クオリア――高等部二年の、黒魔導士のクオリア。
その名前を口の中で何度も転がすカサンドラ。――クシルの今の、名前。この世界での新しい名前。
――やっぱり、彼は冒険者を目指してこの学園にいた……!
もっと長丁場になるかとも思っていたのに――出会えた。彼が卒業してしまう前に。きっと予定調和の展開ではあるのだろうけれど、それでも嬉しくて仕方ない。この世界での生活が嫌だとか、全く充実していないなんてそんなことはなかったけれど。それでもカサンドラにとって、生きていく最大の目標は彼を見つけて側で守ることだ。クシルを見つけられた。それはいわば、自分にとっては生きるための道標を発見したようなものなのである。
こんな時でなければ、もっとゆっくり話をしたい――とか、残念なコミュニケーション能力を駆使してお茶に誘うくらいのことはするのに。残念ながら現在は戦闘中。デートに誘っている場合でもなければ、感激に浸っている場合でもない。
「……ありがとうございます、クオリア。正直一人では手間だと思っていたんです」
「だろうな。むしろ、一人でよく挑もうと思ったものだ。感心する」
他の人間が言えば嫌味だろうに、とカサンドラは思う。彼の声が心底、文字通り“感心した”と言わんばかりのものであったから、ついつい苦笑のひとつもしたくなるのだ。
昔からそうなのだ、この人は。転生しても性格が変わらないのはクシルも同じだった。男になっても女になっても子供になっても成長しても同じ。素直で、正直で、誰かを率直に誉めることを全く恥ずかしがらない。静観な青年の顔をしているのに、その純粋さは時に幼い子供のよう。だからこそかつての世界で、自分達は皆この人に着いていこうと思ったのだ。末長くこの人の導く世界が見たいと、心底そう願ったのだ。それは、叶わぬ願いではあったけれど。
「……しかし、凄いな。まさか学生のうちに、ソウルウェポンを出せる人間が他にもいるとは思わなかった。しかも竜騎士タイプとは」
他にも。その言葉に目を見開くカサンドラに、クオリアは笑う。
「私も使える」
その手元が光を帯びて、その白く細い手にずっしりとした重量のものが、くるりと一回転して落下していた。
重く分厚い、臙脂色の本――魔導書のソウルウェポンだとすぐにわかった。
「紹介しよう。私の魔導書型ソウルウェポン……“戦禍の書”。これでも黒魔導士としてはそれなりに成績が良い方でな。黒魔法の腕なら、期待してもらって構わないぞ」
魔導士系が補助武装にする場合、杖か魔導書を用いることが圧倒的に多い。そのどちらを選ぶのかは人によりけりだが、基本的には魔導書の方が、威力が出る分上級者向けと言われている。
感じる魔力は、軍人として歴の長いカサンドラから見ても――恐ろしいほどに高く、底が見えないものだ。当然と言えば当然か。一番最初の、クシルであった頃から彼の魔法の腕は抜きん出ていたし、魔力の高さは城で一番の魔導士さえ凌ぐものだったのだ。彼の魔力は、魔法が使える世界であるかを抜きにすれば、転生をするごとに、どんどん加速度的に上昇しているように思う。それが魂が経験値を積んでいるからなのか、はたまた他に理由があるのかはカサンドラにもわからないことであったが。
――期待していい、って言葉は嘘じゃないんだろうな。……よし。
この人の助力があるなら、戦闘は一気に楽になる。カサンドラは周囲を見回し、改めて状況を確認した。ショーンがいないのは、避難誘導をしにいったからだろう。そして今、扉の前でテリスがどうしても動かせなかった最後の一人の治療を行っている。思っていた以上に彼らは手際がよく、頼りになったようだ。
そして同時に、確信に変わる違和感。やはりこの状況、どう考えてもおかしい。
「えっと……お前、名前はなんという?」
「カサンドラです。カサンドラ・ノーチェス。中等部三年です」
「そうか。カサンドラ、お前も気がついたんじゃないか?この状況は明らかに……何かあるとしか思えない、と」
どうやらクオリアも変だと思ったらしい。さすがです我が主!という絶賛は勿論心の中だけで。
「ですね。何故か、聖堂には最初から“生徒しか”いませんでした。今は昼休み。昼休憩に此処を食事場所や休憩場所として使うのは何も生徒だけではありません。事務員も、教員も、いつもならたくさん使っているはずなんです」
それなのに、誰もいないのだ。
逃げてくるのも、襲撃に巻き込まれて倒れていたのも――全部何故か、生徒ばかりなのである。
「その通り。付け加えるならこれだけの騒ぎになっているのに、教員達が何故誰も駆けつけてこないんだような。鳥籠を使われている気配もなく……だからみんな聖堂から逃げ出せているというのに」
「そういうことです。考えられるのは……この襲撃が、予定調和であった可能性。今日、ドラゴンの襲撃があることを事務員の方々を含め学園の大人達はみんな知っていた。しかも、その襲撃場所が学園のどこになるかもしっかりわかってた……としたら」
そこまで話したところで、再び大地が隆起して襲ってきた。カサンドラとクオリアは二人揃って跳躍し、大地の怒りを躱すことに成功する。
「避けられなくはないが、あの攻撃はなかなか厄介だな。至近距離で攻撃するのは難しそうだ」
