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4曲目『バンド内恋愛厳禁! バンド崩壊させないように、細心の注意を払って立ち回ろう』

 こうして、僕の賑やかな大学生ライフが始まってから数日が経った。

「ふふふ、モヤシちゃんったら顔を真っ赤にさせて、可愛い。ちゅ~っ」

「あっ、ちょっ、アオ先輩、変なとこ舐めないでください。くすぐったいです」

 バンド『キング・ホワイト・ストーンズ』の目下の活動内容は、新曲『もやしマシマシロックンロール』の編曲と練習だ。もともと、四月中に完成すればオンスケ(『スケジュールに間に合う』という意味の単語らしい。アオ先輩が教えてくれた)の新曲だったけど、まさかまさかの一夜でアオ先輩が書き上げてしまったので、各自で練習しつつ、部室で集まってああでもないこうでもないと編曲している。お試しで全体練習をしたりもする。となると当然、272bpmで叩く必要があり、今の僕はそこまでの速度が出せない。

「ん……モヤシちゃんったら涙まで浮かべて。誰かな、ボクの可愛い後輩を泣かせた奴は?」

 いや、考えてもみてほしい。60bpmで、一秒にニ回貧乏ゆすりすることになる。120bpmで一秒に四回。240bpmに至っては、脅威の秒間八回だ。『いーち』って数えているその間に、八回も踵を上下させないといけないんだよ。新曲は272bpmだから、一秒に九回だ。作曲した人はアタマおかしい(アオ先輩だけど)。けれど、そんな人体の限界を突破する魔法が存在する。それが、

「んっ、ふふ。もっと声を抑えて。皆に聴かれちゃまずいだろう? ほら、どうかな、『スーパーモヤシちゃんモード』になれそう?」

「アッアッアッ」

『スーパーモヤシモード』である。アオ先輩があの手この手で僕の緊張度合いと心拍数を上げて、秒間九回以上の貧乏ゆすりを可能にさせるという荒業だ。

「ちゅっ。ほら、モヤシちゃんもしてきて良いよ。さぁ、おいで」

「あ、えっとえっと……んっ」僕は必死になってアオ先輩の真似をする。

 僕は今、部室裏の物陰で、アオ先輩と絡み合っている。いや、けっして叡智なことをしているわけではない……とも言いきれない。事実として、二人密着し合って、頬とか額とかまぶたとか首とかにキスし合っている。そして僕の手は、先輩の大きな胸に押し当てられている。

「んぅっ、唇はダメだよ。唇と唇のキスは、恋人同士でやることだから。バンド内恋愛禁止」

「ご、ごめんなさいっ」

 そもそも、この過度なスキンシップが既に、恋人同士がやることではないのだろうか。それとも大学生ともなれば、このくらいは皆、遊び感覚でやっているのだろうか。確かに、シロ先輩は頻繁にイナズマちゃん先輩に濃厚なハグをしているし、百合の波動も感じるけれど。

「ふふふ、良い貧乏ゆすり、良い速度だ。272bpmは確実に出ているね。さぁ行こう!」

 緊張が冷めないうちに、僕はさっさと部室へ担ぎ込まれる。雰囲気も余韻もあったもんじゃない、事務的で義務的な行為だ。というか、実際問題これは『スーパーモヤシモード』を起動させるための行為だ。つまり、アオ先輩にとってはバンドマスターとしての業務の一環。

「おう、二人とも。急に揃ってどっか行ったりして、何してたンだ?」部室に戻ると、イナズマちゃん先輩が曇りのない眼で尋ねてきた。

「……本当に、ナ・ニをしてたんですか?」くれなゐ先輩が、疑いの眼差しを僕たちに向けてくる。「モヤシくん、なんだか顔赤いですし、衣服も乱れてますし」

「エッアッソノゥ」

「悪いけど、後にして!」アオ先輩がかなり強引にごまかす。「ほら、モヤシちゃん。『もやしマシマシロックンロール』カウントスタート!」


 アオ先輩は、美人だ。学内や街を歩けば、男という男がこぞって目で追うほどの美人。そんな先輩に――半分ドラム機材扱いされているとはいえ――可愛がってもらえるのは、正直嬉しい。嬉しいけど、状況は必ずしも良いとは言えない。大きな問題、課題が二つあるんだ。

