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<第二十九話・抗う者の瞳>

 ジェイクとて、冒険者の端くれ。当然モンスターを狩ったことならいくらでもある。モンスター達の多くは人間と同じ赤い血の色をしてきて、切り裂く手応えも当然動物とさほど変わらず――けして気持ちの良いものでないことは事実だ。グロテスクな画なら目の前で何度も見ている。切り裂かれたモンスターが、内臓を落下させながら倒れる様も。足を切断された獣が悲鳴を上げてのたうつ様も、今まで何度も、目の前で見てきていることだ。

 人間の怪我人だって見たことがないわけではない。冒険者は基本チームだけで行動するが、任務によっては他のチームと共闘することもある。レッドスパイクのメンバーではなかったが、テオタイガーに腕を咬み千切られる冒険者というのも目撃したことはあった。回復魔法が使えたとしても、大きな傷はそう簡単には治せない。特に切断された手足ともなれば、回復魔法だけでは追い付かず正しい医療を併用しなければならないことが大半である。

 そう、自分達だってそれ相応に修羅場は潜ってきているのだ。なのに。ああ、それでも、だ。

 人がこんなにもたくさん死ぬ光景は、一度も見たことがないもので。

 しかもその中に、自分達を父親のように世話してくれた宿屋の主人が含まれるなんて、考えもしなかったことで。


――ざけんな。


『そいつぁ私からの奢りだ。盛大に空けてやってくれ!!』


――なんでだよ、なんでこんな馬鹿げたことになってんだ?


『遠慮するこたない。悩んでるようだったから、はっきり言わせて貰うがな。この町の人間で、レッドスパイクに感謝してない奴なんかいないんだよ。実力がない?何年もこの町に貢献して、この町を守ってくれてるチームが何弱気なこと言ってるんだ。いいじゃないか、巨大なドラゴンやらなんやらが倒せなくたって。そんな力なくたって……私たちのヒーローは、お前さん達なんだよ』


――さっきまで生きてただろ。おやっさん、俺達に高いワインご馳走してくれたじゃねえか、なのに。


『適材適所ってものはある。確かにいなくなっちまった奴らのことは心配だ。助けてやりたい気持ちはある。それでもな。無理をして助けに行って死ぬのが勇気かっていうとそんなことはないだろう?お前さん達はお前さん達らしくやってればいい。国にちゃんと救援要請は出してる。いずれ強い冒険者か、強い憲兵が来てなんとかしてくれる。それが出来る奴らに仕事を任せるのは、逃げでもなんでもないと私は思うがね。なあリティ?』


――あっていいはずがねえ。こんなふざけたことが……許されるはずがねえ。


 さっきまで生きて、笑っていたはずの人が。頭を半壊させ、血だらけになって倒れている。もう何も言わない。笑わない。喋らない。どんどん冷たくなっていく骸に縋りつき、幼い少女は泣き叫んでいる。こんな死に方をしていい人ではなかった。こんな思いをさせていい子ではなかった。


――何が町を守るだ!俺は……俺達はっ!!


「うわぁぁぁぁぁ!!ざけんなっ!!ふざけんな!!ぶっ殺してやるっ……!!」

「そうだ、守護竜だかなんだか知らねえが……絶対に許さねえっ!」

「キャベルさんの仇だ、行くぞっ!!」


 怒りが――恐怖を上回って、弾けていた。


「!よせっ、ジェイク!お前達!真正面から特攻しても勝てないぞっ!!」


 クオリアの制止する声が聞こえたが関係なかった。止まろうとも思えなかった。ジェイクと、レッドスパイクの仲間達は一斉に飛び出し、アイス・マスター・ドラゴンに向けて突撃していく。

 ジェイクは剣士。副官のヴェスは格闘家モンク。他の仲間はそれぞれ盗賊シーフ、白魔導士、狩人という顔触れだった。魔法攻撃を使えるメンバーこそいなかったが、その分物理には自身がある。自分とヴェスが最前線で突撃し、弓を使える狩人と小回りがきく盗賊職がそれを援護、随時白魔導士のメンバーが回復と補助で補っていくというのが自分達の必勝パターンだった。高い実力があるわけではなく、強いモンスターとの戦闘経験もなかったが、それでも長年この仲間で戦い抜いてきたという自負が自分達にはある。そう、このメンバーはアカデミアを卒業してから一度も変わったことがないのだ。

 自分達の連携と絆を、ジェイクは心から信じていた。それでも普段ならばけしてこのような無謀な攻撃などしなかったことだろう。それどころか守護竜相手など、間違いなく撤退を選んでいたに違いないのである。

 それでも立ち向かったのは。戦いを挑もうと思ったのは。ジェイク自身が冷静さを大きく欠いて、憎悪に囚われていたからに他ならない。


――許さねえ!守護竜がなんだ、糞食らえだっ!無関係の……罪のない人をこんな惨たらしく殺していきやがって!


