「何が一番困るって……武器なんですよねえ。ああ、僕の場合は眼鏡もなんとかしないといけないんですけど」
困った顔で眼鏡を外し、丁寧に布で拭きながらショーンは言う。生まれつき視力があまり良くないのだ、と彼は言っていた。見えなくはないけれど、眼鏡を外すとどうしても周囲がぼやけてしまい、人の顔の判別も難しくなってしまうのだという。
そのあたりの苦労は、クライクスにはよくわからない。兄も自分も視力は良い方だった。そういえば仲間内で眼鏡をかけていた人間も一人いた気がするが――彼の場合は老眼鏡だと言っていたような。ショーンは近視だという話だし、多分使っている眼鏡や不便さには違いがあるのだろう。
「良かった……最近激しい戦闘が多かったから、傷ついちゃってたりしたらどうしようかと」
「大変そうだな。眼鏡って、割れたりしたらどうするんだ?」
「専用の修理屋さんに持っていって直してもらうか、新しいものを作ってもらうしかないです。でも、眼鏡ってちょっと高いし……職人さんの腕次第で結構出来が変わってきちゃうのが辛くて。良い職人さんのだと、見えやすいだけじゃなくて綺麗にフィットしてつけ心地良かったりするんですけど……そうじゃないと、つけてるだけで頭痛くなってきちゃったりして。だから腕の良い職人さんのいる町はチェックしておいて、そこでまとめて予備を作っておいて貰うのがいいんですよね。ダイヤシティの職人さん達は悪くなかったんで、そこそこストックを作って貰ってたんですが……」
これ、とショーンがバックを開いて見せてくれたのは、六個ある眼鏡ケースだ。こんなにか、と思うが当面ダイヤシティに戻れないことを考えると、多すぎるということはないのかもしれない。
「本当は二桁持ってきたかったくらいなんですよ。もう既に一個壊しちゃってこの数なんです」
そんなクライクスの心を読んだかのように、彼は言う。
「眼鏡はちょっと嵩張りますから。コレだけであんまり荷物を圧迫するわけにもいかないんですよね……」
「ケースがあるからか」
「そうです。しかも僕のジョブはシーフですから。薬の類いを扱うのも僕の役目。短剣もある。他のジョブ以上に荷物が多くなりがちで…しかも、身軽さを武器にしなきゃいけないから、荷物が重くなって動きが鈍るなんて本末転倒なんですよね……」
クライクスはこの世界の人間ではない。だからこそ、この世界の科学技術のレベルがどれほどであるのか、他の世界と比較して相対的に判断することもできる。
自分達の世界――というか、本拠地にしている場所はどこの世界でもなく、次元の狭間に建設された城の中にあるのだが。そこでは様々な世界の人間が構成員として集い、それぞれの技術を持ち寄ってさらなる研究を進めていたのである。スマートフォンが存在するのは当たり前。遠距離から物や人を送る転送装置や、異世界にいても通信ができるような異次元電波塔などの開発も進んでいた。
例えばクライクスは一応任務のために此処に来ているので、定期連絡のため時折本拠地にいる仲間と通信を行っている。それらは全て、耳に埋め込んだ小型通信装置で行えるのだ。携帯電話どころか、固定電話も少ないこの世界では考えられないほどテクノロジーが進んでいるのは間違いないだろう。
勿論、クライクスも航海者として、世界のバランスを保つ為のルールは弁えている。自分達のテクノロジーを、この世界の住人の前で安易に披露することはできない。通信機器どころか、チップの一つでも落としてしまったら大変なことになると知っている。それを解析されるようなことがもしもあったら。自分達のテクノロジーが、この世界の住人と進化に大きな影響を齎してしまったら。それはこの世界の順調な、あるべき“物語”に石を投じて壊してしまうことに他ならないからだ。
航海者は他の世界の技術を持ち込める分、一見するとチートにも見えるが――世界の安全と安定を守ろうと思えば、その力と知識には大幅な制限がかかるのだ。チートを恐れないアルルネシアとの戦闘を考えると心許ないものの、それでもクライクスが自身の力を本来の十分の一程度にまで抑えているのはそういうことである。この制約は、クライクスが本拠地に戻るまで外れることはない。そうでもしなければならないほど自分の魔力と戦闘技術が危険であることを、クライクス自身が誰よりも理解しているがゆえである。
――異次元転送装置が使えたら、荷物なんて簡単に減らせるのに……。この世界の人間は不便なもんだな……。
不便。しかしそれが、彼らにとっては当たり前なのだろう。
電気はある。水道も整備されている。電話も少ないながらある。しかし列車は電気で動いていない。スフィア鉱石を用いて、国の管理の元動かしているとのことだが――話を聞いたところ、整備士さえその詳細な仕組みは知らされていないのだという。
ガーネット王国では、多くの技術を国が独占し、ブラックボックス化しているらしい。段々とクライクスにもこの国の仕組み、そして暗部がわかってきたところだった。一見平和に見える国だが、地域によっては貧富の差が激しく、識字率が非常に低い地域もある。そして、通信や交通の仕組みの多くを国が直営で動かし、その技術を非公開としている。一般庶民の知識や能力を意図的に低く押さえることで、上層階級の民衆へのコントロールを容易にしてきた背景があるのだろう。
