時間は少し遡る。
テリスはクオリアと共に宿屋の二階から降りてきて、ジェイクの仲間の報告を聞いた。水の守護竜が町を襲うなど聞いたこともない話である。確かに一ヶ月前もガイア・ベビー・ドラゴンがアカデミアに襲来するという事件はあったが、あれは他ならぬ女王の依頼による特例中の特例だ。そもそも襲ってきたのは配下であって、地の守護竜それそのものではない。
守護竜達にはそれぞれ属性の名前を冠する配下達がいて、有事の際もまず自分自身が動くとこはない。間接的に災害を起こして怒りを示すことはあるが、自分自身が姿を現して災厄になるなど過去に例がないと言っても良かった。旅立つ前にある程度守護竜に関する記録を漁ったので間違いはない。どうしても人間達に伝えたいメッセージがあったとて、まず動き出すのはその配下であるのが普通だ。容易く力を示せないほどに、マスターと名のつく守護竜達の力は強大なものなのである。
「ほ、ほんとに守護竜なのか?配下じゃなくて?」
テリスがそう問うのは当然だろう。しかし混乱するジェイクの仲間は、わかんねえよ!と叫ぶばかりである。
「俺だって直接見たわけじゃない!ただ、東から逃げてきたやつがそう言ってたってだけなんだ。あんな大津波起こせるのは、守護竜くらいしかいないって!」
「津波って……」
「確かに、アクア・マスター・ドラゴンでもなければ出来なさそうな芸当だな……」
クオリアが厳しい顔で頷く。
「このまま放置しておくわけにはいかない。もしもアクア・マスター・ドラゴンが町に上陸して津波を連発させたら、被害は東側だけでは済まない。町ごと壊滅してしまう。何故そんなことになったかわからないが……止めにいかないテはないな」
これだよ、とテリスは思う。守護竜の配下と戦った記憶はまだ新しい。ガイア・ベビー・ドラゴンでさえあれほど強敵だったのだ。自分達もあの時よりは強くなっているとはいえ、だからといって守護竜を相手にするなど笑い話にもならない。勝てるはずがないではないか。そして、見た目通り聡明なクオリアがそれをわかっていないはずがないのである。
「ガチで守護竜なら。……勝ち目、ないぞ」
テリスは言う。それは自己保身の気持ちもあったが、純粋な疑問もあった。
否――それは殆ど、決定事項の確認でしかなかったが。
「それでも勝率はゼロではない。そして、私達が行くことで救える命があるかもしれないのに、それを見過ごすなんてことはできない。当然だろう」
こいつはカサンドラと似ている、とテリスは思った。自分に出来ることがある。目の前で困っている人がいる。助けられるかもしれない存在がある。そんな時、深く考えることさえなく当たり前のように動く選択ができるのが彼なのだろう。カサンドラと同じだ。自分がそれをやる必要なんてない、なんてことは考えない。頭にも浮かばない。やらないのが怠慢だとか、罪悪感があるだとか、そんな発想にさえ向かうことがないのだろう。
悪い言い方をすれば、後先を考えないのだ、彼らは。
そして周囲の目を気にすることも、誰かに流されることもなく――その瞬間に善意を行使することになんら躊躇いがないのである。ああそうか、と納得させられてしまった。クオリアのことを苦手だと思うのに、カサンドラの苦労も知らないで呑気にしやがってとモヤモヤする気持ちもあるのに――それでもこの青年を嫌いになることが出来ない理由。
誰かを助けることに、訳を考えることさえしないで、危険さえ省みずに立ち向かえる。そんな稀有で一途な人間を、どうして嫌うことが出来るだろう。
――そうだよな。だから俺、カッシーのことが好きなんだよなあ。
その好き、がどんな好き、なのかは正直自分にもわからない。その人物が親友であっても、取られたら嫉妬心を抱くのが人間だ。むしろ、わざわざ感情に線を引いて名前をつける必要もないような気がしている。きっと、今はそれでもいいのだろう。
肝心なのは自分が。なんだかんだでこの青年のことも好ましいと思ってしまった点である。
「そうだな。……そういうアンタだから、カッシーはアンタを守りたいんだろうなぁ」
「?」
「あーうん、こっちの話。とりあえず……ジェイクさん?」
びっくりしたまま固まっているジェイクとその仲間に向けて、テリスは言った。
「この町の構造に詳しいなら……ちょっと頼みたいかな。町の人、なんとか避難誘導してくれないか?」
「え、え……!?い、いやでも……」
「戦うのは俺たちでやるよ。……こんなところで、立ち止まってるわけにはいかないんだ。俺達これでも、世界を救うヒーローになりにきたんだしさ」
此処は長年町で世話になっている自分達が戦うべきだ、とジェイクも思ったのだろう。でも、同時に青ざめて顔が物語っている。この町に留まり、あまり難易度の高くない任務に絞って仕事をしてきたのであろう彼らが――戦闘技術に関してはさほど自信がないのだろうのいうことを。
