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「心の闇」

 「超克」――困難や苦しみにうち勝ち、それを乗り越えること。同義の言葉に「克服」や「克己」なども挙げられる。




 己の心の闇と向き合え―――――頭の中にそう響いたその時、反対側から何か黒い靄みたいなのが発生した。

 それは徐々に膨れ上がっていき、存在感も比例して強くなっていく……。


 「まさか………あれと戦えって…!?」


 どこまでも増幅し拡大していく黒い物体に、僕は猛烈に嫌な予感を抱いた。


 『己の心の闇と向き合え』


 「え?声……!?」


 目の前の異物から声がして、僕の狼狽はさらに大きくなる。


 『己の心の闇と向き合え』


 それは真っ黒いゲル状の群体みたいなグロテスクなものと化した。そのおぞましい見た目と圧倒的過ぎる存在感に、僕は生理的嫌悪と恐怖を抱いた。


 そして―――


 「う……わぁあああああああああああ!?」


 抵抗する間も逃げる間もなく、僕は真っ黒なそれに飲み込まれてしまった―――







 『己の心の闇と向き合え』


 まだ、あの言葉が頭に響いてくる…。寒い………ここはどこだ?僕はさっき、おぞましい何かに飲み込まれて…。死んだかと思ったのに、まだ意識があるってことは、僕は生きてる……?

 目に映るのは、黒。真っ暗な闇。僕を飲み込んだあれと同じ色の空間だ。

 闇………って、もしかしてこれが「己の心の闇」ってやつ?この闇と向き合うことが、第一の関門なのか?


 そう思った直後、僕の目の前に誰かが現れた。全身真っ黒で、顔には目も口も無い。


 『よお霧雨ぇ!探索者のくせに一般人の俺に負けちゃった、クソ雑魚探索者の霧雨咲哉くーん!?』


 黒いそいつは僕に向かってそんな罵声を浴びせてきた。この声……聞き覚えがある。高校のクラスの間野木だ!?


 『お前の雑魚さは中学の時から知ってたけどよー?ここまで間抜けで弱くて情けねぇ奴だったなんてな?おまけに家族もいないから、ちょー貧乏!装備がいつまで経ってもボロいのも納得だわ!』


 見た目は間野木じゃないが、こいつから出てる声は間違いなくあいつのだ。


 『お前生きてて恥ずかしいって思ったことねーの?探索者のくせに一般人の俺らに虐められて、退学なるくらいに頭も悪くて、貧乏でブサイク、そして非力…。そんな世の中の底辺弱者のお前が、俺らと同じ人間やってんじゃねーよ!ゴミがよぉ』


 間野木の声をした奴は僕に罵声を浴びせるだけで、直接な攻撃をする素振りは一切見せてこない。とはいえ先ほどから続いてるあいつの声での暴言は、聞くに堪えない。

 怒りに任せた僕はそいつに近寄ると剣を突き立てた。しかし、相手の身に剣が刺さった感触がまったく無かった。


 『つーか霧雨お前、自殺するんじゃなかったのかよ?何でまだ生きてんだよ?自分で命を絶つことすら出来ないヘタレとか、雑魚過ぎだろ!?お前なんかこの先生きてて良いことなんて、一つもやってこねーよ!世の中の誰も、お前なんか必要としてねーんだよ!!』

 「うるさい……黙れ、黙れよっっ」


 耳を塞ぎながら走って、間野木の声がする奴から離れる。あんな奴に言われなくても分かってんだよ。人生この先良いことなんて一つも無いことも、誰も僕を必要としてないことも。全部言われなくても分かってんだよ……!


 『ハハッ、素人の同級生に好き勝手言われてんのに、何もせず背を向けて逃げるとか、お前はどこまで底辺弱者なんだよ?霧雨よぉ?』


 逃げた先から、間野木とは違う男の声がした。その声も憶えがあるものだ。前を見るとさっきと同じ真っ黒な姿の人が立っていた。しかし今の声と雰囲気から、あれが誰かすぐに分かった。同じギルド所属の先輩探索者の長下部だ……。


 『最低級のゴミが……まだ生きてやがんのか。お前みたいな底辺弱者はこの先何やっても上手くいかねーって決まってんだから、諦めてさっさと死ねよな。

 最低級のゴミのお前が死んだところで、誰も悲しんだりはしねーんだよ。だってそうだろ?お前の大好きな家族はとっくにあの世にいるんだもんなぁ!?』


 くそ、くそ…!耳障りな声を出すな。聞きたくない言葉を吐いてくるな…!今すぐ僕の前から消えろよ!