――女王アナスタシア……ガーネット神……この国の支配。そして、クリスタル……。
目に見えるものを、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。
初めて見た地の守護竜――ガイア・マスター・ドラゴン。あの力の凄まじさは、言葉に尽くせないものだった。直接戦ったわけではない。ただ対峙した、それだけである。それでもあのトラゴンがどれほどの力を秘めた存在であるかを伺い知るには十分だったのだ。他の守護竜も同じだけの力を持っていると考えられる。その竜を八体も従えることのできる存在――ガーネット神とは、どんな神であるのか。
そしてそれほどの力を持ちながら、数十年程度の短い周期で力が弱まるとしたら、それは何故なのだろうとも思う。少なくとも、あのガイア・マスター・ドラゴンを上回る力を秘めていることは間違いないだろうに――。
「クライクスさーん!次、武器屋さん行きますけどいいですよね?」
ひょいひょい、とショーンが服の袖をひっぱってくる。クライクスもさほど長身なわけではないが、小柄なショーンと比べるとまるで兄と弟だ。正直、彼の外見はとても高等部相当には見えない。下手をしなくても初等部相当だ。だからこそ、シーフとして身軽に動けるとも言えるのだろうが、その丁寧な言葉遣いもあって、時折彼が同い年であることを忘れてしまいそうになるのだ。
異世界から渡ってきて、この学園の情報を操作し学生として紛れ込んだクライクスだが。実は年齢に嘘はなかったりする。現在十六歳、高等部一年生相当というのは間違いではないのだ。
「構わないが……欲しい武器があるのか?今持ってる短剣もかなり切れ味は良かったみたいだが」
「切れ味がいい、程度じゃ駄目なんですよ。せっかくいい素材を集めてきたんです、もっといいナイフ作って貰えるならそうするべきなんですよ。そもそも僕とテリスさんは、クライクスさん達みたいにソウルウェポンなんて使えないんです。ソウルウェポンは、エナジーを補充すればどんどん強化して使っていけるし壊れても修復できるらしいですけど……僕達の武器は壊れたらそれでおわり!なんですから」
「まあ、確かにな……」
ソウルウェポンの利点の一つが、壊れてもすぐに直せる点であるのは間違いない。自分達の武器はエナジーそのものだ。生命力と魔力を練り合わせて集中すれば、多少消耗はするものの武器を修復するのはそう難しいことではない。駆け出しの冒険者パーティにも関わらず、五人中三人がソウルウェポン使いというのは異例中の異例だろう。使えない方が当たり前の力なのだから。
そして、残る二人のうち、より武器の消耗が激しいのは物理攻撃を行うショーンの方である。短剣を使っての連続攻撃は決まれば強力だが、当然手数の分刃零れなどもしやすくなってくるだろう。砥石を持ち歩くのは必須だし、手入れを続けていてもいずれ限界は来る。強いモンスターを前にして武器が折れて使えなくなりでもしたら――目も当てられないのは間違いない。
「守護竜の配下と戦う機会なんて……もう来ないで欲しい、とは思いますけど。絶対に無いとは言い切れませんから。ガイア・ベビー・ドラゴンみたいに恐ろしく固い敵が来る可能性だってあるんです。少しでも丈夫なナイフを用意しておかないといけません。皆さんと比べると僕の力なんてまだまだですけど……足を引っ張るお荷物には、なりたくないですから」
小柄で気弱そうに見えるのに、一人前の根性を持っている少年。何故そこまで頑張れるのだろう、とクライクスは不思議に思う。確かにガイア・ベビー・ドラゴンを倒した戦闘に彼も参加したが、それは倒れた生徒達の命を助けるため、というのが大きかったはずだ。
世界を救うために戦う、なんて。そんな闘争心が強いタイプには見えないのだが。
「お前、どうしてそんなに頑張れるんだ?」
問いかけてから、クライクスは思い出した。旅に出発する前から、ちょこちょこ見かけている光景。カサンドラがクオリアの側にいたがるのはわかるが。大抵、このショーンも彼のすぐ近くで笑っていることが多い。と、すると。
「クオリアのため、だったりするか?」
尋ねた途端。ショーンの顔が、わかりやすく真っ赤に染まった。まるで大きなトマトである。
「い、いやその!その!なんていうか……っ!」
「うん?」
「く、クオリアさんには言わないでくださいよ?……僕……僕の憧れの人なんです、彼。いろいろあって、その、そのなんていうか……っ!だから少しでも役に立ちたいっていうかその、なんていうかそのっ……」
まるで少女漫画のヒロインのようだ。確かに自分達は女王に選ばれて此処にいる。それでも拒否権がないわけではなかったのに、彼がそれでも危険な旅に志願した理由は。つまり、憧れの人と一緒に旅ができるのが嬉しかったと、そういうことだったのだろうか。
――憧れの人、か。
なんとなく、わかる気がする。自分にとっての憧れの人は、兄だった。しゃべり方や佇まいが、少しだけクオリアに似ている気もする。いつも優しくて、それでいて強かで――クライクスにとっては生きる目標でもあった、彼。
――やめよう。……今は気持ちを、沈めている場合じゃない。
首を振って、クライクスは思考を振り払った。思い出せば出すだけ、心を抉る記憶もあるのだ。それが美しければ美しいほど、残酷に。