自分達の方が、先輩であるチーム『レッドスパイク』より強いと慢心しているわけではない。
でも、テリスは隣にいるクオリアの新人離れした魔力も、カサンドラの凄まじい火力も知っていた。自分は何をするにも中途半端で、臆病で、なにかにつけて損得勘定をしてしまうような凡人だ。でも、仲間達はそうじゃない。クライクスの多彩な魔法剣も、ショーンのすばしっこさと知識もある。凡人の自分がそれでも誇れること。それは、素晴らしい力量を持った仲間に恵まれたことだ。
自分だけならきっと逃げ出していた。
でも彼らがいるのなら。なんとかなるなるかもしれないなんて、そんな夢も見てしまうのだ。
「頼んだ」
ジェイクの返事を待たずに、テリスは宿を飛び出した。クオリアも当然一緒である。そのまま、事件が起きているであろう東側に向かうつもりだった。――そう、そのつもりだったのである、しかし。
「た、す……け、て……くれ……ぇ……」
走り出そうとしたテリスの背中にかけられた、微かな声。
え、と思って振り向いたテリスは目を剥いた。今まさに向かおうとしていた方向とは真逆。
「……え?」
ふらふらと、数人の人間がこちらに向かって歩いてきていた。まるでどこかのゲームで見たような、それこそゾンビのような動きである。勿論腐っているわけではなく、彼らは普通に生きている人間だった。しかし。その様相は、あまりにも異常なものだったのである。
彼らは不自然に両腕を上げていたり、肘を曲げていたり、足を引きずりながら歩いていた。何故か。固まってしまって動かないのだ――身体が、現在進行形で凍り続けているせいで。
「たす、け、て……だれ、か」
「こおっち、まう……さむい、さむ……」
「死にたく、な……あ、ぁ……」
まるでゾンビのようにふらふらと歩いていた者達の足取りは、こちらに近づくにつれみるみる遅くなり――やがて、止まった。彼らの髪も、肌も、みるみる凍りついていき、生きたまま氷像と化してしまったためである。
「な、なんだよこれ……!!」
そして、彼らの歩いてきた――西へと伸びる道もまた、酷い有り様と化していた。
凍りついているのである。道も、建物も、柱も。真っ白に、雪がこびりついてそのまま固まったように。いくら寒い時期とはいえもうすぐ春も来ようという時期だ。ましてや砂漠で雪など降るはずもなく、今日も今日とて快晴である。吹雪に見舞われかのように道が凍りつくなどあるはずがない、あっていいはずがないというのに!
「嘘、だろ……!」
宿から出てきたキャベルが絶望の呻きを上げた。彼と手を繋ぐ孫娘も、その隣に立つジェイクも顔色は紙のように白くなっている。
道の向こう。凍り付けの人間達が歩いてきた道の奥で、ごそり、と何か黒く大きな塊が蠢いたのが見えた。それが緩慢に長い首をもたげた瞬間――クオリアの鋭い声が飛ぶ。
「テリスッ!“Barrier”を張れっ!」
「!!」
あまりにもとっさの事が過ぎて、間に合わなかった。テリスの思考が追い付いた瞬間、それらは鋭い矢となって自分達に降り注いでいたのである。
「伏せろっ!!」
気がついた時にはクオリアに建物の影に突き飛ばされていた。風を切る鋭い音――それがいくつもいくつも地面に突き刺さる音。転ばされた拍子に強く打った尻を擦りながら、恐る恐る目を開けたテリスは見た。
氷だ。
氷の矢が何本も、地面に突き立っている。そして。
「お、じい……ちゃん……?」
幼いリティの、呆然とした声。
孫娘と手を繋いだ宿屋の主人は、まだそこに立ったままだった。しかし、彼はもうリティの声に返事を返すことはない。キャベルの頭は氷の矢に貫かれ、大きく半壊していた。こちらからではかわらないが、きっと反対側に回れば割れた頭蓋の中身をはっきり見ることができてしまっただろう。片方だけになった眼は見開かれたまま、呆然と宙を見据えている。
そして。
その身体が、思い出したように頭から血飛沫を上げて倒れた瞬間――引き裂くような少女の悲鳴が上がっていた。
「いやぁぁぁぁ!お祖父ちゃん!お祖父ちゃんんんんん!」
「なんでだよ……っ!なんでだよ、ふざけんなぁぁぁ!!」
ジェイクの、嘆きと憎悪に満ちた絶叫。テリスは声もなく、その凄惨な光景を見つめていた。さっきまで生きていた人が、会話を交わしたはずの人があっさりと命を奪われる瞬間を見てしまった。その惨たらしさを、呆気なさを――思い知らされた。
――何が起きてるってんだよ……!!
視界の向こう。硝子のように光を反射しながら、水色に輝く竜の姿が見えた。
絶望に次ぐ、絶望。クオリアが愕然としたように呟く。
「アイス・マスター・ドラゴンも、だと……」
そう、思い知るのだ。
自分達はとっくの昔に地獄にいた。
ただそれに、気付かずにいただけだということを。