 此処は、自分達の町だ。自分達を受け入れてくれた、第二の故郷。

 このマカライトタウンで、これ以上暴挙を許してなどなるものか。それが例え、守護竜と呼ばれるこの地の守り神であったとしても。


「死ねっ!!」


 接近し、氷のような冷たく青い竜を斬り付けようとした――その瞬間だった。


『“氷矢乱舞サジタリウス”』


 惨たらしい音と悲鳴が、不協和音を奏でた。

 びしゃり、と生ぬるい液体が大量に頬にかかる。周囲に溢れ返る、生臭い臭い。ジェイクは恐る恐る周囲を見た。そして――現実を、理解した。


「あ……が……」


 すぐ隣を並走していたシーフの仲間が、信じられないという顔で己の腹部を見ている。――氷の矢が貫通し、大穴が空いて――内臓を露出させている、その傷を。

 信じられないという顔で彼は数度瞬きをして、そのまま力尽きたように倒れた。そして、氷の矢にやられたのはその仲間だけではない。

 すぐ後ろを走ってきていたはずの狩人職の仲間と白魔導士職の仲間は、それぞれ首と胸に穴を開けてびくびくと身体を痙攣させていた。どちらも明らかに致命傷。しかも白魔導士がやられてしまっては――もう、助かる術はない。

 そして、最後の一人。副官のヴェスは。


「な、なんだよ……なんだよこれ……っ!」


 彼は幸い、直撃を免れていたらしかった。矢が掠めた腕を押さえて、真っ青な顔でその場に立ち尽くしている。

 ヴェスの腕の傷から、氷の花が咲いていた。それがどんどん彼の肩へ、胸へ、腹へと侵食し――全身を生きたまま氷像に変えようとしていたのである。図らずしもジェイクは理解してしまった。自分達のところに逃げてきた、ゾンビのような半凍り付けの町人達。あれはきっと、矢で致命傷を負わずに済んだ者達だったのだろう。

 それでも、かすり傷程度の傷からアイス・マスター・ドラゴンの魔力と呪いが侵食していったのだ。そして気がついた時には、生きたまま氷の彫像へと変えられてしまうという、そういう絡繰りだったのである。


「ジェ、ジェイク……!俺、俺……っ!」

「ヴェス!!」

「嫌だ、嫌だぁ……!死にたくねえよ、ジェイク……っ!!」


 メンバーの中で一番冷静だったはずの彼は。流した涙さえ凍りつかせながら、ジェイクの目の前で――凍り漬けになってしまった。


「あ、ああああっ……!」


 ぞろり、と背後で気配が動く。はっとしてジェイクは振り返った。

 そうだ自分は、斬り付けようとしたはずだ――氷の守護竜を。それほどまでに接近していたのだ。だから。

 真っ赤な瞳で、そのドラゴンが怒りも露に目の前に佇んでいるのは、何もおかしなことではあるまい。


「あ、ああ……ぁぁっ……」


 思い出してしまっていた。

 よりにもよってこのタイミングで恐怖を――絶望を。


――畜生…畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!


 戦うか、逃げるか。最低でもそれを選ばなければならないとわかっている。ここで震えているのが最も愚かな選択であることは疑う余地もないことだ。それなのに。


――俺も死ぬのか……?みんなのように穴だらけにされて?それともヴェスみたいに生きたまま凍り漬けにされて?


 歯がガチガチ鳴っている。足が震えて、耳の奥はぐわんぐわんと奇妙な音を奏でている。

 逃げなければ。勝ち目なんてない、それなら逃げるしかないではないか。なのに。


――こわい。


 なのに、どうして自分の足は、動かない?

 キャベルの仇を取れないまま、仲間達の思いに報いることもできないまま、愛する町に貢献することさえ叶わないまま。自分は此処で、無惨に殺されるというのか。


――いやだ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 竜が、ずらりと鋭い牙の並んだ口をかばりと開いた。その口内が光で満たされていくのを見る。その光が氷に変わり、目の前の愚かな獲物を貫いくのだろう。

 それは数秒後には来る、確実な、ジェイクの未来だった。


――嫌だ……死にたくないっ!!




「“螺旋を駆ける一撃スパイラル・スティンガー”!! 」




 目の前のドラゴンの頭が、大きく殴り飛ばされ、吹き飛ぶのを見た。

 どう、と巨大な身体が衝撃を受け流しきれずに地面に倒れる。凄まじい地響き。そしてそれさえ物ともせず、ジェイクの目の前に降り立ったのは――見事な槍を構えた、金髪碧眼の少女だった。


「諦めるのは、まだ早いのではありませんか」


 彼女は――カサンドラはジェイクを振り返ることもけずに、静かな声を投げかけた。


「何故なら貴方は死んでいない。生きているうちは、未来を考え続けることができる……そして、考えられるうちは、まだ何も終わりではない。違いますか」


 どうして、とジェイクは思う。

 彼女はそう、チーム『ファイナルヘブン』の竜騎士。まだ駆け出しチームの、新人冒険者の一人のはずである。戦闘の経験なんていくらもないに違いない。まださほど大きなモンスターだって討伐したことはないはずだ。それなのに。

 アイス・マスター・ドラゴンを相手に何故心折れることもなく、そこに立てるのだろう。

 何故、その存在に躊躇いも恐怖もなく立ち向かい、そのようなことが言えるのだろうか。


「君は……君は一体……?」

「ただの、新人竜騎士……カサンドラ・ノーチェスです。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」

「ジェイク!カサンドラ!!」


 それ以上を追求することは叶わなかった。カサンドラの仲間である、クオリアとテリスが追い付いてきたからである。


「クオリア、テリス。丘の上から確認しました。この町は東西から二つの守護竜に同時に襲撃を受けています。東からアクア・マスター・ドラゴン。西からアイス・マスター・ドラゴン。理由はわかりませんが……どちらも正気を失っている模様。町には甚大な被害が出ています」


 少女はきっぱりと、静かな怒りを燃やして、二人の仲間に告げた。


「守護竜といえど、赦しがたい蛮行……これ以上犠牲者を増やすわけにはいきません。ですが、二体の守護竜が同時に相手では勝ち目がないのも事実。……作戦があります、二人とも協力して頂けますか」


 そしてカサンドラは驚くべき作戦を口にするのだ。ジェイクならけして考えつかなかったであろう、とんでもないプランを。

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