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第六章 終わりの始まり 1

 俺はいま自室のベッドで横になっている。

 二人の声が聞こえなくなった瞬間、全身から力が抜けた。

 彼らが何を言っているのか分からないので、俺はそのまま無視して学校を後にした。

 あの時の二人の目が脳裏から離れない。

 完全に壊れた人を見る目。


 芸能関係者どもが俺に向けてくる視線と同じだ。

 あのネットニュースにしたってそうだ。

 メディアで使い物にならないからと、大衆が喜びそうなワードで金儲けを始めた。


 もう誰からも見放された気分だ。


「なんで立てないんだ?」


 さっきから起き上がろうとしているのに、全身に力が入らない。


 こんなことになるなんて聞いていない。

 ピアノの音が聞こえなくなるだけじゃなかったのか?

 人の声が聞こえなくなったり、体に力が入らなくなったり……。


 何がどうなっている?


 そうだ。

 なんとなしに受け入れていたが、あり得ない。

 特定の人物の声や、ピアノの音だけが聞こえなくなるなんてあり得ない。

 ましてやそれが病気ではなくて死神の呪いだなんて。

 でも天音は嘘はつかないし、俺だって謎の違和感はあったのだ。


 だけどここまで人生って壊れるものなのか?


 地位も名誉も、才能も人脈も、全てが闇の中。

 もしもこれが死神の仕業とするのなら、一体どこまで追い込む気なのだろう。



 死神については別に詳しくないが、俺の知っている死神は、大鎌で対象者の命を削り取る存在だ。

 俺のようなただの人間を呪うような存在ではないはずだ。


「真希人? 大丈夫なの?」


 母さんの声が聞こえる。


「ああ大丈夫さ。ちょっと疲れただけだから」


 あれから母さんはほとんど干渉してこない。

 俺への接し方が分からないのだろう。


「いま天音ちゃんがきてるんだけど通して良い?」


 天音が?

 ああそっか。

 あのまま置いてきちゃったもんな。

 流石に怒っているかな?


「通してくれ」


 俺は母さんにお願いする。

 むしろ今は天音に会いたい気分だった。

 音楽を奪われた瞬間から、より天音に依存している自分がいる。


 もともとその傾向はあったが、今ほどではない。

 まあでも仕方のないことかもしれない。

 俺の身に起きていることを全て知っているのは、天音だけなのだから。


「入るよ~」


 天音のいつもの声がして、ドアが開けられる。

 彼女が怒っていなくてホッとした自分がいた。


「天音……置いて行って悪い」


「別にいいよ。二人の声が聞こえなくなったんだよね?」


 やっぱり天音は気づいていた。

 前にプロデューサーの声が聞こえなくなった時のことを、細かく話していたおかげか、俺の異変を察知していたらしい。


「ふぅ~暑い暑い」


 天音はそう言って扇風機を俺のベッドの近くまで持ってきて、近くにあった椅子に座る。


「寒いんだけど」


「ああごめんごめん。角度変えるね」


 天音は扇風機の風が俺に当たらないようにずらした。

 エアコンはつけているが、それにしたって夏に寒いなんて言うことになるとは思わなかった。


「風邪でもひいたの?」


「わからないけど、力が入らないんだ」


 俺は素直に答える。

 コイツに嘘を言っても仕方ない。


「へぇ~じゃあいま私が真希人を襲っても抵抗できないんだ~」


 天音は悪戯っぽい笑みを浮かべて、半身を乗り出して俺の顔を上から見下ろす。


「なんだよ」


「なんでも。ただ真希人が弱っているのを見るのが新鮮なだけ」


 天音は実に楽しそうに話す。

 彼女的には、弱っている俺はレアキャラらしい。

 性格悪いなコイツ。


「いま失礼なこと考えたよね?」


「いえいえ何も何も」


「言葉遣い変よ?」


「弱ってるんだから、大目に見ろ」


 そもそも疲れて寝込んでいるのに、相手をしていることを褒めて欲しい。


「本当に襲うわよ?」


「ごめんなさい。ちょっと失礼なことを考えていました」


 俺は即座に降伏する。

 そもそも起き上がれない状況で、天音に勝とうなんていうのが甘いのだ。

 普段だって勝っているかと言われれば絶妙なのに……。




「あのあと大丈夫だったのか?」


 じゅうぶん涼んだのか、扇風機を切った天音に問いかける。

 ちょっと気になっていたのだ。


 天音は別に誰かと揉めるような性格ではない。

 俺なんかと違って、いつも明るくて天真爛漫で、誰にでも優しくて、誰からも好かれて……。


「大丈夫よ。ちょっと宣言して来ちゃったけど」


 天音は苦笑いを浮かべる。


 怖い怖い。

 苦笑いを浮かべる宣言で、いい宣言であったためしがない。


「何を宣言したの?」


 恐る恐る尋ねる。

 とりあえず聞いておかなくてはならない。


「私も部活やめちゃった!」


 マジか……。

 俺、思いっきり天音の人生を引っ掻き回しちゃってるな。


「ごめん天音」


「何を謝ってるのよ」


 天音は何言ってんの? ぐらいのノリだ。


「だって俺のせいでやめる羽目に……」


 完全に巻き込んでしまっている。

 天音にはちゃんと自分の人生を生きて欲しいのに。


「それこそ何言ってんの? 私、元々真希人がいるから吹奏楽部に入ったんだけど?」


 天音は大真面目な顔でとんでもないことを言い出した。


「嘘だよな?」


「嘘じゃないよ? だって真希人が一人で部活に入って、上手くやっていけるわけないじゃん」


 天音はケラケラ笑い出す。

 なんてことだ。

 知らなかった。


 もしかして俺って随分昔から天音を巻き込んでる?


「何気に失礼だぞ?」


「あら? さっきのお返しだけど?」


 ああ言えばこう言う。

 やはり彼女には敵わない。

 なにせ、巻き込むつもりなど毛頭なかったのに、最初から巻き込まれていたんだから。

 全くもって準備が良すぎる。


「それでさ真希人」


「なんだよ」


 話がひと段落したあたりで天音が話を変える。


「なんでいま寝てるの?」


「さっきも言っただろ? 起き上がれないんだって」


「熱でもあるの?」


「いや、ない」


 自分で話していて不思議な気持ちになる。

 なんで起き上がれないの?


「だから聞いてるんじゃん。それって普通じゃなくない?」


 天音は心配そうに俺に手を握る。


「おい。うつるぞ」


「大丈夫だって。風邪じゃないんでしょ?」


 大丈夫の基準が分からない。

 風邪よりももっと厄介な何かだったらどうするつもりだ?


「自分ではどんな感じなの?」


 天音は再度聞く。


 あらためて聞かれると難しい。

 どんな感じか……。

 ただ力が入らないとしか言いようがない。


 別に寒くも暑くもなく、頭が痛いでも腹が痛いでもない。

 どこも調子が悪くないのに、全身から力が抜けてきている。

 そんな感じ。


「どこも悪くないのに、体に力が入らない」


 俺は端的に説明する。

 それしか言いようがない。


「それっておばさんには言った?」


「いや、ただ疲れたから寝てるとだけ言ってある」


 そう答えると天音はため息を漏らす。

 人前でため息をつくなんて失礼な奴だ。


「あのね真希人。ここ三ヶ月いろいろあったから感覚が麻痺しているのかもしれないけど、体になんの問題もないのに起き上がれないのは異常よ? すぐに病院に行くべきでしょうが!」


 天音はそう言って部屋から飛び出した。

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