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第3話 始まりの敗北

 結論から言うと完敗だった。


 圧倒的実力差を見せつけられ、大地は敗北した。ロクに攻撃は当てることができず、そのくせコンボキャラでもないスカーレットにひたすらコンボを繋げられる。勝ちのヴィジョンが見えなくなるほどに、ボコボコにされた。


 その敗北が大地のプライドをズタズタにしたのだ。


「このまま勝ち逃げなんかさせねえぞッ! もう一回勝負だ!」


 大地は立ち上がり、前の台に座る少女に言う。


「……ええっと」


 戸惑いながら少女は声を漏らす。

 見た目不良の男が目の前でキレながら声を荒らげれば誰だってこんなリアクションになるだろう。何ならば泣いて逃げ出さないだけマシだろう。少女はどうしたものかと考えるように唸る。


「もうやめときや、今の大地くんじゃ勝てへんで」


「いや、でも! ちょっとコツ掴めてきたところだから!」


 嘘である。


 もう一度やってもきっと同じようにボコボコにされて終わることは容易に想像できる。そんなことは自分でも分かっている。しかし、あそこまで圧倒的な実力差を見せつけられたことが悔しくてたまらない。ロクに攻撃も当てることができなかった。このままでは終われない。


 せめて、一矢報いてやらないと気が収まらない。


「ごめんなさい」


 大地と美咲が話していると、少女が立ち上がりぺこりと頭を下げる。


「へ?」


 少女の思わず謝罪に大地は間抜けな声を漏らした。


「もうお金がないので今日は勝負にお応えできないです」


「琴葉ちゃん、まだ中学生やもんな。そんなにお金持ってないよ」


 どうやら少女は中学生らしい。

 その情報が、大地をさらに追い込んだ。


「いや、金なら俺が出すよ。だからもう一戦!」


「それと、門限があるのでどっちにしてもお応えできないです。また会うことがあればいつでも受けて立ちます」


 もう一度ぺこりと頭を下げた少女はスタスタと階段の方へと歩き出す。お金の問題なら何とかなるが、門限と言われれば大地にはどうすることもできない。呆然と立ち尽くしていた大地だったが、ハッと思い出したように口を開く。


「名前、聞かせろ!」


 大地の声が届いたのか、階段を降りようとしていた少女は動きを止めて、大地の方を振り返った。


 そして。


「四条琴葉です」


 と、微かに聞こえるくらいの声が大地の元へと届いた。


「絶対リベンジしてやる」


 ヒーローズスタジアムというゲームに出会ったその日、最高の滑り出しをしたかのように見えた大地だったが、その自信は一人の少女によって打ち砕かれてしまう。


 四条琴葉。彼女へのリベンジに燃える大地は、その日もう一度だけ美咲と勝負をした。


 勝った。










「あー、楽しかった!」


 ぐぐっと体を伸ばしながら美咲が満足そうに言う。体を伸ばすと大きな胸が主張されるようで、大地はいけないものを見たような気持ちに襲われて視線を逸らす。


 ジョイポットを出たときにはもう日は傾いており、辺りは暗くなっていた。


「ほな、帰ろっか。大地くんはバスとか乗るの?」


「いや、そこまでの距離じゃないから徒歩だけど……ていうか、大地くん?」


 ナチュラルに呼ばれたのでスルーしかけたがさすがに触れないわけにはいかなかった。


「うん。あかん?」


「いや、ダメってことはないけど、突然呼んでくるから驚いて」


「実はさっきも呼んでてんけど、やっぱ気づいてなかったか」


「いつ?」


「大地くんが琴葉ちゃんに負けて荒れてたとき」


「そういう言い方しなくていいと思うんだけど」


 美咲と勝負をし、それが終わったときには時間が経ってある程度気持ちが落ち着いた大地は自分の行動を反省していた。いくらゲームに完敗したからといって相手にあんな態度を取るのは良くなかった。


 それだけ屈辱的な敗北だったというわけだが。


「でもなんで突然」


「うち、友達は名前で呼ぶ派やねん」


「聞いたことない派閥だな」


 というか、自分とはもう友達なのか、と大地はふと思う。クラスメイトではあるけれど、今日たった一回放課後に遊んだだけで友達と呼んでいいのだろうか。相手が女子なだけに難しく考えてしまう大地だったが、その考えを察してか、美咲は親指を立てながら言う。


