ドラゴン種は言葉を話す程度の知能を持っている。それは、守護竜と呼ばれる種も当然例外ではない。ただし、彼らが言葉を伝えるのは人間のように声帯を震わせて音を発信するからではなく、魔法を応用したテレパシーを用いてのものではあったが。ゆえに、その声は声を届けたいと願った相手にしか届かない。そして、脳に直接響くので反響するような、低いとも高いともつかぬ不思議な声に聞こえるのである。
「ガイア・マスター・ドラゴン……地の守護竜よ」
残っているメンバーの中で、一番の年長者であるクオリアが一歩前に進み出た。
「なにゆえ、このような無謀なことを配下に命じられたのか。守護竜の中でも、貴方は堅実で……この世界の未来を最も真剣に考える竜であると伺ったことがあるのだが」
『それは光栄な評価だな。そうだ、私が部下に学園を襲撃させたのも、この世界の未来のため。無礼を詫びようぞ、若者達よ。しかし、必要な事であったことは理解して貰いたい。喩え、多少の犠牲を払ってでも……成し遂げなければならない事が我らにはあったのだ』
「成し遂げなければならないこと?」
そういえば、とカサンドラは思い出した。確か、最初にベビー・ドラゴンに尋ねた時、彼は言っていた気がする。
『主が我に命じた。この学園を破壊せよと。そして……主が欲しがるものを手に入れて来いと……!』
この守護竜には、どうしても学園を破壊して、欲しいものがあったということなのか?
しかし、その欲しいものとは一体?
「……その貴方も……誰かに依頼を受けて、このようなことをなさったのではありませんか?」
カサンドラは口を開く。
「おかしいと思っていたのです。普段なら昼休憩の時間、この聖堂は教職員も大勢が利用しているはずなんです。しかし、どういうわけか今回の襲撃時、巻き込まれたのは生徒達ばかり。聖堂には大人が一人もいなかった」
「い、言われてみればっ!」
「テリス、貴方も白魔導士志望ならもう少し頭を回すことを覚えてくださいね。……そして、これだけ大きな騒ぎになっていて、かつ鳥籠を使われて遮断されている形跡もないにも関わらず。誰も、教職員が事態の収集に駆けつけてこないのは奇妙です。なら、考えられるのは一つしかありません」
「馬鹿で悪かったな!」と騒ぐテリスを無視して、カサンドラは続ける。こんな程度、推理でもなんでもない。少し考えればすぐに気づけるようなことだ。
「この襲撃を、タイミングも場所も含め教職員の方々はみんな知っていた。生徒達だけが知らなかった。学園をこれだけ破壊して、しかもガーネット神の彫像まで壊されるなんて……学園としては大損害です。修繕費用も馬鹿にならないはず。それなのに学園側が事前にそれを知っていて、生徒達を避難させることも食い止めることもしなかったということは……これがそもそも学園側の意思、希望に則ったものである可能性が高い。それも、学園を破壊される程度気に留めてもいられないほどの何かが、この事件の裏にはある……。そして、ガイア・マスター・ドラゴン。貴方の性格を考えれば、天秤にかけられるモノなどさほど多くはないでしょう」
強大にして神聖な竜を前に、問う。
「つまり。貴方が事件を起こしたのは……この世界の存亡にも関わる、重大な理由があってのこと。……違いますか」
多少発想は飛躍しているが。領域を頑なに守るドラゴン達が、無辜の人間達を傷つけるのもやむなしと思うのなら――それくらいしか理由は見つからない。
「見事な推理です、カサンドラ・ノーチェス」
唐突に、どこからともなくパチパチパチ、と手を叩く音が聞こえた。カサンドラが振り向くより先に、ああ!とショーンが素っ頓狂な声を上げる。
「あ、あ、あ……アナスタシア・リ・カナシダ女王陛下……!?な、何で此処に……っ」