 一つは、絶対にアオ先輩を好きになってはいけない、ということ。

 はっきり言って、僕はアオ先輩のことを好きになりかけている。カオもカラダも声も抜群に良いし、ダウナー系でミステリアスだけどユーモアもある性格も素敵だし、夏野と違ってバンマスとしてメチャクチャ頼りになるところも最高にカッコイイ。さらには、その正体が超大物ボカロP『青子緑子』だっていうんだから、好きになるなと言うほうが無茶な相談だ。

 だけど、絶対に好きになってはいけない。恋愛にかまけて演奏をおろそかにするわけにはいかないし、バンド内恋愛は――たとえフラれたとしても――破滅への入口でしかない。

 それに僕は、アオ先輩が満足できるドラム演奏を提供すると誓った身だ。夏野のバンドから追放されたあの日、悲しみと絶望で消えてしまいそうになっていた僕を救ってくれたのは、まぎれもなくアオ先輩だった。

『ようこそ、ボクたちのバンド――キング・ホワイト・ストーンズへ!』

 あのとき、アオ先輩は僕に手を差し伸べてくれた。先輩からすれば、あれは単に歓迎の意を示す程度のつもりだったのだろう。だけど僕はあのとき、確かに心を救われた。バンド追放で底なし沼に沈みかけていた僕の心を、先輩の手が引っ張り上げてくれたんだ。だから、先輩には大きな大きな恩がある。恩は返さないといけない。

 もう一つの問題は、僕たちが『スーパーモヤシモード』起動のために裏でこっそりあんなことやこんなことをしていることを、バレないようにしなければならない、ということだ。特に、くれなゐ先輩に対しては絶対に。そう、くれなゐ先輩。自称、僕の元カノ。彼女はつい先程も、僕らに疑いの目を向けてきた。

 僕には、おぼろげな記憶ながら、地雷系ファッションの彼女がいたという記憶がある。くれなゐ先輩の存在と、僕のその記憶は、合致している。けど、僕は十年前のくれなゐ先輩のことをちっとも思い出せないんだ。あんな人だったような気もするし、そうでなかったような気もする。けど、少なくともくれなゐ先輩の方は元カノのつもりらしい。今は『バンド内恋愛禁止令』の手前、僕に過度な接触は取ろうとしないみたいだけど、僕とアオ先輩が裏でやっているあれやこれやの行為は、くれなゐ先輩的には間違いなくアウト寄りのドアウトだろう。

 というわけで、当面の僕に課せられたToDoは、次の二つだ。

『アオ先輩を過度に意識せず、かつスーパーモヤシモードを使いこなせるようになること』

『二人でコソコソしているのをバレないようにすること。特に、くれなゐ先輩には絶対に』

 そんなわけで、僕はバンドの練習以外ではできるだけアオ先輩から距離を取るべきだと思っている。万が一にも、この気持ちを暴走させるわけにはいかないから。そう思っていたのに、


 ざーーーー!

 ばしゃしゃぁあああ~~~~~~~~~~~~~~~~!

 雨。バケツを引っくり返したような、とはまさに今日のために用意された言葉と言って良いだろう。

「梅雨でもないのに、これは……ん?」

 午後の授業の終わりに、折り畳み傘を差そうとした僕は、向かいの授業棟の軒先で呆然と立ち尽くしているアオ先輩の姿に気付いた。うーん、アオ先輩とは距離を置きたいと思ってた矢先だったんだけど。あっ、目が合っちゃった。まさか無視して帰るわけにもいかないし、アオ先輩をずぶ濡れにさせるわけにもいかない。春とはいっても、夕方以降はまだまだ冷える。

 僕は傘を差し、アオ先輩に駆け寄る。「あ、あのぅ。傘、入りますか?」

「いいのかい⁉」いそいそと入ってくるアオ先輩。「いやー、助かったよモヤシちゃん」

 先輩は背が高く、僕と目線がほぼ同じだ。一七〇センチあるかないかといったところ。だから必然的に、同じ傘に入れば至近距離で見つめ合う形となる。いわゆる『ガチ恋距離』だ。

