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<第二十七話・劣等生の意地>

 ショーンのクオリアへの感情は、一言で説明するにはあまりに複雑なものだと言えた。

 小柄で、ほんの少し足が速くてほんの少しだけ勉強が出来るだけの生徒。それがショーン・トレイだった。それ以外、特に運パワーはほぼほぼ劣等生の領域である。腕力なんてからっきしで、中等部時代の剣術の授業では支給された練習用の大剣を持ち上げることもできず、酷く周囲に呆れられたことがあるほどだ。

 遺伝の関係なのかなんなのか、ショーンの身長は初等部時代からまるで伸びる気配がなかった。それでも横にガッシリしていればまだ良かったのだが――筋肉がつきにくい体質なのか、どれだけ食べて運動してもガリガリのまま。劣等感をこじらせるには充分だったのである。

 そもそも、中等部時代に使うような大剣は、大剣と名前がついていても重さなどたかが知れたもの。女生徒だって振り回せる重さでなければ訓練にならないのだから当然だろう。中等部ではまだジョブに分かれて専門訓練をやらない分、全てのジョブの基礎訓練を広く浅く行うのが通例である。魔導士職を志望する者も中等部時代は必ず剣術や槍術を習うことになるのだ。当然、ある程度の成績を納めなければ赤点がつくし――最悪、中等部で留年なんて恐ろしいことも発生しかねないのである。

 不良と呼ばれる生徒もいるにはいるが、その実完全に学業をサボれる環境かというとそんなことはない。アカデミアはそういう場所だった。

 特に戦闘技術や身体能力を磨く訓練、戦闘に必要な知識を問う科目などは中等部とはいえ点数の付け方が非常にシビアである。それは、中等部が将来自分がつくジョブを決めるための最も大切な時期であり、そして全ての基礎訓練と知識が、冒険者となった時の生存確率を飛躍的に向上させることを大人達が知っているからでもあった。

 冒険者と呼ばれる仕事は、それほどまでに過酷なのである。稼げるようになれば億万長者も夢ではなく、国としては少しでも利益を得るため積極的に宣伝は行っているが、華々しい一部の冒険者達の活躍とは裏腹に、毎年不幸な事故で命を落とす者が後を絶たないのも事実なのだ。特にプロのライセンスを得た一年目に命を落とす者は、なんと新人のおおよそ三割にも及ぶとも言われているといっていい。

 それは、自らの実力を過信して、初手から強いモンスターや任務に挑み過ぎる者が多いから、とされている。自分の力量を正確に図り、まずは簡単な任務から堅実なレベルアップが出来る者だけが二年、三年と生き残っていくことができるのだ。伝説やベテランと呼ばれる者ならば、どれほど天才と持て囃されていようと身に染みて知っている事実なのである。


『君はとても頑張っていると思うよ。しかしね……君の能力では、冒険者をやるには少々厳しいと私は思うんだ』


 剣を振り回すどころか、持ち上げる腕力もない。

 脚はそこそこ速くてもそれを長く持続させられる体力もない。

 頭はいい。しかし一番ではなく、上には上がいる。そして後衛職を努めるには、あまりに魔力値に不安が残る。

 そんなショーンを見かねて、教師にそう諭されたことなど何度もあるのだ。出来ればこの学校に通うのは中等部までにして、高校からは外部の一般的な学校を受験してはどうか、と。君の頭ならそれなりの学校に入れるはずだから――と。


『冒険者という仕事は、君が思っている以上に命懸けなんだ。君の意欲は買う。しかし我々としても……死ぬとわかっている生徒を送り出すわけにはいかないんだよ』


 お前など、プロになってもすぐ死んでしまうに決まっている。教師達はみんなそう思っていたらしい。それは教員として心配する気持ちがあったのも事実だろう。悪意など無かったに違いない。でも。

 そう聞かされるたびにショーンがどれほど悔しく、より意固地になったかなど、きっと誰にもわからないに違いない。ショーンは何が何でも冒険者になりたい理由があった。簡単なこと。憧れの人が、冒険者を目指して頑張っている姿を見てきたからである。


