雑魚モンスターなら一撃で殺せる攻撃だった。が、さすがに見知らぬ襲撃者とはいえ、相手が誰かもわからないまま殺してしまうわけにはいかない。というより、いくらカサンドラが普通の学生と比べて容赦がない性格とはいえ、殺人なんてものできれば避けて通りたいに決まっているのだ。
だからある程度、手加減はした。そして先程まで肌で感じていた相手の能力からして――こんな程度の攻撃で死ぬほどヤワではないだろう、とも確信していた。
だが。
――……!
手応えがない。僅かにかすった感触と、枝を抉った感覚しかない。ギリギリのところで避けてきたとすればなんて反射神経か。直ぐ様体制を立て直し地面に着地したカサンドラのすぐ後に、そいつは樹上から落ちてきた。
いや、落ちてきたように見えたが――空中で綺麗に一回転していたらしい。地面についているのは脚。まるで猫のような身体の柔らかさである。
「……流石、あれだけの攻防でよく俺が隠れている場所がわかったもんだ」
そいつはカサンドラより少しだけ身長が高いらしかった。真っ黒なローブを着てフードを被っているせいで、体格も顔もよくわからない。ブーツを履いているようなので身長も多少前後しそうだ。確かなのはそこそこ細身の体型らしいことと、声からして同年代の少年らしい、ということくらいか。
「さすが、クシル王が認めた最強の竜騎士……カレン・ラスト。いや……今の名前はカサンドラ・ノーチェスだったか」
「!!」
ぎょっとした。長い長い転生の中で初めてのことである。カサンドラの前世を知る者に会ったのは。いや、しかもこの言い方。ただ知っているというだけではなさそうだ。
「……どうして私達を狙ってきたのかだけ、お尋ねするつもりでしたが」
カサンドラは再びランスを構え直す。
「とうやら。……お話はそれだけでは済まなそうですね。こちらとしても、貴方をこのまま帰すわけにはいかなくなってしまったわけですが」
「まあ、そうだろうな」
「貴方は何者なのです?それに……一体何を、何処までご存知なのでしょう?」
頭の悪い相手ではないことは、さっきまでの攻防でわかっている。最初からこの人物は、カサンドラを殺すためというより、カサンドラの力量を図るためだけに勝負を仕掛けてきた様子だったからだ。
同時に、狙いがどうやらカサンドラ一人であり、完全にテリスはとばっちりを食っただけというのもほぼほぼハッキリしている。ソウルウェポンを出した時点で、カサンドラの方がテリスより戦闘能力が高いのは明白だった。にも関わらず炎系攻撃に移ってからの彼は――一度もテリスには攻撃を仕掛けていない。
簡単だ。自分がテリスに自己防衛に努めるように言って、彼の側を離れたからである。そう考えると少々巻き込んでしまって申し訳ない、と思わないではなかった。もしもこのローブの少年が自分の“過去の世界”に関わりある存在ならば、本当の意味でもこの世界だけに生きているテリスは無関係ということになるのだから。
「煽ったのはそちらです。素直にお答え頂けないのなら、こちらも実力行使に出るしかありませんが?」
余裕がない。自分でもそう思う。しかしカサンドラは引くわけにはいかなかった。何十回――何百回もの転生を経てやっと真実に近づく糸口を見つけたわけなのだから。
逃すつもりは全くなかった。それこそ、多少強引な手段を使っても、だ。
「……そうだな。お前が知りたいと願っていることの多くを知ってるんだろうな、俺は」
言いながら少年は、自らのローブのフードに手をかけた。途端――セミロングの、美しい銀色の髪が広がる。
白い面に、あの人を思わす青く深い色の瞳を湛えた少年は。そう、それこそ記憶の中のあの人には及ばないけれど、非常に整った顔立ちをしていた。
「俺の名前はクライクス。……航海者、あるいは渡航者と呼ばれる者だ」
「航海者…?」
「魔女や魔術師と呼ぶ者もいるにはいるが、この世界ではそう呼ぶと職業の名前になってしまうからな。航海者、の方がいいだろう。……この世界は、さらに強大な異空間の海に散りばめられた……数多の異世界の欠片の、ちっぽけな一つに過ぎない。異空間の海には異世界の欠片が数多く漂い、それぞれがけして干渉することなく独立しているというわけだな。干渉する方法そのものが限られているし、干渉するなら厳密なルールを守る必要がある。でなければ、その世界を壊してしまいねないからだ」
す、っとクライクス、と名乗った少年の指がカサンドラの額の中心を呼び指す。
「俺は“航海者”。そしてお前は、“転生者”。どちらも異世界を渡り歩く存在だが、最大の違いは“オリジナルの肉体と能力を維持したまま渡り歩くことができるかどうか”だ。俺は元々の自分の肉体と名前のまま異世界を歩くことができるが、お前が他の世界に渡るには転生するしかない。……転生そのものは、死んだ人間が誰でも当たり前に行うことではあるが……“転生者”が“転生者”たる最大の理由は、転生しても前世の人格と記憶を失わないということだ。お前は転生し、今は“カサンドラ・ノーチェス”という器のなかに収まっているが……その魂や人格はオリジナルの“カレン・ラスト”をそのまま引き継いでいるというわけだな。魂を劣化させることもなく転生を繰り返し記憶を継承し続ける…これが出来る者はそう多くはない。お前が追いかけている、“クシル・フレイヤ”も含めてな」
