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第5話 リベンジクレーンゲーム


「……無念です」


 ガンっとクレーンゲームを叩きながら、彼女は本当に悔しそうに吐いた。大地に言うでもなく、本当に内側から漏れ出たものであることは同じゲーマーだからこそ伝わってきた。


 その悔しさは分かる。


 自分も何度も経験したものだから。


「ちょっとどけよ、俺がやるから」


 だから、このまま終わりにはできない。


 少女が今日の上限いっぱいの小遣いをはたいてまで取ろうとしたぬいぐるみだ。何の報酬もなく終わるのはさすがに可哀想である。


「剣崎さん……」


 もう毒を吐く余裕もないのか、琴葉は小さく言って大地に場所を譲った。


 とはいえ、大地もクレーンゲームが得意というわけではない。地元にはあったので何度かプレイしたことはある。ゲームとつくのでそれなりに練習もした。けれど、田舎町のクレーンゲームと都会のクレーンゲームとでは難易度が天と地ほども異なる。


 ぶっちゃけ、初プレイも同然だ。


「すいませーん」


 自分だけの力で取ることは困難。


 なので大地は奥の手を使う。クレーンゲームにおける超必殺技、それは『店員さんに助けを求める』だ。何度かプレイして、それでも取れないとき、店員さんに頼めばある程度取りやすいところまで景品を動かしてくれる。


 その基準がどれくらいなのかは知らないが、このしょぼくれた琴葉を見て、何もしないという選択をする店員はいまい。


 ましてや。


「はーい……って、なんや大地くんやん。どないしたん?」


 店員は綾崎美咲である。


 ゲーム好きの彼女はこのジョイポットで働くアルバイトでもあった。


 彼女はそんなことは一言も言ってこなかった。ある日、いつものように来たら「いらっしゃいませー」と当たり前のような顔でやってきたのだ。正直驚いた。それもさすがに慣れたけれど。


「あのバーニーのぬいぐるみが欲しいんだけど中々取れなくてな」


「ふーん。値切りではないけど交渉してくるなんて、もう大阪に染まってきたんやね」


「別にそういうんじゃねえよ」


 言いながら、美咲はしょぼくれた琴葉に視線をやる。それだけでこれがどういう状況なのかは察するだろう。人とコミュニケーションを取ることと空気を読むことに関しては長けているから。


「ほな、じゃんけん勝負でもしよか」


「なんで」


「無条件で交渉が上手くいくとは思わんことやね。こっちも仕事や、それ相応のリスクを負ってもらわな困りますわ」


「リスクってなんだよ?」


「大地くんが勝ったら、きみの言う通りぬいぐるみを取りやすい位置まで移動してあげる。でももし、うちが勝ったらそのときは……」


「そのときは?」


 ごくり、と生唾を飲み込む。うざったい溜めを入れたあと、美咲は真面目な顔で口を開く。


「アイスを奢ってもらう」


「めちゃくちゃ私情じゃん」


「人は皆、常に自分のメリットになることは何かと考えている。そして、それを見つけたとき容赦も躊躇いも持ってはいけない!」


「急になんだ」


「勝利を手にするためにはそれ相応のリスクを負わなあかんってことや! 覚悟決めぇ、いくで!」


「全然そういうことじゃないと思うけど!」


 ツッコみながらも既に美咲が「じゃんけん!」と音頭を取り始めたので大地は慌てて準備をする。じゃんけんなんて所詮は運ゲーである。心理戦に持っていくことも可能だが、今回の場合は本当にただの運。何も考えることなんてない。ただ思いついた手をそのまま出すだけだ。