「ば、バスですか⁉」意識してはいけない意識してはいけない意識してはいけない。

「んー、そうだね。二百十円はちょっともったいないけど、背に腹は変えられない」

「背に腹は……ふふふ」先輩は時々、古風な言い回しをする。ミステリアスなキャラ造りの一環なのかもしれないけど、それが妙に面白くて可愛らしい。

「む。何を笑っているのかな、少年? って、あああ、うへぇ」

 謎の鳴き声を上げた先輩の、見ている方を見てみれば、バス停に長蛇の列ができていた。


「……なんとか乗れましたね」

「うん。だけどこれは……ぐぇっ」

 後から後から入ってくる乗客に押しやられ、僕らは壁際に至る。壁に押し付ける形になったアオ先輩を押し潰さないよう、僕は必死に両腕を突っ張る。ううっ、『ドラムは遠心力で叩くんです(ドヤァ)』とかドヤ顔で語らず、腕立て伏せくらいはしておくべきだった。

「わ、モヤシちゃん、肩がびしょびしょじゃないか!」

「や、まぁ、はい」先輩が濡れないように、狭い折り畳み傘を先輩の方に傾けていたのがバレてしまった。先輩に気を遣わせたくなかったから、バレずに済ませたかったんだけど。

「なんだい、いっぱしに紳士気取りかい?」先輩がハンカチを取り出し、僕の肩を拭く。その動作に、無防備なキャミの合間から見える胸の谷間に、僕はどうにかなりそうになる。「そういうのは、好き合った相手にやりたまえ」

 たまえ、とか言われましても。僕はアオ先輩と、そういう関係になりたい。……あっっっっっ、いや、嘘だ。今の無し。今の無ーし! 僕はバンド『キング・ホワイト・ストーンズ』のドラム担当。それ以上でもそれ以下でもない! 心・頭・滅・却!

 頭の中では、相変わらず四月四日に聴いたアオ先輩の『青と緑のハザマで』が流れている。あの日から、ほとんど毎日毎時毎分毎秒、僕はあの歌を聴いている。その歌声に耳を傾けることで、僕はアオ先輩の胸の谷間を意識の外へ追いやる。

 やがてバスが、アオ先輩のアパートの最寄り駅に着いた。僕のアパートはもう一駅先だ。

「傘、使ってください」ざーーーー! ばしゃしゃぁあああ~~~~~~~!

「いやいや、使ってくださいってモヤシちゃん、この雨」ばしゃしゃぁあああ~~~~!

 躊躇しているうちにバスが出発しそうになったので、結局、二人して下車した。

「……あれ? どうしてこうなった」

「うーん。まぁ、とりあえずボクのウチにおいで。早く服を乾かした方が良い」

 引きずり込まれるようにして、僕はアオ先輩の部屋に上がった。こういうとき、先輩はびっくりするほどの腕力を発揮する。きっと、バンマスとしての責任感パワーなんだろう。

 すぽーんっとワイシャツとTシャツを脱がされて、乾燥機付き洗濯機へ。

「ほら、風邪引かないうちに、さっさとシャワー浴びちゃって」

「せ、先輩が先に入ってください」

「ボクは大丈夫。優しい騎士様が雨から守ってくれたからね」ニヤリと笑うアオ先輩。最近たまに見せてくれるようになった、ちゃんと笑っているバージョンの笑顔だ。「あ、こういう言動は、モヤシちゃんの未来の彼女さんに失礼かな。ん、もやしちゃんフリーだったよね?」

「アッハイフリーデス」

 顔が熱い。きっと、火でも吹きそうなほど赤くなっているだろう。先輩にバレないうちに、僕はさっさとシャワールームに入る。熱々のシャワーを頭から被っていると、

 ――バタン ガチャガチャドタバタッ

 物音。どうやら先輩が洗面所に入ってきたらしい。シャワーを切ると、

「き、着替え! 置いておくからね!」ドアの向こうから先輩の声。

「ありがとうございます」返事をしつつシャワーバルブを捻ろうとしたが、ドア一枚隔てた向こうに先輩がいるという事実が気になって、なんとなく固まってしまう。

 ――ゴソゴソ ゴソゴソ

「……アノォ、アオ先輩?」

「ひゃぁああ!」――ドタバタッ バタン!

