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第八章 告白 2

「私は実際に未来の君の枕元に立った。いや、どちらかというと、いま私がこの時間軸にいることがおかしいんだけどね」


 死神は語る。


「私はもともと未来の死神、未来から現代にやってきた死神」


「じゃあタイムスリップしてこっちに来たのか?」


「そうなるね」


 死神はあっさり肯定する。


「私が眠っている君に初めて会った時、どうしか涙が止まらなかった。殺さなければいけないのに、殺せなかった。初めて会ったはずなのに、君の事を全て知っていた。君がどれだけ苦労して生きてきたのかを知っていた。何故君が孤独になったのか知っていた」


 死神は告白する。

 しかし謎でしかない。

 なんで俺のことを知っていたのか。


「だから私はなんとかしようと思った。死神に唯一許された自由を使って」


「唯一許された自由?」


「そう。私たち死神は一度だけ時間を跳躍できる。過去に行くことができる」


 そう語る彼女の声は震えていた。

 徐々に見えてきた。

 彼女が何故この時間軸にいるのかが。


「君が”唯一許された自由”を使って、現代に来たのは分かった。簡単には信じられないけど、そうとしよう。納得する。だけど一度だけとはどういう意味だ? 何かペナルティでもあるのか?」


 俺は”一度だけ”というフレーズが気になった。


「ペナルティは私の現状だよ。元死神だと言ったでしょう? 世界は自我を持つ私たちに一度だけ自由をくれる。だけどその代わり、私という個体は消滅し、奇跡を行使した対象の影となって全てを見届けることになる。それがルールだから……」


 ペナルティ。

 最後の奇跡。

 彼女はそれを駆使して、まさしく命を懸けてこの場にいる。


 なんだか申し訳ない気持ちになる。

 実質俺のせいで死んでしまったようなもの。


「……どうしてだ?」


「え?」


「どうしてそこまでしてくれる? 俺なんて、それこそ星からしたら命の価値がないんだろう?」


 疑問でしかない。

 初対面の相手に対してそこまで……いや、彼女の中では初対面では無かったのか?


「さっき言った通り、君の記憶があったの。それも幼少のころからの、だから君が愛おしくて、死んでほしくなくて、私は過去に戻って君を孤立させないようにしようと思った、君が孤立してしまう原因を私は知っていたから」


 俺が孤立する原因……。

 なんだろう?

 俺の性格が歪んでいることぐらいしか心当たりがない。


「君を孤立させていたのは音楽の才能、ピアニストとしての才能だった。この才能が君を孤独にしていった。私は何故かそれを知っていた」


 死神は教えてくれた。

 俺が孤立した理由は音楽の才能であると。

 天才ピアニストとして過ごした人生が、俺を孤独にしたのだと。


 言われてみて思い返す。

 そうなのだろうか?

 でもそうだったのかもしれない。

 人間が孤独になるには、他者と違うところがないと難しい。

 そして俺が他者と違う点、他者よりも優れている点は、音楽の才能に他ならない。


 彼女は何故か知っているという。

 俺の半生を、俺が孤独となって死に至るまでの経緯を、彼女は何故か知っている。

 そんな彼女が言うのだから真実なのだろう。

 音楽の、ピアニストとしての才能が、俺を孤独にした。


「それで、どうしたんだ? 過去に、いまの時代にやってきて何をした?」


 尋ねながら半分答えが浮かんでいた。

 天音は見ていたではないか。

 後ろから俺に大鎌を振り下ろしたと。


「私は現代にやってきて、君から音楽の才能を奪おうと決めた。”人は独りでは生きていけない”から、君を孤独に追いやった、君を輝かせていたと同時に蝕んでいた才能を奪おうと考えた。そうすれば君は、普通の少年として生きていけると考えた。だけど……」


 そこで言葉を切った死神は、フラフラと座り込んでしまった。

 声は震えだし、最初のすすり泣きとは違って、大粒の涙をこぼしながら泣き始める。


「だけど、それが間違っていた。私が君の才能を、音楽の才能を奪うという行為が、どれだけ身勝手で危険なことかを考えていなかった。死神の大鎌は、確かに命以外も刈り取れる。だけど刈り取られた者にどんな作用が起こるか分からない。死神の特権を使用した死神は、一人残らず影となる、だから誰も答えを知らない。そんな中、私は死ぬよりもマシだろうと安直に使ってしまった。君から奪ってしまった」


 死神は恐ろしいほどに整った顔を涙でぐしゃぐしゃにして、俺の足元でうずくまる。


「私はずっと影から見ていた。君がピアノの音が聞こえなくなった時から、今までずっと……。それこそ私が見てきた君とは別のベクトルで、しかももっと急速に君は独りに、孤独になっていった……私はそれを影から見守ることしかできなくて、泣き叫ぶことしかできなくて!」


 見れば、彼女の目尻は赤く腫れていた。


「ごめんなさい! 謝ってどうにかなることではないけれど、それでもごめんなさい! 音楽の才能を奪ってしまってごめんなさい! 君の全てを奪ってしまってごめんなさい! 君を孤独にしてしまってごめんなさい! 結果的に君を……」


 死神は言葉を詰まらせる。

 彼女の言葉の続きは、”殺すことになってしまってごめんなさい”だろうか?


 たぶんそうだろう。

 結果的に、彼女のいうことを信じるのならば、孤独になった俺は死んでいく。

 きっと彼女はずっとここでいていたのだろう。

 叫んでいたのだろう。


 自分の犯した罪に、自分の間違った行動に、それによって自分の意図したこととは真逆の方向に向かっていることも、ずっとずっとここで見ていたのだ。

 何度か変な夢を見たような、そんな朝があったのも、彼女の号哭ごうこくが俺にまで届いていたからかも知れない。


 この影の中から、この闇の中から、光を生きる俺に向かって。


 どうりで体が弱っているわけだ。

 風邪でもない、検査結果も正常値。

 だけど衰弱している今の状況に説明がついてしまった。

 言わば世界の呪いとでも言うべきか。

 世界の呪いによって、体は衰弱を始め、死神の呪いによって俺は才能を奪われた。

 全くもって奇妙な人生だと思う。

 世界と死神から呪われる人間なんて、後にも先にも俺ぐらいだろう。


「もういいよ、事情は分かった。いろいろ謎が解けてスッキリした。確認だけど、俺の耳はもうピアノの音を聞くことは無いんだね?」


「……はい。もう私にできることはない。本当に、ごめんなさい……」


 死神は俺の問いかけに静かに答えた。

 おそらくもっとも恐れていたであろう問いかけ。


「そうか……まあうすうす分かってはいたけどな」


 今度は俺の視界が滲みだす。

 何故だか涙が溢れてきた。

 なんだろう?

 もらい泣き?

 それともホッとしたから?


「え!?」


 泣き始めた俺を、死神はとっさに抱きしめる。

 彼女に包まれた瞬間、微かに桜の香りがした。

 思ったよりも暖かいし、それにどこか憶えのある感触。

 だけどそれよりも、俺はもう一つの謎を解き明かさなければならない。


「なあ死神、もう一つだけ教えてくれ」


 俺は彼女に包まれながら、彼女の耳元で囁く。


「特定の人物の声だけ聞こえなくなったのは、お前の仕業か?」

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