「ぽんっ!」


 大地と美咲は同時に手を出した。


 大地はグー。


 美咲はパーだった。


「ま、負けた」


「うちの勝ちや。ほな約束通り、アイス奢ってもらうで」


「……納得できねえ」


 勝負に勝ってご機嫌な美咲はふんふんとハミングを口ずさみながらクレーンゲームの窓を開けてバーニーのぬいぐるみの位置を変えてくれた。


「なんだよ、助けてくれんのかよ」


「アイスは奢ってもらうで。でも、琴葉ちゃんのために大地くんが人肌脱ごうとしてるわけやし、その心意気に免じておまけしたげるわ」


「免じてくれるならアイスなしでおまけしてくれよ」


「ゲーマーは過ぎた勝負にグチグチ言うもんちゃうよ」


 窓を閉めて、美咲は大地の肩を叩く。


「ほら、頑張り!」


「……まあいっか」


 アイスと言っても百円程度だろうし、その一回をこのクレーンゲームで節約すればいいだけだ。正直何回で取れるのかは分からないが、極力少ないプレイ回数で終わらせる。それが大地の目標だった。


「よし」


 コインを入れる。


 琴葉は百円ずつ入れていたが、大地はここで五百円を投入した。全ての台ではないが、五百円を投入することでプレイ回数が六回になることがある。この台ではそれが適用されるため、その方が一回得になるのだ。


 そして大地は決める。


 この六回で勝負を終わらせると。


 クレーンゲームで大事なのはシミュレーションだ。何回で決めるかを想定し、その目標を達成するために一回のプレイで何をしなければならないのかを考える。あとは設定したそのノルマを達成していくだけだ。


 そうすれば、目標金額内で景品を獲得することができる。


「気合い入っとるねえ」


 後ろでにやにやしながら美咲が傍観している。ぬいぐるみの位置を変えてくれたからもう用無しなのでどっか行ってくんねえかなあ、と内心では思いつつ恩があるので黙っておく。今ならば琴葉の言っていたこともよく分かる。


 一回目。


 二回目。


 三回目。


 四回目。


 プレイを重ねて、順調にぬいぐるみを動かしていく。琴葉はロクにぬいぐるみを掴めていなかったし、掴めても重心とは違った場所なのでアームの強さの程度を測ることができなかった。


 分かったことはアームがとても強いわけじゃない、ということくらいだった。


 しかし、この四回でおおよその把握はできた。アームの力はやはり操作されておりだいぶ弱い。けれど、最悪のレベルというほどではなく、現にこの四回でぬいぐるみはだいぶ動いた。


 まさしく、大地の思い描いたとおりの進行具合である。


 ということは、このままいけば六回目にはぬいぐるみが取れるということだ。


「我ながらセンスの塊だな」


 自画自賛しながら五回目のプレイを行う。


 まずは横の移動。ここまで順調ではあるが、ここで油断してはならない。勝負事において一瞬の油断は敗北へと繋がるのだ。大地はそのことをよく理解しているのでここで気を抜いたりなんかしない。


 危惧すべき点があるとするならば、それは大地ではない人物である。


「くしゅっ」


 後ろから可愛らしいくしゃみが聞こえた。声からして琴葉のものだろう。集中している大地に気を遣って抑えたという感じではなく、普段からそんな感じのくしゃみをしているっぽい。


 突然の声に驚きはしたものの、控えめなものだったから助かった。あれが大きい音だったら驚いてボタンを放していた可能性がある。よりいっそう気を引き締めてかかった方が良いだろう。


「気をつけろよ。めちゃくちゃ集中してんだから」


「す、すいません」


 横の移動は完璧だ。


 あとは縦の位置を合わせるだけ。横と違って真正面から見れない分難しいが、それでも十分何とかなるレベルだ。それこそ、予想外の邪魔が入ることがなければ。


「ぶえっくしょいッ!」


「うおう!?」


 まるでおっさんのようなくしゃみ。声からして美咲のもので間違いないだろう。彼女のくしゃみをこれまで聞いたことがなかったのでわざとかどうかは分からない。さすがにこんな真剣な場面でふざけるようなことはしないだろうが、絶対ないとは言い切れない。普通に「さっきのは振りや思ったんや」とか言ってきても不思議ではない。