 な、何だったんだろう……?


   ♪   ♪   ♪


 アオは、ドラム式洗濯機兼乾燥機の中に顔を突っ込んでいた。

(くんかくんかすーはーすーはー、やっちゃんの匂いやっちゃんの匂いやっちゃんの匂い~~~~! やっちゃんの半裸眩しかったよぅ。腹筋割れてた! 触りたい、キスしたい、なんちゃって! あーなんちゃって! ずっとここで匂い嗅いでいたい。ここに住みたい。やっちゃんの匂いに包まれながら、やっちゃんの汗を洗い流すシャワーの音を子守唄に眠りたい!)

 一分ほどもそうやって身悶えしていたアオだったが、

「……アノォ、アオ先輩?」訝しんだ様子のモヤシの声に、

「ひゃぁああ!」さすがにまずいと感じて逃げ出した。


   ♪   ♪   ♪


「どう、着れそう? キツくない?」

「アッハイ。ありがとうございます。大丈夫です」

 乾燥機が回っている間、僕はアオ先輩の服を借りることになった。身長はほぼ同じだから、着れないことはない。彼シャツならぬ彼女シャツだ。図らずも、最高の――もしくは最悪の――形で、憧れの実績を一つ解除してしまった。

「ほら、温かいコーヒーだよ。お飲み」

「ありがとうございます。何だか、かえってお手間を取らせてしまって、すみません」

「謝らないでよ。モヤシちゃんがいてくれなかったら、ボクは今ごろ濡れネズミの風邪引きサンバさ」

 部屋の真ん中で、テーブルの前に二人並んで座る。僕は胡座、先輩は女の子座り。並んで座って、この会話。なんというか、同棲カップルみたいな質感になってないかコレ。

「ね、モヤシちゃん。せっかく二人っきりになれたんだし、アレ、ヤっていかないかい?」

「エ、エ、エ、何ヲデスカ⁉」先輩の、突然の意味深な発言に、僕はドギマギする。

「ナニってそりゃもちろん――」先輩が、僕の膝の上に乗っかってくる。ぐぐぐっと指を伸ばして、僕を挟んだ向かい側、勉強机の下に格納してあるデスクトップPCの電源をぽちっとオンにした。「編曲作業さ。皆と一緒だと、ドラムの編曲作業だけには集中できないからね」

 でっっっすよねー。うん、分かってたよ。大丈夫。というか、正直安心した。万が一にもここで良い雰囲気になってしまっていたら、僕にはもう、自分を抑えられる自信がない。

 先輩が勉強机の椅子に座り、モニタを点ける。僕は先輩の後ろに立つ形に。

「お、おおお……これが、『青子緑子』の作業環境!」

「あははっ。オタクムーブ止めてくださーい」

『あはは』と言いつつ、本当に笑っているアオ先輩。楽しそうに、大きく口を開いて。ここ数日で、アオ先輩が僕に笑顔を見せてくれる機会が劇的に増えた。ダウナーでミステリアスで、常に一歩退いているようなところがあるアオ先輩だったけれど、こんなふうに自然な笑顔をすることもできたんだ。アオ先輩と仲良くなれたのだとしたら、アオ先輩の自然体を引き出せるようになれたのだとしたら、僕はとても嬉し、い――

「……あっ」次の瞬間、僕は冷水でも浴びせられたような心地になった。先輩が、パソコンのフォルダを開いたからだ。中から、無数の楽譜ファイルが飛び出してきたからだ。中には僕もよく知ったタイトルの曲――何十万再生だとか何百万再生だとか、そういう信じられない規模の再生数を叩き出し、社会現象まで巻き起こした楽曲が混じっている。

