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<第十四話・英雄の器>

 王が民衆を統治し、平穏を保つ為に必要なものとは何か。ガーネット王国女王、アナスタシアは考える。それは、王と民の力関係を一定のバランスで保つことであると。

 恐怖政治をするべき、と言っているわけではない。しかし、人間は非常に欲深く愚かな生き物である。力があれば使いたくなるし、知識があればさらなる知識を求めたがるのが必定。そして、それらを巡って争いが繰り返されたことなど何度でもある。王家にのみ伝わる歴史書には、かつて大陸で起きた恐ろしい災いの数々が克明に記されているのだ。

 この世において最大にして最凶の厄災は、地震でも津波でも火山の噴火でもない。人が人を殺し、犯し、壊し、食い物にする――人間同士の争い以上に、恐ろしいことは何もないのだ。

 それゆえに、王国は一部の技術を独占することで、人々が欲を持つことを抑え込んできたのだった。そのうちの一つが、スフィアデバイス技術。スフィア鉱石という鉱石を用いて、それを機械として加工し、魔力を流し込むことにより映像や音声を記録することのできる技術だ。スフィアデバイスの記録端末は非常に小さく、学園中の装飾に混じって設置されている。あれが映像を記録できる“カメラ”の役目を果たしているなど、この国の、学園の者達は誰一人知らぬことだろう。何故ならば知っているのはこの学園を会長という立場で実質牛耳っているアナスタシアと、王族たち、その一部の配下にすぎないからだ。


――全て見られている……なんて。貴女がたは考えもしないことでしょうね。


 今、アナスタシアは灯りを落とした部屋で椅子に座り、スフィアカメラによって撮影された映像を眺めている。聖堂にも多くのカメラを設置してあったため、ガイア・ベビー・ドラゴンが襲撃してきたシーンも、現在一部の生徒がそれに応戦しているシーンもはっきりと映し出されていた。ごつごつとした岩のように堅い身体を持つ、地の守護竜の眷属。なんて美しいのだろう、とアナスタシアは感嘆の息を漏らした。ドラゴンと呼ばれる存在は個性こそあれ、どれも皆それぞれの特性を体現する実に完成された存在だ。芸術と言っても過言ではない。

 アナスタシアは竜達を、それを統べる偉大な神を敬愛し、そして崇拝していた。特に守護竜達をも傅させるガーネット神の壮大さと来たら――ああ、人に語れない規則が恨めしくて仕方ない。


「いますわね?リカルド」


 闇の中に向けて声をかければ――忠実な配下ははっ!と完璧な敬礼をして答えてみせた。


「わたくしは槍や剣での戦いには疎いのですけど……ガイア・ベビー・ドラゴンの装甲を一般的な剣や槍で貫くことは可能なのかしら?」

「相当難しいことと思います。ガイア・マスター・ドラゴンには遠く及ばないとはいえ、ベビー・ドラゴンも地の守護竜の幼生。全ての属性のドラゴンの中で、最も強靭な肉体を持つのがガイア・マスター・ドラゴンですので……ベビー・ドラゴンもそれなりの装甲ではあるかと。鋼のよう、とまではいかずとも岩にも勝る固さを誇ることは事実と思われますが」

「とすると……」


 いいタイミングで、その顔は画面に大写しになった。金髪碧眼、ボブカットの愛らしい少女――カサンドラ・ノーチェス。まだ中等部の学生なのに真っ先にドラゴンに挑みかかった勇敢な娘だが、彼女はただ度胸があるだけではないらしい。


「初手で……掠り傷とはいえ、ガイア・ベビー・ドラゴンの装甲に傷をつけた彼女は。なかなか優秀だと思ってよろしいですわね?」


 彼女は槍を投げ、空中で分身させて敵に降らせるという――とんでもなく高度な技をいきなりやってのけた。そんな必殺技、どこで覚えてきたというのか。当然学園では教えていない。そもそも、中等部の学生はまだ武芸も魔法も基礎の基礎しか学校では習っていないはずである。


