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<第六話・全王、アナスタシア>

 ガーネット王国の成り立ちとして、人々に深く浸透している神話がある。

 大陸の戦禍から逃れ、この島に流れ着いたカナシダ王家の先祖達。僅かな人数のみで、彼らがどうやってこの巨大な島を開拓し、国として大きな文明を築くに至ったのかという物語だ。

 そもそもこれだけの広大な土地と豊かな資源を持ちながら、この島が大陸の支配を逃れていたのには理由があるのだ。この島は、人が僅かしか存在しない、殆ど無人島と言っても過言ではなないような土地だった。何度も大陸の人々が新天地を求めてこの島に行き着いたのだが、今まで誰一人生きて帰ったものがいなかったのだという。

 この島は、偉大な竜に守られる聖地だったのだ。 火・水・氷・雷・風・闇・光・地の八種類の守護竜。そしてその守護竜達を統べる守護神――ガーネット。そう、王国の名となったガーネットというのは、この国の守り神の名前だったのである。

 このガーネット、というのがどのような神であるのか。知っているのは王家の人間だけとされている。一般的にはその名の通り赤く輝く宝石のように美しい龍ではないかと言われているが、あくまでそう噂されているだけで真実は誰にもわからないのだ。神に直接謁見することが赦されるのは、歴代の王だけだとされている。そう、カナシダ王家はその神に認められ、ゆえに王として君臨するに至った種族なのである。

 神話にはこう書かれている。


『カナシダ一族は、戦争を嫌い、平和を望んでこの地に辿り着いた。この島が聖地であり、誰も生きて帰ったものがいないという話は彼らも聞いていたが、もはや此処をおいて他に安息の地などなかったのである。

 迷いこんだマレビトたる彼らを、神たるガーネットは試しにかけた。“もしも自分の試練を乗り越えるだけの勇気と、清らかな心あるならば。お前達がこの地に楽園を築くことを認めよう。ただし、それができぬ時は貴様らは今までの人間達同様、われらの贄となってその魂を捧げてもらおうぞ”。と』


 試練の内容がどのようなものであったのかは人々には伝わっていない。ただ、彼らがその試練を見事に乗り越え、守護神に認められ王となったのは間違いないことである。守護神の加護を得た王は特別な力を手に入れて、未開の土地に新たな文明と王国を築くに至ったのだそうだ。

 それがカナシダ王家の始まり。

 そしてこの国の名前、ガーネットの由来である。


「神話は何も、間違ってはいませんわ……」


 月明かりに照らされた玉座に、涼やかな女の声が響く。さらり、と衣擦れの音と共に、香水の甘い香りがふわりと湧いた。ああ、とガーネット王国国軍総司令、リカルド・メイソンは頭を垂れる。この美しい声と、芳しい香りに惑わされてはならない。自分はあくまで、この国の総司令。このお方をお守りする立場にすぎない。余計な感情を持つことは反逆にも等しい罪なのだ。壮年の男は、自らを鋼の精神で律していた。


――この方をお側で見守り続けて、早二十五年にもなるのか……。


 月明かりの下。淡い桃色のドレスを着た、黄金色の髪の女性が照らし出される。微笑むその瞳は、カナシダ王家の血を引く者――その証したる深紅の色を讃えている。御伽話から抜け出してきたかのような、豪奢なドレスを身に纏った姫君――否。御年二十五にして、この国の女王に君臨する彼女。名前は、アナタスタシア・リ・カナシダという。この国ではミドルネームを名乗ることが出来るのは王家のみという習わしだった。


――お美しくなられた。ご立派になられた。……今までのどの王も、この方の強さと勇ましさに敵うものはない……!


 “全王”アナスタシア。彼女がそう称されるのには理由がある。

 彼女はその美貌もさることながら、歴代の王の誰よりも強い力を持ち、この国の守護神に愛された王だった。彼女が願えばこの国の人口を半分にすることも、言葉さえ交わすこともなく反乱分子達を従順な犬に変えてしまうこともできるだろうと言われるほどに。


「神話は真実を語っている。ただ“全てを”語っているわけではない……それだけのこと。貴方には言うまでもありませんわね……リカルド公爵」

「存じ上げております」

「報告をお願いしますわ。……どうやらこの国を脅かす、良からぬ予兆が出ているようですわね」

「……はい」


 やはり、もう彼女は知っていたのか。

 当然と言えば当然だろう。島の外のことまではわからないとはいえ、彼女は守護神の加護を得た真の女王だ。この国で起きる大きな災いは全て見通せているといっても過言ではない。

