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<第八話・黒い稲妻>

 話は少し前まで遡る。

 カサンドラは完全にご機嫌ナナメだった。昨日追っ払った高等部の情けないイジメっ子どもとは全く別の理由で、だ。否、この時のカサンドラは連中の顔さえ半分忘れかけていたといっても過言ではない。そんなことよりも、もっと重大な問題が目の前に横たわっていたからである。


「……テリス」


 低く、地を這うような声でカサンドラは言う。


「私、頑張ったんですよ……。喜んでほしかったんですよ、これでも。高等部に友人なんて殆どいませんから、ショーンがその初めての友人になって頂けるんじゃないかと……これでも結構期待していたのですよ……」

「あーうん、わかるよ、うん……」


 おいコラ、テリス。お前なんでそんな棒読みなんだ。ますますカサンドラは機嫌を急降下させる。


「確かに、女子の一人部屋に男子二人を招くのは、倫理的にあまり良いことではないのかもしれません。でも校則で立ち入りが禁止されているわけでもないじゃないですか。もっと言えばこのご時世、同性だろうと間違いは起きるときには起きるのです。男子寮のシュンライとリジーの二人がこっそり付き合ってることなんて、ちょっと腐ってる女子寮の乙女はみんな知ってることなのです……」

「おいちょっとさらっと爆弾落としてくのやめてくんね!?それ俺知らないんだけど!?シュンライとか俺同じクラスだし部屋近いんだけど!?」

「そんなこと今はどうでもいいのです!大事なのはそんなことではないんですっ!」

「俺にとっては結構大事なんですけどぉぉぉ!?」


 テリスが何やらわけのわからないことで叫んでいるが完全に無視である。寮は高等部と中等部の生徒がいっしょくたになって使用している。中等部の生徒と高等部の生徒で相部屋になることも珍しくはない。件のシュンライとリジーだって、後者が中等部所属で後者が高等部だ。その二人がこっそり逢い引きしていようが腐った乙女達の格好の餌食になっていようがカサンドラ的にはどうでもいい。差別意識もないが特に興味もないのだ。今更それで騒ぐ方がどうかしているという認識である(テリスが知らなかったのは少し意外だったが、まあいい)。

 それよりも大事なことがあるのだ、今は。昨日授業が終わった後で、ショーンとテリスを部屋に招いたのである。見た目通り真面目なショーンは座学の成績はかなり良いらしく、お言葉に甘えて勉強のわからない場所を教えてもらったりしたのだった。なるほど、彼が苛められたのはその頭の良さへのやっかみもあったのだろう。

 で、せっかくなのでと今日は手料理をご馳走することにしたのである。最近はかなり頑張って練習しているのだ。いつか再会したクシルに、是非美味しいものを食べて欲しいという願望があってのことである。悲しいかな、転生しても転生してもどうしても習得できなかった技術があるわけで。

 そのひとつが、料理。初めての世界でクシルに「とても独創的な味をありがとう」と涙目で言われてしまった時の虚しさは、当面忘れられそうにない。ゆえに。


「何で……何でショーンは倒れたのですか……!泡吹いて真っ青で倒れることないじゃないですか!いくらちょっとスパイスの分量間違えたからって!」

「どう見ても原因それだけじゃねーんだよアホー!!」


 今は昼休みに入ったところ。そして此処は学園の中庭である。テリスと二人っきりで噴水の前――とか書くとまさにロマンスが始まりそうなシュチュエーションだが、残念なところに自分達の間にそういう雰囲気が流れたことはいっぺんもない。現在進行形で。


「おま、なんべん言えばわかんの!?なんで寮のキッチンでポイズンクッキングブチかますの!?カレー作ろうとして鍋が爆発した時点でなんかおかしいと思えよこの話何回したっ!?」