 この人は、海野アオは、紛れもなく大人気ボカロP『青子緑子』その人なのだ。本来なら僕なんて近付くことすら許されないような、雲の上の存在なのだ。……そういう事実を、まざまざと見せつけられた。

「ほら、これが『もやしマシマシロックンロール』のタブ譜だよ。あ、そういえばモヤシちゃんはまだタブ譜が読めないんだったっけ? モヤシちゃん? おーい」

「は、はい! すみません、ぼーっとしてて」

「やっぱり風邪引いたんじゃないのかい? 熱は?」ぴと。先輩がおでこをくっつけてきた。

「うひゃぁああ!」

「そこまで驚かなくても。大丈夫、取って食べたりはしないよ」

 先輩が、出逢った初日と同じセリフを口にする。たった数日前のことなのに、もう何年も昔の出来事のような気がする。先輩と出逢う前の自分が、このごろ上手く思い出せないんだ。

「うん、熱はなさそうだね。話を戻すけど、サビ前のフィルインはこんな感じで良いかい?」

「最高です!」僕なんかが意見できるような相手じゃない。いや、何も卑屈になったり、ドラム編曲の責任を投げ出しているわけじゃない。実際問題、アオ先輩が作ったビートが最高にカッコ良くて、この曲にもピッタリなんだ。

「ボクはキミの意見が聞きたいんだ。最高の曲にしたい。だから、忌憚のない意見がほしい」

「と言われましても……僕は、作曲はおろか編曲も初めてなので。それに、『青子緑子』の作った楽譜に手を加えるなんて畏れ多いこと、できませんよ」

「そうかい……」先輩が、少し悲しそうな顔をした。突き放すようなニュアンスに聴こえてしまったのかもしれない。

「あ、その」僕は慌てて付け加える。「このビート、すごくカッコ良いと思ったんです。本当です。スネアの二打目を裏拍に入れるところなんてすごくエモいし、直後のハイハットを裏拍だけオープンにするのも、良いアクセントになってて。あと、演者の立場としては、叩きにくいところや、今の僕では叩ききれないようなところもありません。あとは、その……今は何も思いつきませんが、何かアイデアが浮かんだら、そのときは相談してもいいですか?」

「! うん、喜んで! 相談、待ってるよ」アオ先輩の、弾けるような笑顔。そこからさらに、うっとりとした表情になって、「懐かしいなぁ」

「え?」

「あぁ、いや。昔こうやって、友達と一緒に作詞作曲したことがあってね」

「へぇ」それは女友達だろうか、それとも。そんなことに嫉妬を感じてしまう僕は、非常に良くない傾向に陥りつつある。あと純粋に、我ながら発想がキモい。先輩にとって僕は、出会ってまだ数日しか経っていない、ただのバンド仲間なのに。かぶりを振って心機一転、僕は先輩との会話に集中する。「先輩はいつから作詞作曲してるんですか? 青子緑子の初投稿は三年前の八月十二日でしたけど」

「さらっと初投稿の年月日まで出てくるあたり」先輩が笑う。「重めの愛を感じちゃうね」

 楽しそうに笑ったり、さっき僕の服を無理やり脱がそうとしたときにはなにげに顔を真っ赤にしていたり。ダウナーでクールビューティーな人だと思っていたけれど、探せば表情豊かな子なんだ。海野アオ。許されるのなら、僕はこの子と恋がしたい。


 雨脚が弱まったタイミングで、僕は先輩宅をあとにした。

 その夜、僕は懐かしい夢を見た。十年近く前の夢。小学生高学年の頃の夢だ。

 あの頃の僕には彼女がいた。赤を基調とした地雷系ファッションに身を包んだ、可愛い女の子。本名は忘れてしまったけれど、僕は彼女のことを『赤ちゃん』と呼んでいた。赤ん坊扱いしていたのではなく、赤色にちなんだ名前だったからだと思う。ということは、やっぱりくれなゐ先輩がそのときの彼女だったのだろうか。

 小学生の僕と小学生のくれなゐ先輩は、夢の中でセッションをしていた。僕がドラムで先輩がギター。ときには楽器を交換したり。くれなゐ先輩はドラムもできるという話だったっけ。