 いや、そんなことはどうでもいい。


「……」


 問題は、突然の大声に思わずボタンから手を放してしまったことだ。


 目的の位置にまで達していなかったクレーンは何もないところで下降し、空を切って元の位置へと戻っていく。大地のプランはここで崩れてしまった。


「おい! 気をつけろって言っただろうがッ!」


「しゃあないやろ。くしゃみは生理現象やで。なあ、琴葉ちゃん?」


「はあ、まあ……」


「お前いつもあんなオッサンみたいなくしゃみしてんのかよ?」


「たまたまや。この緊張感のある空気に負けて我慢できんかってん。いつもはうちも琴葉ちゃんみたいなお淑やかなくしゃみするわ。勘違いしないでよねっ!」 


「可愛くねえんだよ」


 そういえば、初めて美咲と喋ったときには彼女の容姿の良さにドキドキしていた。可愛い女の子に話しかけられてテンションも上がった。しかし、二週間もこうして顔を合わせては話しているとその印象も変わってくる。


 口を開けばとりあえずボケてくるくらいの調子の美咲に対して、異性に対する緊張のようなものは感じなくなっていた。さすがに同性のように接するとまではいかないが、それでも遠慮なんてものはなくなった。


「女の子にそんなこと言うもんちゃうで。女の子っていうのはいつだって可愛く思われたい生き物なんやから。なあ、琴葉ちゃん?」


「はあ、まあ……」


 琴葉は戸惑ったように歯切れの悪い返事をする。


 ぬいぐるみが取れなくてテンションが下がっているというよりは、シンプルに返答に困っているような感じだ。


「わざとじゃねえだろうな?」


「当然や。さすがのうちも真剣勝負に水を差すようなことはせんで」


「……本当だろうな?」


「当たり前や」


「なら、まあいいけど」


 とはいえ、これで六回で景品をゲットするプランは崩れてしまった。コインを追加で投入すればいいだけの話なのだが、最初に自分で六回で取るという目標を掲げたのでとりあえずはそれを達成するために頑張りたい。


 こうなったら、一か八か取りに行くしかない。


 大地は六回目のプレイを始める。


 さすがにそう何度も邪魔が入ることはなく、横の位置も縦の位置も順調に調整することができた。しかし、アームの強さを考えると、やはりこの一回では取れないだろう。


「ん?」


 最初は気のせいかと思った。


 けれど、クレーンがぬいぐるみを掴み、上まで戻った瞬間を見て大地はそれが気のせいでなかったことを確信した。だいたいの場合、上に持っていったときに発生する揺れで景品は落ちる。しかし、今回は落ちなかった。


 アームはしっかりとぬいぐるみを掴んでいる。


「これは」


 アームの強さが調整されたのだ。


 一定回数プレイすることによりアームの強さが上がった。その結果、ぬいぐるみは落下することなくアームが元の位置まで戻り、ぬいぐるみが取出口に落ちてきた。


「大地くんの強い思いが奇跡を起こしたんやね」


「お前のくしゃみのせいで一回ミスったこと忘れんなよ」


「わざとやない言うたやん」


「わざとかどうかは問題じゃないんだよ」


 冷たいツッコみを入れた大地は取出口からぬいぐるみを出し、それを琴葉に渡した。


「ほら」


「いいんですか?」


 毒舌なんかは遠慮なしに吐いてくるが、こういった場面では遠慮するという気持ちが働くらしい。もちろん、大地はバーニーのぬいぐるみなんていらないので、琴葉にこくりと頷いてみせる。


「ありがとうございます」


 ぬいぐるみを受け取った琴葉は嬉しそうにぎゅっと抱きしめた。結構大きめのぬいぐるみなのでそれを持っている琴葉のビジュアルは中々にキュートなものとなっている。


「ああ! 琴葉ちゃんかぁいいわ!」


 美咲がぬいぐるみに抱きついている琴葉に抱きついた。


 ぎゅううっと抱きしめられた琴葉は困ったような顔をするが、何かを思い出したようにハッとした表情を浮かべる。


「剣崎さん!」


「あ?」


「見てください! どうです? 間近で見るとバーニーはかわいいでしょう?」


「いや、変わんねえ……あ、ああ可愛い! めっちゃ可愛い!」


 クレーンゲームに熱中した結果、自分のやるべきことをすっかり忘れていた大地は一瞬素で返してしまう。その瞬間に思い出したので咄嗟に取り繕ってみたが、琴葉の表情は明らかに納得していないようだった。


