「そろそろ寝よっか?」
ふすまを挟んだ隣の部屋から奏ちゃんの声が聞こえた。
奏ちゃんと同じ部屋で寝ている愛理栖と、
隣の部屋で眠る僕。
少し寂しいけれど、温かい布団の中で、僕は今日あったことを思い出していた。
**愛理栖視点**
「奏さん、実はあたしも夢があるんですけど、聞いてもらってもいいですか?」
私の声が、静かな夜空に溶け込んでいく。
「いいよもちろん、話してみて」
奏さんの温かい言葉に励まされ、
私は自分の気持ちを打ち明けた。
5次元人になりたいという不思議な願望。
でも、同時に感じる不安。そして、大切なものを忘れてしまっているような感覚。
「つまり、5次元の存在に生まれ変わってしまったら、夢は叶うけど自分の体がどうなるか、
自我がどうなるか不安っていうわけね」
奏さんの言葉に、私は思わず涙をこぼした。
「そうなんです。それに、そうなったら私に今まで優しくしてくれた人たちに申し訳なくて……」
私の言葉に、奏さんは優しく抱きしめてくれた。
「ねえ、愛理栖ちゃん。理由は他にもあるんじゃない?」
「わかりますか?」
「わかるよ!愛理栖ちゃんの顔、まだ言い足りないって浮かない顔してる」
「奏さんに隠し事はできないですね。実は私、聞こえてしまったんです……」
私には聞こえていた。それは私がひかるさんとドライブに出発してすぐ、彼が激しい頭痛で一瞬意識が飛んだ時に、私の心の中に聞こえてきた話だった。
愛理、ガタン!!
「!? 奏さん、今の音、近くから聞こえませんでした?
それに誰か男の人の声もしたような……。
大丈夫でしょうか?」
「大丈夫、たぶん積み上げてた段ボールの空だと思う。トイレに行くからついでに見てくるね」
奏さんはトイレから戻って来た後も、私の話を親身になって聞いてくれた。
「私、ひかるさんがいままで生きてきた大切な記憶が無くなっちゃうなんてそんなの絶対嫌です!!私のせいです。私がいるからひかるさんがこんな目に。記憶が消えるのが私だったらいいのに。私なんて生まれてこなければよかったのに」
私は涙で顔がくしゃくしゃになった。
「本当に辛かったね。よく頑張ったね。でも、生まれてこなきゃって、それは違うよ愛理栖ちゃん。愛理栖ちゃんとお兄さんのこと、うちが全力で相談にのるよ。だから、自信をもって!」
奏さんの言葉が、私の心にじんわりと染み渡っていった。
翌日。
病院の廊下は静かで、窓から差し込む陽の光が淡い暖かさを感じさせた。
愛理栖は詩織の病室のドアをそっとノックし、中に入った。
「詩織ちゃん? 私が車椅子を押すから、
一緒にロビーに来てもらっていいかな?」
愛理栖は優しい笑顔を浮かべながら声をかけた。
詩織は少し驚いた様子で目を見開いた。
「愛理栖ちゃんじゃないですか。
大丈夫ですけど、どうしてですか?」
愛理栖は微笑んで答えた。
「来てもらったらわかるよ」
詩織は少し戸惑いながらも頷いた。
「は、はい。わかりました」
愛理栖は詩織の車椅子を慎重に押しながら、
ゆっくりとロビーへ向かった。
道すがら、患者たちの視線が二人に向けられたが、愛理栖は気にすることなく進んだ。
二人がロビーに到着した先に僕は待っていた。
「ひかるさん、詩織ちゃん連れて来ましたよ」
「サンキュー! 愛理栖」
僕は愛理栖に感謝の言葉を返した。
ロビーに集まった人々のざわめきが少しずつ収まる中、詩織は不安そうな表情を浮かべていた。
突然の呼び出しに戸惑いながらも、
愛理栖に連れられて会場に到着した彼女は、
姉の後ろ姿を見つけて声をかけた。
「お姉ちゃん!」
詩織ちゃんの声には、少し緊張が混じっていた。
奏ちゃんはその声に応えて振り返った。
「詩織も呼ばれたの?」
詩織ちゃんは頷いた。
「そうだけど、今から何か始まるの?」
「うちも知らないんだ」
奏ちゃんは首をかしげながら言った。
二人は顔を見合わせながら、不安と期待の入り混じった表情で周囲を見渡した。
会場にはたくさんの患者や職員が集まり、
みんなが何かを待ち望んでいるようだった。
愛理栖は優しく微笑みながら、
二人を見守っていた。
「みなさんお待たせしました」
僕と愛理栖は病院の患者さん、職員の方の前に立った。
「今から紙芝居を皆さんにおみせします!」
僕は大きな声で、そしてゆっくりと朗読を始めた。
『むかしむかし~』
僕と愛理栖は登場人物ごとに交代しながら紙芝居を読んでいった。
「おねえちゃん、これ……」
詩織ちゃんは目に涙を浮かべながらそう言った。
「そうだね! うちも驚いたよ」
『~言った言葉の意味がわかりました。
おしまい』
僕と愛理栖は紙芝居を最後まで読み上げた。
紙芝居の後、紙芝居を聞いた患者さんとその家族、職員の方から盛大な拍手が巻き起こった。僕は最初不安だったが、皆の笑顔と拍手を見て、心から安心し、嬉しくなった。
「ありがとうございます。
実はこの紙芝居の作者の方に今日特別にお越しいただいています。
加多来詩織先生です。 みなさんもう一度盛大な拍手をお願いします」
僕がそう言うと、愛理栖が詩織ちゃんの車椅子を押し、中央正面に移動した。
「それでは先生。 ファンのみなさんに一言お言葉をおねがいします」
僕はそう言うと詩織ちゃんにマイクを渡した。
詩織ちゃんは涙をたくさん流していたので喋るのは無理かなと思ったが、しばらくして話してくれた。
「び、病院の患者様とそのご家族、また、職員の人達、そして、ひかるさん、愛理栖ちゃん、お姉ちゃん。こんな大勢の人達に私の書いた童話を知ってもらえて、私は感動のあまり言葉がおもいつきません。
本当に、本当に、ありがとうございました」
詩織ちゃんに向けて盛大な拍手がまきおこった。
すると、詩織ちゃんは僕と愛理栖がいる場所に歩み寄り、語りかけてきた。
「ひかるさん! 愛理栖ちゃん!
