ジェイクには、どうしてもわからなかった。
確かに自分は今、恩人を失い、仲間を次々と失って冷静さを欠いているのだろう。自分の力の無さに打ちひしがれ、心が折れてしまった己を情けなく思っているのも事実。自分は結局、あのアイス・マスター・ドラゴンに一太刀を浴びせることもできなかった。――長年共に戦った仲間達の仇を取りたいと願うなら、命を捨ててでもそうするべきだったのかもしれないのに。
そう、そんな状況だけど、だからこそわかるのだ。
自分は弱いが、それ以上に。今並走しているカサンドラ達は強い、と。確かに戦闘技術にも眼を見張るものはあるだろうが、それだけではあるまい。彼らは何より、心が強い。絶望でも折れない、真に強い心と考え続ける頭を持っている。
一体何故だ、と思った。ずっと冒険者として戦ってきた自分さえ対峙したことのないような強大な敵を前にして、一体どうして彼らのような新人が臆することもなく立ち向かうことができるのだろうか、と。
「何が……そんなに君たちを突き動かすんだ」
走りながら、ジェイクは問いかけてしまう。
「カサンドラ、クオリア。あのテリスっていう少年もそうだ。何がそこまでして君たちを突き動かす?だってそうだろう、君たちにとってはこの町は……今日立ち寄っただけの場所。ずっと世話になった思い入れのある場所でもなんでもない。命賭けで救う必要があるとも思えない。……このまま町を出て逃げれば、少くとも君たちは無事で済むはずじゃないか。そうしたって誰も咎めない、違うか」
心の底からの疑問だった。そんなジェイクをちらりと振り返り、カサンドラは告げる。
「そうですね、貴方の言うことは間違っていない」
「なら……」
「ジェイク。……人が心から、世界を護りたいと思うのは、どんな時だと思いますか」
え、とジェイクは思う。唐突な疑問に、返事を返すことができない。
「人によるでしょうけれど、私は……世界そのものを愛して、本気でその全てを守りたいと思える聖人は稀だと思うんです。多くの勇者や英雄は……自分の愛する、ほんのひと握りの人を守りたいから戦うんだと思います。世界を救うことが、そのひと握りの人を救う結果になるから。だからなんとかしたい。自分がなんとかしようとする。……きっと、英雄だなんだと持て囃される多くの人だって変わらないんじゃないでしょうか。普通の人と同じ。ただただ……身近にいる、大切な人を守りたい。それだけ」
少女はまっすぐに前を見据えている。
眼を逸らすことも、逃げ出すこともなく――ただただ、真っ直ぐに、前を。
「私も、同じです。たった一人の愛する人を救いたい。そのためだけに今、此処にいます」
ん?とクオリアがカサンドラを見た気配があった。もしかしたらそのあたりの話は、彼も知らないことであったのかもしれない。
「この世界は、大きな危機の中にある。この町を守護竜が襲うという前代未聞の災厄も、恐らくその一部なのでしょう。ならば、私にその危機を捨て置くという選択肢はありません。この町を救い、世界を救うことが、そのまま私の愛する人を守ることに繋がると……そう信じているからです」
「カサンドラ……」
「それに。命を賭けてというと大げさですけれど。私達はけして、死ぬつもりでなんて戦っていないんですよ。他のみんなだってそうだと思います。死んでも大切なものを守る。それも確かに覚悟ではあるのでしょうが……」
けして大柄な少女ではない。それなのに今、その背中はとても大きなものに見える。
「“絶対に死なないで、大切なものを守りきる”。それも、けして劣らない覚悟の一つ。違いますか」
ジェイクは、カサンドラのことも、彼女の仲間のことも何も知らない。彼女達が何を見て、何を思い、何を背負っているかなど何一つ知りはしない。それでもだ。
ああ、自分と違っていたのはそこなのだと――気づかされるのは、充分だった。自分にも覚悟がなかったわけではない。でも一番間違っていたのは、その方向性だったのではないか、と。
「もうすぐだ、アクア・マスター・ドラゴンがそこに……なっ」
水の守護竜の姿が見えてきたところで、クオリアが声を上げる。
「ショーン!クライクス!!」
彼らの仲間の二人が、守護竜と戦っている。特に片方の銀髪の少年は、血だらけで酷い傷を負っているように見えた。
「ジェイク、貴方は此処にいてくれ!カサンドラ、助けに入るぞ……!」
此処まで着いてきたけれど、結局自分は戦力外なのか。ジェイクは唇を噛み締めながらも――クオリアに従った。
今の自分が一番するべきことは、この戦いを最後まで見届けて、生き延びることに他ならないと知っていたのだから。
***
一瞬でも、案外なんとかなるかもしれない――と思った自分が恥ずかしい。
テリスの息は上がりつつあった。それは純粋に体力の問題ではない。一歩でも間違えれば即座に終わる、殺されるという恐怖があるからだ。
「があっ!」
がくん、と身体が傾いた。右足のふくらはぎに灼熱。やらかした。それが痛いほどの冷たさに変わる前に手を打たなければならない。転びながらもテリスはスペルを唱える。
「“Heel”!」
ポンポイントで、傷つけられた脚にのみ治癒魔法をかける。霜が張り付きながら、氷かけていた傷に小さな光が降り注ぐ。初級、単発の治癒魔法。ゆえに発動は速い。かける範囲が狭いなら尚更である。だが、傷を治すことはかなわなかった。毒のように脚の傷から全身に広がろうとした、アイス・マスター・ドラゴンの魔力を打ち消すだけで手一杯である。氷漬けになることは回避できるものの、テリスの力では魔力の相殺と治療を同時に行うことはできない。
――くそっ!これ以上傷を増やすわけにはいかねーってのに!!
