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<第二十五話・激流と葬送歌>

 その現場に一番近いところにいたのは、クライクスとショーンだった。

 マカライトタウンは砂漠の中の町だが、オアシスに隣接しているため水不足になることはそうそうない。というのも、このオアシスは地下が遠くの川と繋がっており、そこから湖のように水が沸き出している形態になっているからである。マカライトタウンの住人達は此処から水を引いて小さな畑を作ったり、生活用水を補ったりしているのだった。水道は通っているが、その水は全てこのオアシスから引かれていると言って間違いはない。

 近くが川と繋がっているとはいえ、そこまで大きな水場ではないオアシスである。浅瀬で子供を遊ばせてもそうそう事故にならない、と言われるくらいには穏やかな場所だ。このオアシスの水質が良い武器を作るのに丁度いいという話を聞いたので、ショーンが一度調べてみたいと言ったのが発端であった。

 彼はシーフ、そしてシーフ職は薬師の一面も持つ。水や鉱石の成分は常に研究し、有用なものは役立てていきたいのだとショーンは言った。勉強熱心なのは良いことだ。クライクスとしても反対する理由はなく、オアシスの近くに向かっていたのだが。

 泉が見えてきた瞬間、異変を感じたのである。最初はごぽごぽ、という小さな水が動く音だった。魚か何かだろうか、と思ってすぐに否定するクライクス。このオアシスには、小さな魚しかいないと武器屋の主人が行っていたのだ。遠くの川と繋がっているため魚が迷いこんでくることは珍しくないが、いかんせん地下水路が狭いので大型の魚は入り込めないのだという。

 なら、こんな音を立てるような大型魚などは存在しないはず。そこまで考えて――反射的にクライクスは、泉に近づこうとするショーンの肩をつかんで止めていたのだった。


「へ?どうしたんですか、クライクスさん」

「……来る」

「え」

「感じないのか?とんでもない……凄まじい魔力の塊が、近付いてくる……!何処だ、何処から……!?」


 魔力の探知能力は、個人差はあるものの一般的には魔法を扱うジョブの者ほど磨かれるものと聞いている。ショーンもクライクスもどちらも前衛職ではあるが、クライクスは特殊型とはいえ魔法剣士の分類だ。つまり、多少なりに魔法には秀でているのである。魔法攻撃を殆ど行わないショーンが気づかなかった気配にクライクスが気がつくことは、なんらおかしなことではなかった。

 そして。


「まずいっ……逃げろっ!!」


 それは、半ば本能だった。クライクスも細身だが、ここはショーンが初等部の子供並みに小柄で軽かったことが幸いしたというべきか。とっさにクライクスは彼をかつぎあげると、近くの家の屋根に飛び乗っていたのである。

 「何をするんですか!?」とショーンが文句を言うのとほぼ同じタイミングで――それは、起きた。

 湖の水がいきなり膨れ上がり、一気に弾けて、町の中にまで流れ込んできたのである。


「うわぁぁぁぁぁ!?」

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 オアシスは、町の東端に隣接している。一応柵があるにはあったが、住民が自由に開いて出入りできる程度の作りだ。どうして鉄砲水を防ぐことができただろうか。

 溢れ出した水が、東から大量に町の中へと流れ込んだ。たまたまそこを歩いていた通行人達、露店を出していた商人達、散歩をしていた野良猫までもが――逃げる間もなく水に飲まれ、流されていく。悲鳴は混濁し、絶叫は泥にまみれ、次々と砕けて沈んでいった。きりもみ状になって流された人々は溺れるだけでは済まず、建物に、柱に、壊れた看板にとぶつかりながら惨たらしい傷にまみれて絶命してゆく。地獄絵図。それ以外になんと表現することができただろうか。


――くそがっ……!


 ギリ、とクライクスは唇を噛み締める。


――何が……何が起きている!?明らかに普通の水じゃない……!!


 自分とショーンはギリギリのタイミングで屋根に登った結果、助かっていた。水は二階の屋根相当の高さまでは来なかったためである。しかし、だから良かっただなんてどうして言えるだろうか。あっという間に人々とその生活を押し流した濁流を前に、ただただ唖然とするしかない。


「な、なんで……なんで、オアシスの水が突然溢れたんですかっ……!?」

「自然にこんな現象が起きるわけないだろう!」


 混乱するショーンを屋根に下ろしながら、クライクスは叫ぶ。


「直前に感じた巨大な魔力…それが弾けると同時に水が溢れ出した!なら、これは人為的なもの……何者かの攻撃に他ならない……!」


 ビリビリと空気が震える。流れ出した水が――まるで逆再生のように引いていくのをクライクスは見た。間違いない。今のは、オアシスの水などではなかった。何者かの、水魔法による攻撃。ゆえに一定時間を過ぎて、効果時間が切れたのである。