――初めて、クオリアさんを見たのは……僕が中等部の一年で、クオリアさんが二年の時だったな。


 上級生との合同訓練。簡単な魔法と格闘術だけを使って相手に膝を突かせたら勝ち、そういう内容だった。ショーンの成績は言うまでもない。打撃に威力がないせいであっという間に受け流され、避け続けてもやがて疲れて捕まってしまう。醜態ばかりを晒してヘコんでいた時、見学して眼を奪われたのが、クオリアの姿だったのである。

 格好いい男子を見れば、女子が黄色い悲鳴を上げるのが普通だろう。クオリアの場合はそれさえなかった。中等部の女子どころか男子までもその姿に見惚れて言葉を失っていたからである。

 今でこそ性別を間違えられることはないが、中等部時代のクオリアときたら性別が迷子になるくらいの見目であったのだ。細身の物凄い美人。男か女かよくわかんないけどどっちでもいいくらい美人。そんなかんじで語彙力が死ぬくらいには、彼の容姿は頭抜けていたのである。

 そして彼が何より周囲を魅了したのは、その戦いぶりだ。

 クオリアは、戦闘技能の全てに優れた天才、ではなかった。そこそこ俊敏さはあるが、腕力はからきしで殆ど相手に効いていない。ましてや中等部時代の彼は今と違って身長もかなり低かったのだ。体格で相手を圧倒することも不可能。ただ一点、彼が相手より大きく勝っていたのは、その魔法の使い方と魔力の高さである。

 通常、魔法を使ってすぐに身体を動かすことは難しい。発動の直前直後はどんな手練れであっても隙ができるものなのだ。しかし、クオリアは自分の身体能力の無さを補助魔法でフルカバーし、かつ唱えてすぐに攻撃に移るという荒業をやってのけた。その一連の動きは流れるように鮮やかなもので、ショーンはそれに、魅了されたのである。

 クオリアの戦闘能力は、断じて完璧なものではなかった。しかし彼はそれを自分の得意なもので存分に補うことで、苦手を補って余りある戦闘スタイルを確立させ相手を倒してみせたのである。そのアンバランスさと努力に、ショーンは大いに感銘を受けたのだった。

 彼がもし、何もかもに秀でた天才だったならこうは思わなかっただろう。どれほど苦手なものがあっても、他のものでカバーすれば強者とも対等に渡り合えるのだ。クオリアは実力をもってしてそれを証明し、ショーンの世界に大きな変革を齎したのである。

 彼のようになりたい。

 彼のように努力を惜しまず、自分を通せる冒険者に――一人の男になりたい。

 その憧憬は、中庭でこっそりと一人で魔法や格闘術の訓練をするクオリアを見つけて以来ますます強くなっていったのだった。夕方。皆がとっくに寮に帰ってしまった時間。それでも彼は、黙々と一人訓練を続けていた。クオリア・スカーレットを天才と呼ぶ人間は少なくないが、彼が本当に天才なのはその魔法技術の高さではない。凄まじい努力を苦にもせずこなしていける忍耐力の強さであると、ショーンはそう思うのである。


――眩しくて、恐れ多くて……目の前にいてもとても遠い人。それがクオリアさんだった。


 たった一度だけ、訓練している彼に声をかけてしまったことがある。ショーンが中等部三年、クオリアが高等部一年の時の夏だった。

 自分がクオリアと話したのは、中等部一年の合同訓練以来のことである。その時だって、ほんの一言二言交わしただけに過ぎない。きっと自分のことなんて覚えてもいないだろうな、とショーンは思ったのである。しかし。


『ショーン・トレイだろう?君の訓練はよく覚えている。君の俊足は武器になると確信していた。同時に……例え通用しなくても、諦めずに果敢に相手に向かっていく姿勢。私も見習うべきだと思ったものだ』


 クオリアは、自分を覚えてくれていた。そして。


『生来パーティを組むなら……君のように勇敢な者がいいな』


 その言葉がどれほど劣等性を自負していたショーンにとって、宝物にも等しいものであったか分かるだろうか。

 嬉しい、などという言葉では語れない。年齢が違うことをどれほど惜しんだか知れない。冒険者のパーティは卒業した時の同年代で組むのが基本だ。何年かして引退する者や仲違いする者が出てパーティを解散したり入れ換えることはあるが、最初に組む仲間は同期の者になると相場は決まっている。たった一つ年が違うだけで、同じパーティになれる確率はがくっと下がってしまうのだ。