 『お前の親はさぞがっかりしたことだろうな?お前みたいな出来損ないカスが生まれてしまったことにさ。いや、親がカスだったからこそお前みたいなのが生まれたのか?だったら仕方ないかぁ!?はははははははははは!』


 「黙れ!黙れぇ!!大好きだった僕の親を、馬鹿にするなぁああ!!」


 そう怒鳴って剣を振るう。しかし間野木と同じ、剣の手応えは一切無い。


 『はははははは!あははははははは……!』

 「くそ、黙れ、黙れよぉ!」


 どれだけ叫んでも、剣を振るっても、長下部の侮辱発言と嘲笑が止むことは無かった。


 「何なんだこれは……。これが僕の心の闇ってやつなのか?こんなのが、第一の関門なのか?」


 悪辣にも度が過ぎてる。この試練を考えた奴は最低にひん曲がった性根をしてるに違いない。


 『――ちっ、クソガキが!なぁーんでこんな使えないドブガキを、いつまでもうちのギルドに籍入れてなきゃならねーんだよ!要らねーゴミはさっさと切り捨てさせろよな』


 今度はギルドの所長、浦辺の声をした奴が出てきた。声を聞いただけで奴が馬鹿にして見下した目を向けてきてるのを思い浮かべてしまう。


 『非力で役立たずの底辺弱者が、所長の俺に生意気な口を叩きやがって!てめえは最下層に生まれたクズどもの一人で、俺はそんなクズを有効活用してやってんだ!どんな扱いを受けようが、甘んじて受けるべきだろうが!最低限人間扱いされてるだけありがたく思えってんだ!』


 この男は僕を人間とすら見てないらしい。前からその節はあったけど、改めて理解させられると心底反吐が出る気分だ。弱い人間を見下し差別することを悦楽と捉えている、おぞましい人間なんだ、こいつは。


 「うるさい……うるさいうるさいうるさい…!もう誰も、何も言うなぁーーー!!」


 それからも人の姿をかたどった黒い何かは、過去に僕を馬鹿にしてきた人の声で、僕に罵声と侮辱発言を浴びせ続けた。一つだった声が二つ、三つ、複数に増え、黒いやつも比例して増加していた。 

 自分の敵である人たちの声による聞きたくもない言葉。耳障りで胸糞で耐えがたい地獄。精神と尊厳が侮辱され続けてる。


 何なんだこのクエストは…!直接的な攻撃は一切せず、僕が嫌う人間の声で罵倒と侮辱の繰り返し。精神的な攻撃で僕を殺すことが狙いなのか?どこまで最低なクエストなんだ…!


 『もう分かったでしょ?あなたが生きてたって誰も望んではいませんし、喜ばれないんです。私にとってはそれすらどうでもいいことなんですけど。ただあなたの存在が認知させしなくなれば、それで良いので』


 隣から牧瀬詩葉の声。僕には侮辱する価値すら無いと言わんとする、心無い発言。


 「………そうかよ。じゃあさっさと、僕を亡き者にしたらどうなんだ。さっきからどいつもこいつも口ばかりで、直接手を出そうとしないのは何だよ!?

 ぐちぐちぐちぐちうるっせーんだよ!!僕に死んで欲しいんだろ?ならさっさと殺しにこいよ!?ここが幻級の巣窟なら、最低級の俺なんか片手ですぐ殺せるんだろ!?なぁ―――」


 牧瀬の声を出す奴に、剣を突き立てる。が、勢いあまって黒いやつに体をぶつけてしまう。


 「あ―――」


 黒い靄に触れてしまった瞬間、全身に怖気が走った。これは……黒い靄が、僕の中に入り込んだのか!?


 「―――っぷ!?うぇ、おぅえぇぇ……!?」


 胃がせり上がり、激しい嘔吐。体のむかつきはおさまるどころか、さらに強まり、眩暈まで生じる。


 「あ……ああ………ああああああああああああああああああああああああっっ!?」


 意識が混濁して、頭が真っ黒な何かに包まれて、侵食されてる感じ―――


 頭から体、つま先まで……闇が、僕を――――しん、しょく―――――――――



 ………


 ……………


 …………………





 「おかしいよね?」


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