「そして、これとよく似た種類の魔力を…つい一ヶ月ほど前にお目にかかったばかりでな。……今度はあの時とは違う。試練なんかじゃない。向こうは完全に……俺達を殺す気で狙ってきている!!」


 まさか、とショーンが目を見開く。ああ、自分だって信じたくなどなかった。何故この短期間に――二度もこんな強敵と戦わなければならないのだろう。

 水の塊が、洗い流されるように湖の中に落ちていく。現れたのは、青い甲殻に水流が流れるような美しい六枚の羽根を持つ――ドラゴン。

 名前は聞いたことがある。そしてその姿を実際に見たことは、ない。それでも本能的にわかるのだ。その存在が、この世界を守る大いなる神の使徒であるということが。


「何の真似だ……アクア・マスター・ドラゴン……!!」


 あの、アカデミアの襲撃事件。ガイア・ベビー・ドラゴンが齎した被害は紛れもなく甚大だった。聖堂は破壊され、二桁に上る生徒達に怪我人が出た。中には後遺症が残るかもしれない重傷者もいたという。いくら魔法で応急処置をしても、魔法で出来るのはシンプルな治療のみ。そもそも回復魔法をかけたのが素人も素人だったテリスである。彼は頑張ったが、それでも全員を完全に救うなど不可能だった。それはテリスも悔やんでいたことである。

 そう、あの時でさえそれだけの被害が出て――いくら英雄を選ぶための抜き打ち試験だったとはいえ、誰もが煮え切らないものを感じていたのは事実だったのだ。クライクスとて、怒りを覚えなかったわけではない。それでも世界を救うため、どうしてもやらざるを得なかったのならそれも仕方ないと、他の皆とは違いある程度割りきったのは事実なのだ。死人が出ていたらそうも言ってはいらなかっただろうけれど。

 でも今回は、違う。

 アクア・マスター・ドラゴンから感じるのは明確な殺意だ。そして。


「この町の人間が何をしたというんだ!それに、このあたりの地域は地の守護竜の保護領域と聞いている。何故貴様が此処に現れる……!?」


 水が退いていっても、それによって奪われた命は還らない。道路には壊れた屋台や柱の破片が散らばり、水圧で潰されて手足をおかしな方向に曲げて絶命している人達や、一瞬にして溺死に追いこまれた泥だらけの死体がごろごろと転がっていた。さっきまで生きていて、当たり前に笑い、いつもと同じような生活をしていたはずの人々である。それがこんな――こんなにも簡単に全てを破壊され、苦痛の中で生涯を終える羽目になったのだ。

 どんな理由があっても許されることではない。ましてやそれが、別のドラゴンの領域を侵すものだというのなら尚更に。


「答えろ!このような蛮行、いくら守護竜とはいえ許されるものではないぞっ!!」


 クライクスの怒声に答える代わりに、アクア・マスター・ドラゴンは凄まじい咆哮を上げた。まるで悲鳴のような声だ。何故言葉を返さない、奴らはテレパシーで会話できるはずなのに、とそこまで考えてクライクスは気付く。

 アクア・マスター・ドラゴンの眼が――血に染まったように真っ赤であるということに。


――何だあの眼!?まさか、正気を失っているのか……!?


 その眼がぎろり、と唯一の生存者である自分達を睨んだ。まずい、と思った瞬間ひび割れたようなその声が脳を刺す。


『死ネ……“龍の息吹アクア・ブレス”』


 完全に固まっているショーンを小脇に抱えて、屋根の上から飛び降りた。これでもラストエデンの戦闘実行部隊長だ。この程度の高さから降りる程度で足を挫いたりなどしない。さっきまで自分達が立っていた場所に向かって吐き出された水の息吹が、それなりに頑丈に作られているはずの屋根を粉々に砕いて吹き飛ばしていた。なんて水圧なのか。人間が食らったら――最低でも内臓破裂は間違いないだろう。


「な、なんで……なんで水の守護竜が僕たちを!?」

「わからない。だが、どうやら話が通じる状態じゃなさそうだ。あの眼は完全に正気を失っている。何かあったとしか思えない」

「何かって……」

「それが分かれば苦労はない!」


 地の守護竜の眷族でさえあれほどまでに強かったのだ。まさかの、水の守護竜本人を相手に――勝ち目なんてものがあるのだろうか。なんといってもこの場には自分とショーンの二人しかいないのだ。


――だが、逃げたらきっとまたさっきの鉄砲水が来る!今度は町の全域がやられるかもしれない。というか、こいつを湖から上がらせて町に上陸などされたら……町ごと皆殺しにされるのは眼に見えている……!!


