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第六章 終わりの始まり 3

 翌朝、普段よりもかなり早い時間に起こされる。

 そうだった、ここは病院のベッドの上。

 昨日入院したんだった。


 俺を叩き起こしたのは放送で流れる目覚ましの合図。

 入院患者を叩き起こし、寝起きの患者の体温や血圧などを測ったりするのだ。


「菅原真希人さん。体温測りますね」


 部屋に入ってきた看護師はそう言って体温を測る。


 俺は軽く頷きながら、夢の内容を思い出していた。


 夢を見た。

 いつも何か見ていた気がするが、目覚めるとあまり覚えていなかった。

 しかし今回は鮮明に憶えていた。


 夢の舞台は薄暗い空間。

 壁という壁は全て漆黒で、その真っ黒な部屋を照らすのは一本の蝋燭の明かりだけ。

 そこに佇む綺麗な髪が印象的な女性。

 フード付きのあまり見慣れない服を着ていた。

 白と黒の死装束とでもいうのだろうか? 

 とにかくツートンカラーだったのは憶えている。

 そして青白く輝く、整いすぎた顔。

 どこかで見覚えのある顔……。


「あれは死神か?」


 俺はポツリと呟く。


「体温測っただけで、死神呼ばわりは止めて欲しいな~」


「すみません。全然、ただの独り言なので気にしないでください」


 ついつい口に出してしまったものだから、看護師さんが笑いながら突っ込んでくれた。

 本当に申し訳ない。


 やがて看護師は体温から血圧など、諸々の検査を終えて部屋を出て行った。


「あれが死神だとしたら合点がいくな」


 俺は再び意識を夢に向ける。


 あの時何と言っていたのかまでは分からない。

 はっきりと憶えているのは、ただ彼女が泣いていたということ。

 青白く神秘的に輝く顔に涙が滴り、両手で頭を抱えながら嗚咽していたようだった。

 なぜ泣いていたのかは分からないが、夢の中の俺は何もしないままそこに立ち尽くしていた。


「夢の中だとはいえ冷たい奴だな」


 俺は夢の中の自分に突っ込む。

 もしも目の前で似た状況が再現されたとしても、この俺菅原真希人はやはり何もしないのだろう。

 俺とはそういう人間だ。

 見ず知らずの人間のことなどどうでもよく、助けようとかコミュニケーションをとろうなんて発想に至らない。


 確かに俺はコミュ障だ。

 ああいう形とはいえ、夢の中で客観的に自分を見た時に確信した。

 第三者から見た時の俺は、かなり最悪な部類に入るな。




 しばらくすると今度は朝食が運ばれてきた。

 米に味噌汁、卵焼きにサラダに牛乳。

 あまり食欲はないのだが、一応箸を手に取り食べ始める。


 食べながら携帯でニュースを見ると、どこからか嗅ぎつけたのか、俺が倒れて入院したという記事が上がっていた。

 間違いではないが正解ではない。

 俺はまだ倒れていない。

 言葉って難しい。

 倒れて入院というワードだけ見ると、まるで重症のように思われる。

 だけど実際は検査入院だ。

 まあ、満足に動けない状態というのは正解だが……。


「また学校で騒ぎになるのか……」


 俺は教室を思い浮かべる。

 天音が登校した瞬間、彼女がクラスの連中から質問攻めにされている光景が目に浮かぶ。

 これでは天音まで疲弊してしまう。


「なんて謝ろう……」


 俺は言葉を探す。

 彼女は今日もここに来るだろう。

 そしてクラスのみんなに質問攻めにされたことは、おそらく言わないだろう。

 彼女が俺の存在が原因で何かされたり言われた時、彼女は絶対に俺にそれを話さない。

 俺が責任を感じてしまうから。

 俺の負担になるようなことを彼女は決してしない。


 だから彼女は、今日も元気な姿を見せに来る。

 そうに違いない。

 もう彼女に無理はさせたくない。

 しかしそうは思っても、何も具体的な案は浮かばなかった。




 時計を見ると、短針はすでに午後五時を示していた。

 諸々の検査も終わり、後は結果を待つだけ。