私、理由がわからなくて。お2人には何にもメリットがない事なのに、どうして私なんかのためにここまでして頂けるんですか?」
「それは決まっているよ。
詩織ちゃんは僕たちのとっても大切な友達だもん!友達に協力するのに理由なんていらないだろ?」
僕は詩織ちゃんに笑顔でそう伝えた。
「友達? 私が…? 友達に……本当にいいんですか?」
詩織ちゃんは驚いたようにそう聞いてきた。
「もちろんよ! 詩織ちゃん、
私、 ひかるさん、 奏さん、
私たちはみ~んな大切なお友達だよ!
頑張ったね。 病室でずっと一人で、
いいえ、お姉ちゃんと二人で頑張って来たんだね。
でもね、これからはもう寂しくないよ。
だって、 これからは私たちも一緒だもん!
もちろん病院の人達もね」
愛理栖は元気よくそう言った。
「嬉しい……」
詩織ちゃんは目にたくさん涙を浮かべてそう答えた。
「詩織、よかったね。
頑張ってきて本当に本当によかったね」
観客席では奏ちゃんが泣きながらそう言っていた。
「それではここでもう一方ゲストをお呼びしましょう。シンガーソングライターの奏さん!
お願いします!」
会場の視線が一斉に奏ちゃんに向けられた。
彼女は一瞬立ち尽くし、驚いた表情を浮かべた。
「え? うち?え~と、 あの~」
奏ちゃんはまさか自分が呼ばれるとは思ってもいなかった様子でびっくりしていた。
会場の視線が彼女に集中する中、緊張が増していくのが感じられた。
僕は続けた。
「奏さんは詩織先生のお姉さまなんですよね?」
「その変な喋り方やめてよ。
そうです、うちが姉……です」
奏ちゃんは照れながらも、少し固い笑みを浮かべて答えた。
「奏さんはシンガーソングライターらしいですが、 詩織先生の童話の歌詞で歌っていらっしゃると聞きましたがそれは本当ですか?」
僕は優しい口調で尋ねた。
「本当です」
奏ちゃんは深呼吸をして答えた。
その瞳には、少しばかりの不安と大きな決意が宿っていた。
「それでは奏さん。 ここで一曲お願いします。 どうぞ!」
僕が元気よく促すと、会場の照明が少し暗くなり、奏ちゃんの周りに柔らかなライトが当たった。
「…………」
「それでは、 どうぞ!……、
あの~、 奏さん?」
「…………」
「お姉ちゃん……」
奏ちゃんは一瞬黙ったかと思うと、またいつものテンションで話しだした。
「ちょっと冗談でしょ? おじさん後でコロス!」
しかし、奏ちゃんは心の中で自分に言い聞かせながら、一歩前に出た。
「これは詩織のため。みんなのために、
心を込めて歌おう」
伴奏が入り、ボーカルのパートが始まると、
奏ちゃんはマイクを手にした。
「お姉ちゃん……」
妹が固唾を飲んで見守る中、
奏ちゃんは元気よく歌を披露してくれた。
そして、僕達のサプライズは大成功に終わった。
病院の待合室には静かな空気が漂っていた。
「お姉ちゃん今大丈夫?」
詩織ちゃんは心配そうな顔で姉に声をかけた。
「詩織からうちを呼び出すなんて珍しいじゃない。どうしたの?」
奏ちゃんは驚いた様子で振り返った。
詩織ちゃんは一瞬躊躇したが、意を決して話し始めた。
「実はね、お姉ちゃんが喉のことで入院が必要だって知ってるんだよ!」
奏ちゃんは一瞬固まった後、驚きの表情を浮かべた。
「どうして詩織がそのこと知ってるのよ?」
「お姉ちゃんが飲んでたお薬の袋を調べたの。中の裏紙に手術のことが色々書き込んであったから。勝手に見てごめんなさい」
詩織ちゃんは申し訳なさそうに答えた。
奏ちゃんはため息をつきながら答えた。
「そうだったのね。心配かけたくなくて黙っていたの。
うちこそ、今まで秘密にしててごめんね、詩織」
「ううん、いいよ。お姉ちゃんはいつも私のために頑張ってくれているから。
私、お姉ちゃんには本当に感謝しているんだよ」
詩織ちゃんは優しい声で言った。
「ありがとう、詩織」
奏ちゃんは涙を浮かべながら微笑んだ。
詩織ちゃんは少し真剣な表情に変わり、続けた。
「でもね、お姉ちゃん。今の声のままでオーディションに出て大丈夫なの?」
奏ちゃんは驚いて問い返した。
「どうしてそんなこと聞くの?」
詩織ちゃんは切なげな目をしながら答えた。
「お姉ちゃんは今の声のコンディションでたくさんの人に歌を聴いてもらいたいなんて本当は思ってないんじゃない?」
奏ちゃんは一瞬言葉を失った。
「詩織、どうしてそれを…?」
詩織ちゃんは姉を見つめ、真実を語った。
「さっきだって、歌う前に浮かない表情してたよね?