 こうなったら、やれることはひとつしかない。


「おい、ショーン!」


 クライクスは考えて――自分の中で少しでも勝算が高いと思われた選択を選んだ。


「お前、脚に自身はあるな!?急いで宿のところまで戻って、クオリア達を呼びに行け!それまで俺がこいつを足止めしておく!!」

「ちょ、無茶です!そんなの出来るわけないじゃないですか、一人でなんて!!しかも今度はベビー・ドラゴンじゃない……水の守護竜が本体なんですよっ!?」

「無茶でも何でもやるしかないだろう!?奴を湖から上がらせてみろ、被害はこれだけじゃ済まなくなるぞ……!!」


 そんな会話をしている間も、水の守護竜は待ってはくれない。水を次々吐き出し――その水が大鎌を持ったヒトガタへと変わった。それがまるで生き物のように揺らめきながら、自分達に襲いかかってくるからたまったものではない。


『“水底の死者達アクア・ドールズ”』


 ああ、喋っている時間さえ惜しい。クライクスは叫ぶ。


「早く!こいつら降りきってさっさと行け、このままだとどんどん増えて収拾がつかなくなるぞっ!!」


 それはクライクスが、まだどこかでショーンを足手まといと感じていたがゆえの判断だった。確かに、この一ヶ月での彼の成長は目覚ましいものがある。俊足に磨きをかけ、スキルを覚え、多くの薬品を扱う知識をしっかりと身に付けて戦えるようになった。相当な努力をしたことだろう。いつもの戦闘で、彼に足を引っ張られたと感じたことがあるわけでもない。

 でも――それでもだ。それは、相手が普通のレベルのモンスターだったらの話。クライクスとて、異世界航海者として力を大幅に制限されている。水の守護竜とサシで渡り合えると思っているわけではない。それでもだ。ショーンを庇いながら戦うよりはマシだろうと、そう思ってしまったことは否定しようがないのである。


――まだ、クオリア達の火力があれば勝機は見える!皆が来るまでの時間稼ぎくらいなら、俺一人でも……!


「ぼ、僕も一緒に戦います!」


 しかし。

 クライクスは、大きな思い違いをしていた。それは自分が思っていたよりもずっと、ショーンという少年の肝が座っていて、また冷静に判断できるあたまがあったということである。


「これだけ大きな物音に騒ぎ……僕が呼びに行かなくてもいずれカサンドラさん達は騒ぎに気付いて駆け付けてくるはず!違いますか!?」

「ショーン……!?」

「自分の実力が……チームの中でも劣ってるってことくらい、わかってます。わかってるんです。でも……!」


 その眼にあるのは恐怖心。

 そして同じほどの強い強い――使命感だった。


「クライクスさん一人に危険を押し付けて、理由つけて逃げて何かあったりしたら!僕は死ぬまでずっと後悔することになる…そんなの、絶対に嫌なんです!!」




『守護竜の配下と戦う機会なんて……もう来ないで欲しい、とは思いますけど。絶対に無いとは言い切れませんから。ガイア・ベビー・ドラゴンみたいに恐ろしく固い敵が来る可能性だってあるんです。少しでも丈夫なナイフを用意しておかないといけません。……皆さんと比べると僕の力なんてまだまだですけど……足を引っ張るお荷物には、なりたくないですから』




『く、クオリアさんには言わないでくださいよ?……僕……僕の憧れの人なんです、彼。いろいろあって、その、そのなんていうか…っ!だから少しでも役に立ちたいっていうかその、なんていうかそのっ……』




 甦る、ショーンが言っていた言葉。


「……そうか」


 自分は何も見えていなかったのだと気付かされる。

 目の前のこのちっぽけな少年は、とっくに仲間のため、大切な人の為、命を賭ける決意を固めていたというのに。


「なら……信じるぞ、その言葉。頼っていいんだな?」

「はい!今度こそ……自分の身は自分で守ります。サポートと、少しの回復くらいなら僕にもできますから……一人より二人、ですよ!」

「ああ。そうだな。……その通りだ」


 仲間達が来るまで、自分達だけで戦い抜く。クライクスは小さく笑みを浮かべて――自らのソウルウェポン、“ドゥーン・ブレイド”を構えた。

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