「はっ!鍋に火薬が仕込まれていた!?とするとこれは、私たちの命を狙ったテロ……!?」

「ちっげーわ!!お前がスパイスと間違えて火薬ブチこんだ挙げ句、火の勢いが弱いとか言いながら焔系のスペル唱えたりするからだろ!?今時少女漫画のドジっ子ヒロインでもやらかさねーわこんなん!!しかもそれを、超涙目になりながら平らげたショーンはすげえとしか言いようがないがねぇわ俺マジで尊敬するっ!!」


 一息でマシンガンのごとく吐いたテリス。そして、ずびしっ!と額の前に指を突きつけてくる。


「カサンドラ!お前は!今後一切!キッチンに侵入禁止っ!!」


 ちょっとまて、料理禁止どころか侵入禁止か!

 カサンドラは反論したい。自分だって頑張った。やり過ぎたのはよく火が通った方がカレーが美味しくなるはずだと思ったからで、男の子は味の濃いのを好むという話を聞いたことがあるからスパイスを多くしようとしたわけで――。

 しかし、ショーンの気を失う寸前の真っ青な顔を思い出してしまっては――言葉に詰まる他、ない。


『か、か、カサンドラ、さ、ん』


 青いような、むしろドス黒くなった顔で、無理矢理笑顔を作ったショーンは。


『ちょ、ちょっと……苦くも、辛くもないとこ、が、欲しかったかなと……思い、ま、し……た……ぁ』


 自分の料理、そんなに不味いのか。

 味見の時に特におかしいと思わなかった自分はそんなにおかしかったのだろうか。


「……お前が何に関しても全力投球なのはわかってるよ、カッシー」


 はあ、と深く息を吐いてテリスが言う。


「でもな。もうちょい俺らのアドバイスも聞いとけ。料理に関することだけじゃねーからな?お前は大抵のことで優秀だけど、集中しすぎると完全に周りが見えなくなるのは悪いクセだぞ。ショーンを喜ばせたい気持ちはよくわかってるよ。でも俺はちゃんと止めたからな?何で止められてるのかもう少し考えてから行動しような?」

「ううう……」

「料理の練習するなら、誰かに付き合って貰え。一人でやるからいつまでたってもその味覚音痴が直らねーんじゃねーの?……たまにでよければ、俺も生贄になってやるからよ」

「さらっと生贄とか言わないで下さいよ、もう……!」


 しかし、カサンドラとて解っている。学校の成績も身体能力も極めて平均的なテリスだが、それゆえに――普通の人間の感覚や感性をきちんと持っていて、時としてカサンドラには見えないものが見えていることもあるということを。

 普通の人間の目で、一歩離れて自分を見てくれるテリスが言うことは大抵、正しい。わかっているのだ。一人で料理の練習をしても、それが美味しくなったかどうか客観的に誰かに判定してもらわなければ、結局どうにもならないということに。


――あの方に美味しい手料理を食べて頂くなんて、夢のまた夢と言うことですかねえ……。


 カレーで躓いているようでは、あの方の大好きだったハンバーグなんて夢のまた夢ではないか。カサンドラが肩を落とした――その時だった。


「“Black-Ray”」


 それは、殆ど本能的な行動だった。髪の先に僅かに触れた痺れるような感覚――殺気。それを感じて、感じたことを頭で認識するより早く、テリスの身体を突き飛ばして自身も身を転がしていた。

 そのコンマ数秒後、さっきまで自分達が立っていた場所に降り注ぐ黒い雷。突き飛ばされたことに文句を言おうとしていたらしいテリスが、地面が焦げたのを見て情けない悲鳴を上げた。


「ひ、ひぃぃ!?な、な、な、なにっ!?ナニガオコッテルノ!?」

「敵襲です」


 テリスは冷静に、周辺を伺った。此処は学園の中庭。本来ならば害意を持った部外者が簡単に入り込めるような場所ではない。しかし、いつの間にか周辺からは殆ど自然の音が消失していた。生徒達が数多く行き交い、騒ぐのが当たり前の昼休み。確かにこの中庭は他の場所と比べるとやかましくするような生徒はさほど来ないと知っているが――だからといってこれは、いくらなんでも人の声がしなさすぎる。