「優秀どころの騒ぎではないかと。そもそも、ソウルウェポンをプロの冒険者でない者が発現させること自体が稀です」

「そうね。代々の技術を後継者に伝えてきた王族ならともかく、彼女は庶民の娘にすぎなかったはずですわ」

「はい。そして……ソウルウェポンを顕現させた者がもう一人……」


 風の魔法を応用して、仲間達への攻撃を防いでいる青年が映し出された。クオリア・スカーレット。見惚れると同時に嫉妬さえ抱きかねないような美貌の青年。長い黒髪は艶やかで、天使の翼をそのまま漆黒に染め上げたかのよう。元々この青年はアナスタシアも目をつけていた人物ではあった。学園でも随一の魔法の腕と魔力の高さ――そして内に秘めた正義感。英雄候補として、真っ先に名前を上げるなら彼だと思っていたのである。

 だから、この場所に彼がいることはなんら不思議ではない。普段はむしろ寡黙で穏やかな彼だが、理不尽には決して屈しない熱い心も秘めている。誰かが危険に晒されていると分かれば、けして無視することなく飛び込んでくるだろうとは思っていたのだ。


「クオリアは元々“候補者”だと思っていましたわ。彼はこの学園始まって以来の天才ですもの。ソウルウェポンを中等部に入学してすぐに顕現できるようになったのは、後にも先にも彼だけ。まさに、英雄の器に相応しい存在でしょうね……」


 戦闘は続いている。カサンドラは何か策があるらしい。仲間達に必死で指示を出していた。年上のはずのクオリア、ショーンも素直に話を聞いているあたり――けして無茶な作戦ではないのだろう。


――今日の昼、襲撃があることはわたくしと教員達、警備兵達は全員わかっていたこと。ゆえに、昼の時間にはわざと、聖堂に大人が誰一人いない状況を作らせた……。大人が手助けしては、何の意味もありませんもの。


 今日の襲撃は全て、アナスタシアが主導して仕組んだことだった。ガイア・ベビー・ドラゴン――その親たるガイア・マスター・ドラゴンに指示を与えたのはアナスタシアだったのである。

 手加減するように頼んだとはいえ、死人が出る可能性は充分にあった。学園の建物を壊してしまうことになるので、当然馬鹿にならない修繕費用がかかるのも避けられないことだろう。

 それでもアナスタシアは全て覚悟の上で、今日の襲撃を実行させたのである。多少の死傷者も、必要経費も、世界の危機を前にしてはあまりに些末なことではないか。そう、自分の手には、この国の未来がかかっているのである。どれほど非情と呼ばれようと、どれほどの犠牲を払おうと、成し遂げなければならない使命があるのだ。


――必ずやクリスタルを……クリスタルに選ばれし英雄を、わたくしたちの手で見いださなければ。そうでなければこの世界は崩壊してしまう……長年わたくし達が守り続けてきた平和を、この国の歴史を。わたくしの代で途絶えさせるわけにはいかないのです……!


 荒療治なのはわかっていたが、それでも決行するしかなかった。

 クリスタルに選ばれるのは、大きな力を受け入れるだけの強い魂と器を持つ者。勇敢で、慈悲深く、この世界の未来を真に願える者だけがクリスタルに認められ、英雄として覚醒することができるのである。人々は知らない。英雄の力なくして、この世界が存続する道は有り得ないということ。英雄を選び、クリスタルへの道を開く行程は、代々数十年ごとに行われてきた必要不可欠な儀式であるということを。

 ガイア・ベビー・ドラゴンを倒すことができれば万々歳、できなくても問題はない。そして既に、その選抜の殆どは完了している。

 何故ならば最初から――ドラゴンを前にして戦うことを放棄して逃げ出した者達に、英雄となる資格は存在しないのだから。


――もう少し人数が残ってくれるかと思ったのですが……致し方ありませんね。ジョブ訓練をひとしきり終え、もうすぐ卒業試験を受けるはずの高等部の三年生が全員脱落してしまうとは……。