「突然の訪問、失礼いたしますわ。……これ以上、守護竜様にご説明頂くのは申し訳ないと思って、参上致しましたの」
いつからそこにいたのだろう。桃色の派手なドレスに、ウェーブのかかった黄金の長い髪。王族の証たる真紅の瞳を持つ、おとぎ話から這い出してきたかのような美しい女王陛下は――うやうやしくスカートを持ち上げ、礼をして見せた。
その隣に立つ従者らしき壮年の男も、同じく深々と礼をしてみせる。
「単刀直入に申し上げますわ。……ガイア・マスター・ドラゴンに……この学園への襲撃を依頼したのは、このわたくしでございます。全ては……危機に陥っているこの世界を救うため、どうしても必要なことでしたのよ」
どういうことなのか。思わず扉の方を見るカサンドラ。全ての怪我人は外に運び出され、今聖堂にいるのはドラゴン達を除けば、自分とクオリア、ショーン、クライクス、テリス。そしてアナスタシアと、従者の男の七人のみである。しかし。
血痕はまだ、生々しく残されたままになっていた。テリスがある程度治療したのだろうが、特に中央通路のあたりには夥しい血の跡がそのままになっている。相当酷い怪我だった者もいたということ。それほどの惨事だったのだ。
生半可な理由では許さない。カサンドラはそう思っていた。当然――不十分な説明であっても、同様に、だ。
「それは、これほどの怪我人を出してでも、必要なことであった……と?」
「そうです。……この世界の危機を救う為。これは、その危機を救える『英雄』を選抜するための試練だったのですよ」
「……!?」
英雄。いや、単語だけなら聞いたこともあるが。それを選抜する、とは?
「困惑するのも仕方ありませんわね。何故ならこの話を、一般人にすることは殆どありませんもの。話せば、間違いなく民に大きな混乱と不安を齎します。わたくしが貴方がた五人にこの話をするのは……貴方がたこそ、その『英雄』の候補たる資格を持っているからに他なりません。そう……突然のドラゴンの襲撃。守護竜の配下ともなればその力を知る者は少なくない。それを前にして、冷静な対応ができ、立ち向かう勇気がある者。その者だけが……クリスタルに選ばれる可能性を秘めているのです。ドラゴンを前に、怪我人を助けることも助けを呼びに行くこともできず、逃げ惑うだけの者にクリスタルが微笑むことなどないのですから……」
クリスタル。名前だけは聞いたことがある。確か、この島の中心の古城に祀られている、ガーネット神の力の源――この世界で最も神聖な鉱石の名前であったはずだ。
残念ながらその場所そのものが王家の認可を得た者しか入れない決まりになっているし、新聞や雑誌でも特集されたことはない。この世のどの鉱石よりも美しく、邪心ある者は触れただけで消滅してしまう――なんてことも聞いたことがあるが、どれもこれも都市伝説の領域を出ないものだ。
「クリスタルと言えば……ガーネット神の力の源、だったっけ?クリスタルに選ばれる英雄が必要って……どういうことなんですか、陛下」
「この国は、ガーネット神の加護によって守られています。それは、神話でもなんでもなく、事実としてそうなのですわ。加護を失えばこの国の人々は混乱し、大地は崩壊し、多くの天災に見舞われ……この国は、島ごと海に沈んでしまうことでしょう。……ですが、ガーネット神の力は、一定周期で弱まってしまうのです。その力を補強するには、クリスタルを持ち出して王宮で儀式を行い、神の力を補わなければなりません」
「神の力を……?」
「そうです。……この国には、既に予兆が起きています。まだ貴方がたの多くがご存知ではないのでしょうが……一部の地域では謎の疫病が流行ったり、モンスターが大量に襲来して村や町が滅ぶような事態になっているのです。このまま放置すれば、貴方がたの故郷も例外なく滅ぼされることになるでしょう。いえ……いずれは町単位、村単位ではなくこの国全てが……島全てが、ですわ」