 一人でも杖なしで歩けるまでには回復していた。


「失礼するよ」


 ドアがノックされ、野太い男性の声がする。


 開けられたドアの前に立っていたのは、担任であり吹奏楽部の顧問でもある清水先生だった。


 彼は五〇代の男性教諭で、温和な性格と態度から誰にも嫌われないという稀有なキャラクターを持った教師だ。


「体調はどうだい?」


「まあなんとか歩ける程度には」


「そうか、それは良かった」


 先生は椅子に座って俺を観察する。

 一体どうしたのだろう?

 今まであんまり俺に関わってこなかったのだが、流石に生徒が入院となっては顔出しぐらいはしようという判断なのだろうか?


「今日は何の御用ですか?」


 俺は清水先生に尋ねる。

 ただのお見舞いだけではない気がした。


「お見舞いと、最近の君の話をしようかなと思ってね」


「最近の俺の話?」


「ああそうだ。君のニュースなどは連日見ているし、クラスのみんなの反応もなんとなく察しはついている」


 俺は黙って先生の言葉を待つ。

 何を言われるか、なんとなく想像はついていたからだ。


「僕はね、君の気持ちも分かるつもりだし、クラスの子たちの気持ちも分かるつもりだ。だから君が心を閉ざしていることも知っているし、クラスのみんなが君に関する噂話をしていて、君と早坂さんが嫌な気持ちになっているのも知っている」


 まあ当然分かるだろう。

 予想もつくだろう。

 だけど俺は彼になんらかの対処を求めるつもりはなかった。

 先生が何かを言ったところで、どうせ先生の目の届かないところでエスカレートするだけだ。

 彼らは悪気があって陰口を言っている。

 悪気がなければ陰では言わない。

 だから教師が口出ししたって意味がない。

 悪いことなんだと教えても意味がない。

 何故なら良いことではないと、彼ら彼女らは知っているのだから。


「それで、先生は俺に何を言いに来たんですか?」


 回りくどい話は好きじゃない。

 結論の分かっている話を聞く趣味は持っていない。


「簡単に言うと、誰も悪くないということだ。今の君に言うのは時期じゃないと思ったが、いま言わなければ手遅れになると思ったから、だから……」


「だからクラスのみんなの言うことを気にするなと? そう言いたいんですよね? 別に気にしてはいませんよ。こういう仕事柄、大衆が目立つ人に向ける視線はよく分かっているつもりですから」


 俺は半分嘘をつく。

 まったく気にしていないわけでもない。

 そんなことはあり得ない。

 しかしそこまで気にしていないというのも事実なのだ。


「真希人君……分かった。君がそう言うのなら僕はもう何も言わない。だけど一つだけ言っておく。人は独りでは生きていけない。実にありふれていて当たり前の言葉だが、シンプルな言葉こそが真実だったりもする。いいかい? これ以上人を遠ざけてはいけないよ?」


 清水先生はそれだけ言い残すと、病室を後にする。

 ドアのところで天音と先生がすれ違う。

 天音は不思議そうな顔で先生に会釈し、病室に入ってきた。


「何の話をしてたの?」


 天音は早速尋ねる。

 気になってしょうがないという感じだ。


「別に、普通の業務連絡というか、世間話だよ」


「絶対嘘だね。だいたい、業務連絡は世間話ではない!」


 天音は俺に向かってニヤリと笑う。

 そうだった。

 あまりにも世間話というものをしてこなかったせいか、俺の中で業務連絡まで世間話ゾーンに入っていた。


「まあまあ良いじゃないか。それより天音は学校で何も無かったのか?」


 俺は尋ねる。

 一番心配していたのはそこなのだ。


「うんうん、全然。大したことはなかったよ」


 大したことはない。

 何かはあったんだな。


「本当か?」


「本当だって~疑り深いな~」


 そう言って天音は何かを隠すように、張りつけた様な笑顔を俺に向けた。


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