 この聖堂に駆けつけなかった者。

 聖堂に来ても、ドラゴンを前に恐怖して逃げることしか考えられなかった者。

 怪我人を省みることもできず、我先にと出口に殺到した者。

 彼らは既に、資格を放り投げたも同然。助けを求めて教員を探しに走り回るようならまだ見込みはあったのだけれど。


「さて、カサンドラ・ノーチェス。地の守護竜の使徒を前に……どう挑むつもりかしら?」


 状況が、動く。再びクオリアが風魔法を放った。突風がドラゴンに襲いかかる――が、彼らが説明した通り問題は解決されていない。風魔法は到達速度に難がある。風の一撃が竜に届くより前に、ドラゴンが作り出した大地加部が立ちはだかり風を防いでしまう。

 しかし、クオリアは諦める様子はない。防がれても防がれても、風魔法を連打し続ける。


「何を考えてるの?それが効かないのは目に見えているでしょうに」

「ですね。……しかし、どうなら彼らの狙いは別にあるようです。画面の左下をご覧ください、陛下」

「!」


 アナスタシアは気がついた。突風が吹き荒れる中、二人の人間がドラゴンに向けて走り出したことに。

 そんな真正面から突撃なんてしたら、ドラゴンにすぐ気がつかれてカウンターを食らうんじゃないのか。そもそもあんな突風の中では彼らもダメージを受けてしまいそうなものだというのに。


「……!なるほど、そういうことね」


 合点がいく。走り出した二人――カサンドラとショーンの身体を、キラキラと包む緑色の光があることに気がついたからだ。


「“Anti-Wind”一定時間だけ、特定属性の魔法を打ち消す白魔法……」

「ご名答です。恐らく……あのテリスという少年が二人にかけたのでしょう。単発で問題なく、多少の時間をかけられるなら。中等部過程の生徒でも充分扱える魔法です」

「それでもこの土壇場で、これだけの精度で成功させるのは凄いわ。なるほど、あの子も此処にいるだけあって、ただ者ではないということですのね……」


 少し後方から、必死に補助魔法を続ける少年の姿が見えた。明朗快活、な性格が顔だけでも見えるような少年だ。ころころ変わる表情、元気の良さそうな動き。あっちこっちハネた黒髪に黒目の彼もまた中等部の学生である。テリス・マルシエ。確か白魔導士の志望者だったはずだ。側にいるのがクオリアとカサンドラのせいで目立たないが、彼も充分に整った顔立ちではある。本人に自覚があるかはわからないけれど。


――なるほど。風魔法防御のスペルで突破しつつ……ドラゴンに接近する。でも、ドラゴン側はそう簡単に彼らの存在に気づけない……!


 それは何故か。簡単だ。ドラゴンもドラゴンで、クオリアの馬鹿にならない威力の風魔法を防ぐのに集中してしまっているからである。

 しかもその方法が方法だ。魔法を防ぐために作った大地の壁は、そのままドラゴンにとってのブラインドになってしまっている。だから、魔法を打たれている間ダメージは通らずとも――ドラゴンはその場を動けず、壁を解除することもできなくなっているのだ。

 自分の壁が邪魔して、小さな人間達を見つけることができなくなっている。カサンドラは、最初のクオリアの攻撃でそれに気づいたのだろう。


――でも、そこからどうする気?近づけても、物理攻撃じゃドラゴンにダメージは通らないわよ……?


 ほんの少し、わくわくしてしまっている自分がいることにアナスタシアは気がついていた。大切な使命のための“試し”の最中。実に不謹慎だろう。それでも。

 強い者が、極致を切り抜けてさらに強くなる姿は、誰もが目を惹かれるものなのだ。それがたとえ、この事件を引き起こした黒幕であったとしても。

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