 恨めしそうにじとりと大地を睨んでいる。


「むう」


「あ、いや、はは……」


 そのあとも、琴葉の面倒な絡みは続いたという。









 結局、門限が近づいてきたという理由で琴葉は話半ばで帰っていき、大地はようやく解放された。クレーンゲームにお金を費やしてしまったが、ここまで来たので一回くらいはヒロスタをプレイしておこうと思い、一人でカチャカチャと遊んでいると、


「おまたせー」


 と後ろから美咲が声をかけていた。


 このゲームセンターの制服は店名のロゴが入ったティーシャツで、美咲はそれに学校のスカートを穿いて働いている。プレイを中断して振り返ると制服に着替えていたので、恐らくバイトが終わったのだろう。


「いや、別にお前を待つためにゲームしてるわけじゃないんだけど」


「え、そうなん? ショックやわあ、急いで着替えたのに」


 と、全くショックを受けていない調子で言う。


「で、何か用か?」


「アイスの約束忘れてへんやろな?」


「……覚えてたか」


 正直言ってあの勝負には納得していないところもあるが、琴葉がぬいぐるみをゲットして喜んでいたことに免じてそれくらい奢ってやるかと思った大地は、その勝負が終わると荷物を持って立ち上がる。


「もうええの? アイスのためならうちは一時間くらい待つで?」


「いや、それはもう帰れよ。どんだけアイス食いたいんだよ」


「大地くんと一緒に帰りたいっていう照れ隠しやん。察しいや」


「だったらもうちょい照れながら言ってくれ」


 もともと長々とプレイする気がなかったのでちょうどいいタイミングだということで店を出る。そして近くのコンビニに寄ってアイスを奢ることにした。


「うち、これにしよかな」


「人に奢ってもらうタイミングでハーゲンダッツ選ぶ人間初めて見たわ」


「大阪の人間は常に自分が得する道を探してるんや。もしもその道を見つけたなら」


「そのどこの誰のかも分からねえ言葉はいいわ」


 大地は美咲の手からアイスを取ってレジに持っていく。会計を済まして、外で待つ美咲の元へと戻っていく。


「どうもー」


「おう」


 さっそく開けて一口食べた美咲は「おいひぃ」と幸せそうな顔をする。これくらいで幸せそうな顔をしてくれるならたまにはいっかと思えてしまうところ、どうやら大地はまだまだ美咲に甘いらしい。


 ハーゲンダッツを食べる美咲の横で大地は棒アイスを口にする。


「あ、ほぉうほぉう」


「食ってからにしろよ」


 言われて、美咲はむぐむぐとアイスを飲み込む。


「大地くんに朗報やで」


「朗報?」


「琴葉ちゃんにリベンジするタイミングを考えてるやろ?」


 琴葉に敗北し、それに勝つために日々練習を重ねている。ときには琴葉に教えを請う。だから、タイミングを探しているのは本当だ。戦えば戦うほど彼女との実力差は浮き彫りになっていき、二人の距離を感じるが、それで諦めるということはない。何ならば、その距離に燃えているまである。


 実力をつけ、リベンジする舞台が、いつもと変わらないただの勝負でいいのだろうか、とは思っていた。


「まあ」


「来月、うちの店でヒロスタの大会が開かれることになってん」


「へー、そうなの?」


「せや。自由参加やし、きっと琴葉ちゃんも参加するで。大会で相まみえたところでライバルに勝つっていうのは、中々に燃える展開ちゃう?」


 確かに、と大地は小さく頷く。


「美咲にしては悪くない情報だぜ」


「前の言葉は余計やけど、ハーゲンダッツに免じて失言は許したる。大会までまだ時間はあるし、大地くんのセンスなら一ヶ月あれば十分戦えるようになるはずやで」


「ああ。燃えてきたぞ!」


 目標を定め、それまでにしなければならないことを考えていく。ゲームにおいて大事なのはシミュレーションだ。


 リベンジの舞台は整った。あとは実力をつけるだけである。


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