 他にも、二人はいろんなことをしていた。一緒に街を歩いたり、僕が贈った地雷系の服でファッションショーをしたり、ノートPCを前に一緒に何かを作ったり。何か重大なことを夢の中で見たような気もしたけれど、起きた頃にはもう、忘れてしまっていた。


 翌日、僕とアオ先輩はちょっとしたピンチに陥った。いつものように『スーパーモヤシモード』を起動させるために部室裏に回ったところ、先客がいたんだ。先客は、別にやましいことをしているわけではなく、ただ単にタバコを吸ってただけだったけど。

 やむを得ず、僕はアオ先輩に手を引かれ、人のいない場所を求めて右往左往することになった。四階の物置、先客あり。三階の廊下、人たくさん。二階の男子トイレ(⁉)、先客あり。

「ダメだ。これ以上遅れるとくれなゐたちに怪しまれちゃう! もう、ここでするよ!」

 廊下の片隅、ともすれば人が通りそうな場所で、先輩は僕をぎゅっと抱きしめはじめた。先輩も先輩で、だいぶテンパっているらしい。そうしていつものように、身も心もぐちゃぐちゃになろうとした、そのとき。

「お前ら何してんの?」

「「うわぁあああああああああああ!」」

 第三者から話しかけられて、僕らは交尾を見られた猫のように飛び退いた。見れば、二回生の軽音部員がちょうど通りがかろうとしたところだった。訝しげな目でこちらを見ている。

「も、ももも、モヤシちゃんがね⁉ 顔が赤いから、熱を図ろうとしたんだけど、ほら、体温計がなくってさ」ナイス、アオ先輩。顔を近付けていた言い訳としてはベストだ。

「俺はてっきり、お前らがそーゆーカンケーになったのかと思ったんだけど」

「そそそそんなわけないだろう⁉ そもそもボクは、バンド内恋愛を禁止してるんだから」

「ふぅん? まぁいいや。そういえば、夏オーデで新曲披露すらしいな。楽しみにしてるぞ」

「んがっ、どこから聴いたの、その情報⁉」

「山本山」

「アイツかぁ~~~~! 言うなって言ったのに。あー、うん。まぁ、期待しててよ」

「おー」ひらひらと手を振りながら、二回生の部員は去っていった。

「ふ~~~~っ、ヤバかった。ドキドキしたねぇ!」アオ先輩が、はにかむように微笑んだ。頬が紅潮している。初めて見るタイプの笑顔だ。最高に可愛い。けれど、

「お、アオじゃん。それとスーパーモヤシ少年」

「……山本山くん」本山先輩が現れた瞬間、『スン』ってなった。あらゆる表情が消え失せて、いつものポーカーフェイスでダウナーでミステリアスなアオ先輩に戻った。「新曲のこと言わないでって言ったよね」

「おー、悪い悪い。でもなんだかんだ言って俺らって皆、『青子緑子』の大ファンだからさ、ちょっとくらい自慢したっていいだろ?」

「あと、『スーパーモヤシちゃんモード』のことも絶っっっっ対にヒミツだからね」

「分かってるって。『青子緑子』を壊しかねないようなクリティカルなヒミツは、墓まで持っていくよ。約束する」口調は軽いけど、本山先輩の言葉には重みがあった。この人もまた、まぎれもなく『青子緑子』のガチファンなんだろう。

「ったく。……あ」本山先輩が行ってしまうと、また、アオ先輩の顔にニヤリとした笑みが戻ってきた。「出てるね、『スーパーモヤシちゃんモード』」

 いつの間にか、僕の左足が超高速で貧乏ゆすりしている。僕は部室に担ぎ込まれる。

「おそーい。どこ行っとったん?」「まったくだぜ」「……早く音合わせを始めましょう」

 シロ先輩、イナズマちゃん先輩、くれなゐ先輩に出迎えられた途端、アオ先輩は再び『スン』ってなった。……自惚れでなければ、アオ先輩の笑顔は、僕だけのモノなのかもしれない。いやいやいや、モノとか言うな。思うだけでも、そんなことは考えるな。先輩に失礼だろ。


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