クライクスのやや難解かつ長い説明を、しかしカサンドラは混乱することもなく受け止めていた。
ルールも成り立ちもまるで違う異世界がいくつも存在することは、カサンドラ自身が数多く経験してきてわかっていることである。ただ、転生をすることもなく、世界の壁を破れる人間がいるというのが驚きだったというだけで。
可哀想なのは完璧に巻き込まれた形になったテリスである。どうやらもう相手に攻撃してくる意思はないらしい――とわかっても、話してくる内容がさっぱりちんぷんかんぷんの筈だった。というか、下手をすれば二人揃って頭がイカレたと思われてもおかしくないような内容である。異世界だのなんだの、そんなの流行りのラノベの中だけでやってくれ、的なものではないか(余談だが、この世界にもライトノベルというものは存在している。最近では“異世界に転生したらチート勇者になっていました!”系列の話が大流行しているらしい)。ファンタジー要素たっぷりの世界にあっても、非常識や想像の範疇外というものは当然存在するのである。
「ええっと……あ、あの?」
とても説明をして欲しそうに交互に自分とクライクスを見る彼。残念ながらここで彼に分かるように話をしていたら日が暮れてしまう。後にして、と小さく言えばそれで沈黙するだけ、テリスは空気が読めている方だと言えた。
「先に言っておくが。俺はお前がどうして“転生者”になったのか、はっきりとしたその理由はわからない。お前の大切な主が何故毎回同じ世界に転生し、お前と違って記憶を失っていて、毎回お前の目の前で非業の死を遂げるのかもな。ただ……その原因を作ったかもしれない存在には心当たりがある」
「……本当ですか」
「ああ。……さっきも言ったように……俺は航海者だ。そして、航海者というのは俺一人ではない。一人で動いて、気儘に異世界観光している連中もいるが……少なくとも俺達はある組織に所属している。それは……同じ航海者を取り締まる為の組織にな。俺達の組織は、名を“ラストエデン”という」
航海者を取り締まる――すぐにピンと来た。さっきクライクスは、異世界同士は原則不干渉であり、干渉するなら厳密なルールを守らなければならない、と言った。
つまり、それを守らない者もいる、と。そういうことだ。
「異世界を渡り歩き、ルールを破って犯罪行為に及ぶ者がいる……ということですか?」
カサンドラの問いに、その通りだ、とクライクスは頷いた。
「転生者は、転生すると同時に器をその世界に適したものに入れ換えることになる。そして、器を入れ換えることでその世界のルールの上でしか力を使うことが出来なくなるわけだな。魔法が存在しない世界では魔法を使えなくなる、ということだ。だから問題ない。しかし、航海者はオリジナルの肉体のまま異世界を渡ることになる。つまり、魔法のマの字もない世界だっていくらでも使おうとすれば魔法が使えてしまうというわけだ。……とすると、何が起きると思う?」
「トリップしてきた魔法使いが異世界で無双して、その世界での最強の魔王をぶっ飛ばして未来を変えてしまう……とか、そういうラノベ的なことが起きてしまうと、そういうことですよね。……でもって、それは世界の秩序を守る上では非常にまずい、と」
「当たり前だ。本来その世界に存在しない者が飛び込んできて、好き勝手に世界をいじくり回して好きな時に立ち去っていくんだぞ?順調に走っていた列車の線路に石を置いて逃げるようなもの。一度脱線して事故が起き、人が死んだらその命は二度と戻っては来ない。それほどまでに航海者の力は驚異であり、あってはならない異物なんだ。その世界そのものを破壊し、消滅させかねないほどの力を持っている。……だから、航海者は自由に異世界を渡ることができる代わりに、その世界の運命に干渉しすぎてはならないという暗黙の了解がある。その世界を支配している魔王を航海者の力で倒す、なんてのは論外。倒すためのアドバイスを、現地の勇者たちにするくらいが精々だろうな。そして、それがわかっているから大多数の航海者はこのルールを正しく守るわけだが……」
クライクスの表情が、苦々しく歪んだ。
「それを、意図的に破り……世界を面白半分に壊し続けている、とんでもない航海者がいる。俺はそいつを追いかけてこの世界に来た。奴が今……この世界に来ている可能性は非常に高いからな。そしてお前とお前の主の運命を弄んでいるのも、恐らくは……」
彼がそこまで話すと同時に、空間がキラキラと光を帯びて砕け散った。どうやらクライクスが作った “
「どうやら……話の続きは後になりそうだな」
凄まじい地鳴りに襲われ、思わず膝をつく羽目になる。ひええ!と見事にすってんころりんしたテリスが尻餅をついて涙目になっていた。クライクスはと言えばほんの少し――楽しげに唇の端を持ち上げている。
「うわぁぁん!今度はナニ!?今度はナニーっ!?!?」
「大聖堂の方……!?」
「だろうな。面白い客人が来たらしいぞ」
遠くからいくつもの悲鳴が聞こえてくる。なんらかの襲撃が起きたのは間違いないらしい。それなのに、クライクスは呑気にカサンドラを促すのだ。
「見に行ってみるといい。……今のお前の力を試す、いい機会になるはずだ」