治癒魔法をかけても、氷漬け回避で手一杯。必然的に、氷の矢を喰らうたびテリスの傷は増えていく一方だった。勿論喰らわなければ問題ないといえばそれまでだが、相手を引き離さない範囲で、隠れもせずに逃げ続けるというのは相当しんどい行為である。体力の消耗も馬鹿にならない。そして、動きが鈍れば攻撃が当たる可能性が高くなってくる。いくら氷の守護竜の攻撃が広範囲&ノーコン気味であるといってもそれは変わらない。
何より、白魔導士とはいえまだまだ初級者のテリスの魔力は、クオリアと比べるとたかが知れたものである。回復、補助、回復、補助――繰り返せばくり返すほどその底は見えてくる。時折ショーンから貰っていた治療薬で補ってはいるが、だからといって無限に回復し続けることができるわけではないのだ。
『“
「ちっくしょう!」
また攻撃が飛んできた。バリアを即座に張り直し、身を屈めて攻撃を回避しにかかる。
さっき脚に受けた傷が響いている。少し動くたび、頭の中をガンガン揺さぶる程度には痛い。ぼたぼたと滴る血の色が忌々しいほど鮮やかである。他にも肩と腕にそれぞれ一箇所ずつの傷。これ以上ダメージを受けたら逃げ続けることが困難になってしまう。
――やられてたまるか!
『貴方にかかっています。……やっていただけますか』
カサンドラの才能は、こんな戦いが始まるずっと前からわかっていたことだ。槍術で一位だから、というわけではない。入学した当初から彼女の実力は異質だった。上級生を相手に、一歩も怯まず訓練をこなす姿。横暴な教師やいじめっ子相手に真正面から正論をぶつける度胸。そして、戦闘における素晴らしいまでの思い切りの良さと、眼を見張る身体能力の高さ。ほんの少し魔力が高い、くらいの取り柄しかないテリスには、そんな彼女の全てが眩しく映るのも必然であったことだろう。
――俺はお前を尊敬してた。でも、同じくらい……遠い存在だと思ってたんだよ。友達なのに、隣にいるのに……いつもお前は遠くばっか見てる気がして……絶対追いつけないって、そう思っちまって。
親友だと思っている。嘘ではない。でも自分とカサンドラの間には明確なまでに壁があった。才能と――それから、それだけではない何か。
その理由は、既に彼女の口から語られている。転生者であり、クオリアを守る為に自分は此処にいるのだと彼女は言っていた。まとめてしまえばそれだけだ。しかし、そこにある苦労はとても一行二行で語れるようなものではなかっただろう。彼女の強さの秘密は、それだった。過酷すぎるほど過酷な、数多の戦いの記憶。愛するものを守りぬくという意思の強さ。届かないのは当然だ。どちらもけして、テリスには持ち得ないものだったのだから。
――それでも。そんなお前が俺を……信じて託してくれたんだ。ここでその気持ちに応えなきゃ……男じゃねえ!
身を転がし、傷の痛みを堪えてすぐ様立ち上がる。
自分は凡人だ。カサンドラのように、クオリアのように、何か一つ絶対に自信が持てるものなど何もない――弱くて、情けなくて、気づけば自己保身ばかり考えてしまうしょうもない人間である。
それでもだ。自分よりずっと強くて、誰かを助けることをけして躊躇わない友人が、こんな自分を信じて重大任務を任せてくれたのである。それがどれほど誇り高く、大きな喜びであることか。
――これが凡人の意地……!見せてやらああああ!
最後の距離を、全速力で駆け抜けた。タイミングを合わせなければならない。道の奥、西の外れに、自分を追ってきている氷の守護竜と同じほどに巨大なサイズのドラゴンの姿が見える。水と氷というだけあってどこか似た色とシルエット。あれがアクア・マスター・ドラゴンで間違いはないだろう。
「テリス!」
カサンドラ達の姿が見える。テリスはぐっと手を掲げた。さあ、あと少し。
「いけええええ!」
彼女達が建物の上に這い上がり、テリスが路地裏に逃げ込んだ瞬間。二体の守護竜は真正面に対峙し、人間に向けようとしていたその一撃を、真正面から互いに浴びせることになった。
『“
『“
それは、まさに守護竜同士の強大な力がぶつかり合ったがゆえの――必然とも言うべき結末だった。
膨大な水流が氷の守護者を襲い、同時に氷の矢が水を吐き出し続ける水の守護者を襲った。大量の水、そしてそれを即座に凍らせる一撃。対峙した二体の竜を――瞬時に巨大な氷像に変えるには充分だったのである。
「やっ、た……!」
ドラゴン達はそのまま――完全に沈黙した。氷漬けになった二体を前に、テリスは思わず声を上げる。
「やったぞおおおおおおおおおおおおお!!」
無謀と思われた戦いの、決着。
それはマカライトタウンを襲った未曾有の災厄が、どうにか封じられた瞬間でもあった。