「なっ!?」
とんでもない話になってきた。この国の神話は知っていたが、まさか絶対と言われるガーネット神にはそんなとんでもない弱点があったとは。
まさか、英雄を欲しているというのは。
「クリスタルは、選ばれた者……選ばれた英雄しか触れることを許さない神の力の結晶。選ばれざる者が触れればたちどころにその命を奪い、さらなる厄災を齎すほどの存在なのです。そのために、わたくし達は緊急で……クリスタルに選ばれる可能性のある英雄候補を選ばなければなりませんでした。喩えそれが多少の死傷者を出すような荒療治であったとしても……」
美しき女王は、そのルビーのような瞳でカサンドラ達五人を見据えた。
「高等部二年、クオリア・スカーレット。高等部一年、ショーン・トレイ。高等部一年、クライクス・フォーティーン。中等部三年、テリス・マルシエ。そして……中等部三年、カサンドラ・ノーチェス」
息を呑むような静けさの中、アナスタシア・リ・カナシダは宣言したのだ。
「ガイア・ベビー・ドラゴン挑み、見事打倒したその技量と勇敢さを湛えて…特例として、貴方がたに新たなる冒険者の資格を授けます!王家が、貴方がたにその認定資格と報酬を与えましょう。どうか英雄候補として古城のクリスタルを手に入れ……この世界を救ってくださいまし!!」
とんでもない事になった。そう思った者は、一人ではないはずだ。なんと女王陛下が自分達に特例でジョブ資格を与えて、国が自分達を莫大な報酬で冒険者として雇ってくれるというのである。確かに、残ったメンバーは丁度五人。魔法剣士、盗賊、竜騎士、白魔導士、黒魔道士――パーティとしてはこの上なくバランスがいいのかもしれないが。
「ちょっと……ちょっと待ってくれ!……ください!」
声を上げたのはテリスだ。
「そりゃ、願ってもない話だけど!俺とカサンドラなんてまだ中等部の学生だ、ジョブ訓練もちゃんとやってないのに、いきなり冒険者としてやっていくなんて無茶がすぎるって!それに、カサンドラは槍術一位つっても、まだ守護竜の加護を受ける最終試験とかやってないし……」
「ご心配には及びませぬ」
口を挟んだのは、女王の傍に使えていた従者の男だ。
「今日明日で突然旅立てなどと無茶は申しません。特にカサンドラ様、テリス様の両名には短期間にはなりますがジョブ訓練を行う時間を設けさせていただきます。またカサンドラ様の竜騎士資格ですが……」
男はちらり、と黙って成り行きを見ていたガイア・マスター・ドラゴンを見上げる。
「……いかがでございましょう、地の守護竜殿」
まさか、とカサンドラは眼を見開く。眼があった大地の守護竜が――ほんの少し、笑ったような気配があったからだ。
『いいだろう。その娘の技量と覚悟、見事なものであるぞ。我が加護をそなたに与えよう……カサンドラ・ノーチェス』
「……よろしいのですか?」
『ああ、いいとも。そなたならば……この長年我が望み、けして叶わなかった願いを叶えてくれるかもしれぬ。恐らくその望みは、そなたの真の望みとも一致しているはずだからな……』
どきり、とした。まさかこの守護竜は――カサンドラが転生者であることまで見抜いているとでもいうのだろうか。それとも、転生してきた時点で――この世界の神々に自分の存在は知れたもの、だったとでも?
「……わかりました。貴方様が許して下さるのであれば……是非ともその力、賜りたいと存じます」
何でもいい。カサンドラは膝を折り、恭しく頭を下げた。
そう、何でもいいのだ。彼らの思惑も、この世界の真実でさえも、本当は。
自分にとって最も大切なことは、一つだけ。
――力を得て、今度こそ…私は貴方を、守る……!
クオリアが――愛しい主、クシルがそこにいる。傍にいられる。
今の自分に、それ以上のことはないのだ。