 だから諦めていたし、想像さえできなかったことである。クオリアと同じパーティなる、そんな未来が来る。考えただけで天にも昇る心地になりそうだった。


『はい……はいっ!もし、もしそんな奇跡が起きたらその時は……よろしくお願いしますっ!!』


――そして……神様は、奇跡を叶えてくれた。世界を救う任務を任されたのに不謹慎だと思うけど…それでも僕は、クオリアさんの隣にいられるだけで……幸せだったんだ。


 この感情の本当の意味を、深く追求してはいけないことには気がついていた。

 ただの憧れでは済まない想い。それをはっきりと口にすることが許されないのはわかっている。昔より遥かにマシになったとはいえ、それでも差別や偏見は存在するのだ。ショーンだって驚いているのである。だって自分は同性愛者などではない。にも関わらず行き過ぎた感情を抱いてしまっていることに信じられないのは、自分とて同じなのである。


――いいんです。どんなに寂しくても……苦しくなっても。それでも隣で仲間として戦える。支えていける。これ以上を望んだりしたら……バチが当たるのは明白なんですから。


 ショーンの決意はひとつだった。

 自分は仲間として彼を助ける。助け続ける黒子に徹するのだ、と。だから。


――足手まといだけは、嫌だ……嫌なんだ……!


「わぁぁっ!」


 血飛沫が舞った。ショーンは悲鳴を上げて転がっていく。水人形の大鎌が肩を切り裂いたのだ。回避しきれなかった。そこまで深い傷ではないが、それでもズキズキとした痛みに涙が滲みそうになってくる。

 殆ど動けないどころか、どんどん弱っていくクライクス。身動きしたら内臓がはみ出しそうなんだよ、なんて笑いながら言ってきたが、恐らく冗談でもないのだろう。膝をつき、腹を押さえるクライクスの足下は完全に血の海である。もはや意識を保つことさえ限界であろうに、それでも剣を投げ、魔法で立ち向かい続ける姿はもはや執念以外の何者でもあるまい。

 そして、限界が近いのはショーンも同じだった。動けなくなったクライクスを助けるため、爆薬と短剣を駆使して戦ってきたが――そもそも体力のないショーンである。ぜえぜえと息は上がり、足下が覚束なくなっている。怪我のダメージこそ大したことはないが、体力の枯渇は深刻だった。


「“乱れ打ち・乱星”!!」


 力を振り絞り、水人形達を切り刻んでいく。自分の力では、アクア・マスター・ドラゴンに直接攻撃する手だてはない。爆薬の残りも少ないのに、真正面から突っ込むなど自殺行為である。

 残る望みはただひとつ。何が何でも生き延びて、仲間達の増援を待つこと。その増援が自分達が息絶え、アクア・マスター・ドラゴンが再び津波を呼び出すより前である可能性に賭けること、それだけである。


――他力本願なんて、と思うけど……!それでも、それでも生き延びれば未来はあるんだ。生き延びれば未来は……繋がるんだ……!


「諦める、もんかっ……!」


 大鎌をどうにか回避し、水人形の首に短剣を柄まで捩じ込む。


「こんなところで……負けたりなんか、するもんかぁぁぁっ!!」


 誰かがこんなことを言っていた気がする。

 奇跡は起きるものではなく――。


「よく言った、ショーン」


 人の手で、起こすものなのだと。


「!!!」


 凄まじい威力の雷が四方八方に降り注ぎ――水人形の全てが、一気に蒸発していた。

 ショーンは眼を見開く。今の声。そしてこの圧倒的な魔法は。


「クオリア、さん!」

「ここまで耐えてくれたこと、恩に着るぞ……ショーン」


 倒れかけたのをクオリアに支えられ、さっきとは違う涙が溢れそうになった。その向こうで駆けつけたカサンドラがクライクスの傷を見ている。


「クライクス!これはっ……」


 普段表情が変わらない彼女が顔を歪めるあたり、よほどクライクスの傷は酷いのだろう。下手をすれば致命傷かもしれない。蘇生魔法はあるが、それでもあの魔法をかけるにはタイムリミットや制約がある。楽観視は出来ない。

 にも関わらずだ。何故かこの場に、肝心の白魔導士の姿がないのは何故だろう?


「テリスも、もうすぐこちらに来る」


 此処に来るまでに――何かがあったのか。険しい表情で、それでもはっきりとクオリアは宣言した。


「あいつの力が……守護竜を倒す鍵だ」


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