その通り。大地の波を避けられるのも、自分達が今ドラゴンからそれなり程度に距離を取っているからに他ならない。目の前で隆起が始まったら避けるのは相当難しくなってくるだろう。そして一度襲われたら最後、石と土に潰されて素敵なミンチになれる未来は想像に難くない。人は誰だっていつか死ぬわけだし、今までの人生でもなかなか惨い死にかたをしたことはあるが、それでもやっぱりハンバーグにはなりたくないなぁ、と思うカサンドラである。
何より。大切な人がまさに隣にいるのに、その人を守りきることもせずに死ぬようなことがあっては、騎士の名折れではないか。
「魔法なら遠距離からでも撃てますよね?」
「射程距離はあるし、遠くなりすぎると精度は落ちるが、撃てないことはないな」
「なら一見問題ないようにも思えますが……」
「と、思うだろう?実際ドラゴン属は物理には強いが、魔法防御力は大したことないからな。だが……」
ふわり、とクオリアの手から光を帯びて魔導書が浮き上がる。淡い色の、女の自分から見ても惚れ惚れとするほど美しい唇がスペルを唱えた。
「“Hurricane”!」
渦巻くような凄まじい突風が発生し、ドラゴンに襲いかかった。
守護竜の属性は全部で八種類。それは、この世界に存在する属性の数と同じでもある。この世界にはそれぞれ焔、氷、水、雷、風、土、闇、光の属性が存在し、それぞれに対応した技や耐性があるのだ。それは人間も例外ではない。魔導士、それどころか冒険者を一切目指していない普通の人間であっても大抵属性を持っていて、魔法などを使った場合に得意な属性と苦手な属性に分かれてくるのだ。例えばカサンドラの場合は、扱うのなら得意なのは水属性の魔法であり、水属性には大きな耐性を持っている。反面、それに反発する雷属性には強くない。肉体が、生まれつきそういう性質を持っていると言えばいいだろうか。
属性が八種類なのは、全ての属性が反発する相方を持っているからだ。水属性のモンスターは、雷属性に弱く。逆に雷属性のモンスターは、水属性に弱い。氷属性ならば焔、光属性ならば闇。そして土属性ならば――反発する属性は、風。
つまり、その名の通り土属性を持つガイア・ベビー・ドラゴンは、反発属性である風属性の魔法や風属性の物理攻撃に弱いと見てまず間違いないのだが――。
『馬鹿め……!』
放った魔法は、ドラゴンが作り上げた石の壁に阻まれた。こちらが攻撃してきたのを見て、ドラゴンは先程のように地面を隆起させることにより、巨大な盾を作り上げたというわけである。風魔法は石と土の壁に阻まれ、ばしゅんっと音を立てて消えてしまった。
「まあ、そうなるな」
「風魔法は、到達速度が遅いというわけですか」
「そうだ。魔法には属性ごとにクセがある。雷魔法は頭の上から降らせることしかできない。氷魔法は矢のように一直線にしか飛ばない。焔魔法は追尾するように火球を飛ばせる分速度が遅く、風魔法は焔魔法よりは速く範囲も広いが……コントロールが難しく、やはり到達するまでには時間がかかる。後出しで防御が間に合うのはつまりそういうことだ」
「なるほど……」
「石の壁を壊せるくらいの大きな魔法も使えなくはないが、それをやると大聖堂自体を崩落させかねない。さすがに危険だ。何より詠唱している時間を奴が呑気に待ってくれるとも思えないからな。……さて、この場合お前ならどうする?」
こそこそ話している自分達に業を煮やしたのか、ドラゴンが吠えて次々と瓦礫を浮かせては念力を使い、投げつけ始めた。
『余所見している暇はないぞ……“
一瞬焦ったが、どうやら杞憂だったらしい。魔導士タイプには鈍足の人間も少なくないが、クオリアは違ったらしかった。石礫の嵐を器用に身を翻して避けている。長年訓練した者の動きだ。この学校で習ったか、それとも前世の――いや、彼は何も覚えていないのだから、そういうわけではないだろう。
――魔法をすぐ近くで撃てば、石壁を作られる間もなく突破することができそうだ。でも、カウンターで大地の怒りを食らったらクオリアが危ない。……ただ、それでも勝機がないわけじゃない。
攻撃を避けながら、カサンドラは頭を回す。
――私のデスペラードを、奴は一切ガードしなかった。おおよそガードしなくても防げると奴が考えていたからだろう。でも、クオリアの風魔法攻撃はしっかりと壁を使って防いできた。……防がなければ無視できないダメージを負うことを、本人が理解していたからに他ならない……!
なら、やるべきことは簡単だ。壁を作れないように奴の意識をこちらに引き付けて――その隙にクオリアに魔法で攻撃してもらうことである。が、そんなことはドラゴンも百も承知のはず。当然、カサンドラよりクオリアを警戒して、意識をそちらから離さないように心掛けることだろう。囮を引き受けるのはなかなか難しいに違いない。
だったら。
「カサンドラさんっ!」
その時、パタパタと駆けてくる足音がした。見ればショーンがナイフを片手にこちらに向かってくるではないか。その隣にはテリスの姿もある。
「こ、こっちは避難誘導、終わりましたから!」
「怪我人の手当ても終わった!お前ら、加勢させてくれねーかな!?」
彼らも素人。特にテリスなんてジョブ訓練もしていない中等部の学生だ。このまま皆と一緒に逃げたところで誰も責めたりなどしないというのに。
「……ありがとうございます」
勝てる。カサンドラは思った。自分一人なら無理でも――クオリアとテリスとショーンが助けてくれるなら。
これだけ手札があれば――勝つ方法はいくらでもあるのだ。
「手を貸して下さいますか、皆さん!」
カサンドラは叫ぶ。
「勝ちますよ……守護竜の僕に!!」
さて盛大に――踊ろうか。