「一度ゲームを一緒にしたらもう友達。これは常識やで」


「初めて聞いた……けど、まあ言いたいことは分かる」


 不良が拳で語り合うように、演奏家が音で会話をするように、ゲーマーはゲームを通してコミュニケーションを取るのだ。そのゲームが終われば相手のことはある程度理解できるし、気が合う合わないも何となく分かる。


「そういうことやからよろしくね。あ、うちの名前ちゃんと覚えてる?」


「さすがにそんなにすぐには忘れねえよ」


「言うてみて?」


「綾崎」


「フルネームや」


「……」 


 どうしてか、ちょっと照れる。

 思い返すと女の子を名前で呼ぶことなんて久しくなかった。それこそ子供のときに、まだ男女の違いさえも理解していないくらいのときにあったくらいだ。なので、いざ呼んでくれと言われると躊躇ってしまう。


「どないしたん?」


 しかし、ここで恥ずかしがっていては確実にイジられる。綾崎美咲という少女がそういう人間であることは今日の放課後という僅かな時間に一緒にいただけで理解した。だから、ここで弱みを見せてはいけないのだ。


「綾崎美咲」


「うん、せーかい。そういうことやから、ちゃんと美咲って呼んでや?」


「はえッ!?」


 予想していなかった美咲の発言に大地は変な声を漏らしてしまう。

 その様子を見て美咲はくすくすと笑っている。


「どないしたん? 友達やねんから、それくらい普通やろ?」


「……どうなんだろな。大阪の常識は俺には分からん」


「郷に入ればってやつや。大阪におるんやから大阪のルールに則らなあかんで」


 ぽんぽんと大地の肩を叩きながら美咲が楽しそうに言う。

 しかし、やはりそう突然言われても呼ぶのは躊躇ってしまう。しかしここで呼ばなければ明日呼ぶのはもっと勇気がいる。大地は今、かつてないほどに追い込まれているような気がしていた。


「ま、どうしてもいって言うなら無理にとは言わんけどぉ」


 残念そうにくねくねと体を捻りながら美咲が言う。それを聞いて大地は内心ほっと胸を撫で下ろす。


「そうなったら、大地くんは女の子の名前呼ぶのに照れて結局最後まで呼ばれへんかったヘタレやって明日クラスのみんなに言いふらしたろ」


「勘弁してください!」


 剣崎大地は腹を括った。

 そのまま二人は他愛ない雑談をしながら帰路につく。


「ほら、呼んでみ? 簡単やで? 大地くん大地くん大地くん。な?」


「それとこれを一緒にすんなっつーの」


 この話題が続く限り、一生マウントを取られ続けるに違いない。どころか、からかいのネタとしてイジられ続ける。どうせ逃れられないのなら、ここはさっさと慣れるが勝ちだ。


「……美咲」


「もっと大きい声で呼んでくれな聞こえへんで?」


「美咲! 美咲、美咲、美咲!」


 自分でももう何を言っているのか分からないくらいやけくそになって名前を呼んだ。まさかここまで呼んでくると思わなかったのか、美咲も少しだけ照れているというか驚いていた。


「あ、はは……それでええんよ」


 最終的によく分からない空気になったまま歩いていると美咲の歩みが止まる。それを見てというわけでもないが、大地の足も止まった。


「うち、ここやから」


「……そ、そうか」


 美咲が目の前にあるマンションを指差しながら言うと、大地は顔を引きつらせながら歯切れの悪い返事をした。


「どないしたん? きぐるみの中を見てしまったような顔をして」


「その例えはよく分かんねえけど」


 言いながら、大地もマンションを指差す。


「俺んちもここなんだわ」


 どうやら本当にご近所だったらしい。

 この展開はさすがの美咲も予想外だったらしく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


 しかし、すぐにいつものようなニタリとした顔に切り替わる。


「まあ、そういうことなら、これからもよろしくってことで」


「そうみたいだな」


 マンションの中に入り、エレベーターに乗り込む。さすがに階数まで一緒ということはなかったが、ここまで来たら逆にお隣さんくらいまでいけよと二人は心の中では思っていた。


 三階のランプが点灯したところで美咲がエレベーターから降りる。そしてくるりと大地の方を向き直って手を振ってきた。


「ほな、また明日ね。大地くん」


 手を振り返すのは何となく恥ずかしかったので、軽く手を上げて大地も応える。


「ああ、また明日。美咲」


 エレベーターの扉が閉じ、上の階に上がっていく。微かに聞こえた鼻歌のようなものは、もしかしたら気のせいだったかもしれない。


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