのようなことを決めたのだろう。人の手だというのならば如何に人間という生き物の愚かなことか。

 仄暗い想いを見納めした後にはいつもの通りに淡々と食事を進める私の姿があった。

 それから水洗いを済ませて片付けて、寒気を堪えながら森の中の泉で水浴びを済ませて床に就く。この世界には暗闇に覆われた時間の中で働く人物もいる事だろう。彼らの姿を闇に覆われて何も見通すことの出来ない目に浮かべ、感謝の思いを込めつつ眠り、意識はそのままどこかへと沈んでいった。



 朝の訪れを告げるのは太陽の輝きのみ。蔓を編んで作ったカーテンの隙間から零れる光が私の意識をこの世界に呼び戻す。差別を受けている身でも宗教の信者以外は基本的には他の人々に取る態度と変わらない普通を持ち込んで接してくれる。ただし、宗教の力はあまりにも強大で、いつでもどこでも完全に同じような接し方とは行かないそう。

 私は家を飛び出して石を切り出しして作られたレンガのようなブロックを敷き詰め構成された街を歩き、労働共有組合、ギルドと称されるそこへと足を踏み入れる。

 ギルドは街の運営ではあるものの、大きな建物を持っているわけではなくて仕事の募集は外で行なわれる。大きな板に企業が抱える仕事の内手伝って欲しい事を酸性紙に書き込んでピンで留めるという形が殆どではあるものの、時たま外で働いてくれる人を募集する者もいた。そう言った人物は大抵ギルドの板を利用する金がない企業の上層部の者か、ギルドの管理騎士によって罪を指摘されて張り出し禁止の罰を受けた者。いずれにせよ訳ありの者たちだった。

 今回の依頼を持ち込んできたのはそう言った人物だと容易に想像がついた。

「やあこちらの馬車を用いた品物運びはいかがかな」

 辺りを見回し、私を取り囲む視線に気が付いた。冷たい線が集い、絶え間なく出て行けと叫び散らしているような様、耐えられるようなものではない。

 宗教とは実に恐ろしいもの。信仰する対象の教えに沿ってならどれ程悪辣なことでも神の名を持ち寄り正当化することが出来てしまうのだから。

「どうかな、事故の多さを除けばギルドの言う有害性はないのだが」

 視線は依頼を持ち掛けてきた男に引き戻される。脂ぎった顔、皴の刻まれた目元はとうに四十を過ぎていると語っている。逞しい腹を押さえる手を見つめる。指輪の一つも無く、次は首へと視線を移す。やはり婚姻の契りの証が見当たらない。依頼主を務める男がこの歳で婚約をしていない理由はあるだろうか。妻を亡くしても信用を保つために敢えて形式的につけるという人物が多いものだが。

「黙っているだけか、それでは分からない」

「お受けしましょう」

 一刻も早くこの場を離れたかった。教団の者たちは今にも襲い掛かってきそうな構えを取っていたものだから。

 男はすぐさま木の板を用意してナイフを用いて会社と本人のものと思しき名を刻み、私に板とナイフを手渡し名を刻ませた。

「運んだら取引先の企業名及び役員名を記してもらう事」

 それからひと息置いて、改めて頬の肉を揺らしながら言葉を紡ぎ始めた。

「この板は仕事の証明書類なので必ず持ち帰るように」

 例え仕事をこなしたところで各種証明を得て持ち帰らなければ無賃労働という結末を与えられてしまう。なめらかな手触りと程よい軽さ、その二つが嘘のように感じられる重々しさを持っていた。

 私はすぐさまこの場を離れて雇い主の馬車が止めてある厩舎へと向かった。

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