 “沈黙の鳥籠サイレント・ケージ”。そう呼ばれるこれは、ある程度魔法に精通した者が空間を一時的に刈り取る為に発生させることができる現象である。簡単に説明するのなら、空間の中に一時的に自分だけの空間を作り出す魔法、とでも言えばいいだろうか。切り取られた空間は、外にいる人間からは認識することができなくなる。そしてこの空間の中では多少暴れても、周囲の一般人に被害が及ぶことはないとされている。――獲物を確実に借りたいモンスターや、冒険者同士が町中で決闘したい時に使われたりする魔法だ、とカサンドラは学園の授業で習っていた。実際にこの眼で見たのは初めてだったが。


「こ、これ……鳥籠作られてるか、もしかして!?なんでだよ、ここ学園の中だぞ!?」


 テリスが慌ててきょろきょろと辺りを見回す。


「ど、どうすんだよ!鳥籠って確か、術者の技量次第で広さも制限時間も変わるとか言ってなかったっけ!?でもって、制限時間切れる前に脱出したけりゃ、術者を倒すしかないんじゃ……」

「ちゃんとお勉強できてたんですね。魔法学の時間だけは居眠りしないテリスくん」

「人をからかってる場合かぁ!」


 その通りだ、と言わんばかりに第二激が来た。再び降り注ぐ雷魔法。なんとか回避しながらカサンドラは考える。即死するほどの威力ではないが、喰らったら最悪立てなくなりそうなくらいには強烈な威力だ。

 何者かが自分とテリスを狙っている。いや、狙いは自分かテリスの片方だけかもしれないが――今は敵の目的を考えるのは後にするべきだろう。

 時間制限のある鳥籠を用いてきたということはつまり、相手は術が切れる前に終わらせる気満々だということ。逃がす気などあるはずもない。ならばこちらも逃げの一手ではかわしきれないだろう。


「どうするんだよカッシー!授業外じゃ、武器は支給されてねーぞ!シーフとかだったら短剣程度の持ち歩きも許されてるけど、俺ら白魔導士志望と竜騎士志望だし!つか、まだ中等部だからちゃんとしたジョブ訓練も始めてねーしっ!」

「じゃあ、諦めて殺されますか。テリス」


 わあわあと叫ぶ彼に、カサンドラは告げる。


「私は御免です。成すべき使命も成さぬまま……訳も分からぬ相手に、みすみす殺されてやる気など毛頭ありませんよ」


 テリスの言う通り、自分達は何の武器の携帯も許されてはいない。

 白魔導士なら武器を持たずともある程度魔法は使えるが、テリスは見習いの中の見習い状態であるし、そもそも魔導士系ジョブだって補助武器を持って初めて安定した力が奮えるのだ。素手で使える魔法などたかが知れたものである。

 そしてもちろん、竜騎士志望のカサンドラも状況は同じ。学園から支給される武器は、授業中しか持ち歩けず使用も許可されていない。丸腰なのは間違いないだろう。――そう、間違ってはいない。しかし。


「武器なら……此処にある!」


 カサンドラは手を翳す。瞬間――青白い光が掌に集約し、形を作った。


「いでよ、ソウルウェポン……!!」


 テリスが眼を見開く前で、カサンドラは何もない場所から――巨大な蒼い槍を生み出していた。ソウルウェポン。それは人が魂に秘めた、その人間だけが扱える魂の武器。自らの生命力を具現化させ、顕現させるその武器は、どんな場所でも出し入れが自由だ。

 ただし。――使える人間はプロの冒険者の中でも、限られた者だけとされている。


「カサンドラ、お前……!」


 驚くテリスに、カサンドラは微笑んでみせる。


「大丈夫。……こんな程度で死んだりしません。私も、貴方も!」

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