お姉ちゃんは私のこと誰だと思ってるの?
私はね、大好きなお姉ちゃんのこと、
世界で一番知ってるんだから」
「詩織、うちがただ強がって無理してたわ。ごめんね、本当にごめんね」
奏ちゃんは涙を流しながら言った。
詩織ちゃんは優しく微笑みながら言った。
「お姉ちゃん泣かないで。今回のオーディションは残念だけど、ちゃんと喉を治して、
私たちの最高の歌をみんなに聴いてもらおう!ね?お姉ちゃん」
「詩織、うちは、うちは。
うちは絶対、また最高にいい声で歌うからね」
奏ちゃんは感極まり、妹の華奢な肩をギュッと抱きしめた。
そんな二人の姿を僕は目の当たりにした。
自分にも勇気や希望を貰えたような気がする。
僕はなぜか嬉しくなった。
海の風が頬を撫で、遠くで波の音が聞こえる。夕焼けに染まる浜辺で、僕と愛理栖は奏ちゃんに別れの挨拶をしていた。
そのときだった。詩織ちゃんが焦った様子で僕達に駆け寄ってきた。
「ひかるさ~ん!愛理栖ちゃ〜ん!」
遠くから聞こえてくる詩織ちゃんの声に、
僕たちは振り返った。
「お姉ちゃん、さっきから電話しても出なかったからここかなって思って…」
詩織ちゃんは少し息を切らしながら姉に言った。
奏ちゃんは優しい笑顔でそんな妹を迎えた。
「詩織ちゃん、お世話になりました。
童話の執筆頑張ってね!」
「愛理栖ちゃん……。
私の方こそ、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました」
詩織ちゃんは感謝の気持ちを込めてそう答えた。
ぼくは笑顔で二人に言った。
「僕らの方こそ。ありがとうね、詩織ちゃん、奏ちゃん。
それとさ……」
もったいつけるかのように会話を途中で止めた僕は、
詩織ちゃんの方を向き続けた。
「今度僕がトランプと人生ゲームを持ってくるから、4人で遊ぼうよ!」
「はい!ただし、私トランプ強いですよ~!
楽しみに待ってますね」
詩織ちゃんは明るく答えた。
「またねー!さよなら」
「さよならー!元気でね」
詩織ちゃんとの別れを惜しみながら、
僕たちは愛理栖のお母さんの家へと向かった。
海岸線に沿って車を走らせ、
そして、ついに目的地に到着した。
「ちょっと待ってください!」
あろうことか、愛理栖は突然、
僕の手を強く握り、そして引き止めた。
愛理栖の家まではまだ若干距離はあった。
それは、玄関の前にいる人が誰なのか辛うじて見分けられるくらいのギリギリの距離だった。
僕がスマホのカメラでズームしてみると、
玄関には、たしかに愛理栖のお母さんらしき女性の姿が見えた。
しかし……。
愛理栖の体は大きく震えていた。
「お母さん……」
愛理栖は、かすれた声でそう呟いた。
長い間会えなかったお母さんの姿。
愛理栖は、複雑な気持ちでいっぱいだったのだろう。
喜び、不安、そして、少しの寂しさ。
しかし……。
僕は、今愛理栖に何と声をかけたらいいか。
これからどうすればいいのか、わからずにいた。
※今回の要約※
詩織の病気をきっかけに、愛理栖とひかるは奏と協力し、詩織の書いた童話を紙芝居に。奏は歌で参加。
愛理栖の母の居場所がわかったという知らせを受け、ひかると愛理栖は奏と詩織とお別れをした。
愛理栖は母親と再会するが、複雑な気持ちを抱く。