 そう、もう既に――凶兆は、出ている。とても無視できない、大規模な範囲で。


「恐れながら申し上げます。……オニキスの村が、壊滅したそうです」


 呻くような気持ちで、リカルドは言葉を発した。


「物流が事前連絡もなく途絶えたので、不審に思い兵を向かわせたところ……村の住人八十四名全員の死亡を確認したとのことです」

「八十四名全員……行方不明者はいなかった、と?しかもその様子だと、ただ死んでいたというわけではなそうね?」

「はい。住人は全て、真っ黒に炭化した状態で発見されました。ほぼ全員がベッドの上で、横になった状態で死亡しておりましたので……異変が起きたのは、彼らが眠っていた深夜のことだったと思われます」

「なるほどね……」


 少し考え込み、女王は口を開いた。


「シャドウダンスの群れが通った……と見るのが妥当なところかしら」


 やはり、彼女は博識で聡明だ。話が早くて助かる。左様にございます、とリカルドは頷いた。


「オニキスの村は、エメラルドの森のすぐ西に位置しております。エメラルドの森からは完全な未開地……国王軍と、ライセンスを持った冒険者以外の立ち入りを禁止している区域。しかし歴代の調査にて、一部のモンスターの存在と生息地域は判明しております。シャドウダンスも、エメラルドの森に生息していることが判明しているモンスターの一種でございますね」


 シャドウダンス、というモンスターは闇属性の体と攻撃能力を持つ。彼らは昼間は森の影に潜んで溶けており、一切姿を現すことをしないとされている。移動するのも補食するのも夜になってからしか行わない。シャドウダンスのエサとなるものは、影を持つ生物全てだ。真っ黒な影の化身たる彼らは、新たな影を食らうことで生命を維持しているのである。彼らは生きている者の影を食らい、その命を吸い尽くしてしまうのだ。彼らの群れに襲われれば最後、人間は影を食われて生きたまま炭のような身体になってしまい、絶命されるとされている。

 討伐の方法がないわけではない。それでも本格的な討伐命令が出されてこなかったのは、彼らの存在が危険であるからという以上に理由があった。襲われると怖いモンスターだが、基本的に彼らは臆病なのである。縄張りでじっとしていて、迷いこんだ獲物を数日に一度刈れば充分事足りるのだ。怒らせて群れで襲いかかられる方が余程危険なのである。触らぬ神に祟りなし、まさに触らぬシャドウダンスに危険なし、といった具合だ。

 そう、だからこそ。今回の事件はあまりにも不可解なのである。


「シャドウダンスが、夜とはいえ森を離れて村を襲ったということかしら。……妙なことね。彼らは臆病で非常に保守的なはずよ。村ひとつ壊滅させたなんて、ここ何十年も例がないんじゃなくて?」

「その通りです。彼らの本来の縄張りに……エメラルドの森に異変が起きた。そして彼らは追いたてられるように森から出てきてしまった。そう考えるのが自然でしょう」

「エメラルドの森で何かが起きている……というわけね。……その様子だと、おかしなことが起きた地域は他にもあるわね?」

「はい……」


 リカルドはひとつひとつ報告していく。

 サファイヤの湖の水位が、急激に下がってること。

 ルビー火山が噴火し、近隣住民達が一斉避難を余儀なくされていること。

 パールタウンで疫病が発生し、既に三百四人もの犠牲者が出ているということ――など。


「ひとつひとつは、謎と未開の土地の多いこの島ならばありえる現象ではありましょう。しかしここ数日で同時多発的に起きているというのなら……これはもう、偶然ではありませぬ。明らかに……力が弱まりつつある、そういうことかと」


 一般の人々が知らぬ、この島の最大の秘密。

 それはこの島の存在そのものが――大いなる神の力によってどうにか支えられているものであるということ。

 その力は一定の周期で弱まり、神の力が弱まることで多くの災厄を招くのだということを。


「前回の“儀式”から……五十年余り、ですわね。神の力は年々弱まりつつある……そういうことなのかしら」


 若き女王は深いため息をつき、そして。


「やるしかありませんのね。……タイムリミットが完全に切れる、その前に……クリスタルと、クリスタルに選ばれし英雄を見つけ出す。そうしなければわたくし達に、この国に未来などありませんわ」


 やはり、そうであったか。リカルドは悔しげに唇を噛み締めた。多くの民は知らない――知らないからこそ平穏無事で暮らしていけるのだ、この島で。

 そう、この戦争もなく平和に見える王国は、今までの何度も何度も滅亡の危機に晒されているのである。年々衰えつつある守護神ガーネットの力。その力が完全に枯渇した時、この島は崩壊し海の藻屑と化してしまうだろう。あるいは爆発するのか、天災にでも見舞われるのか。いずれにせよ自分達が生き延び、民を守る方法はひとつしかないのだ。

 それは、ガーネットの力を補強すること。

 ガーネットの力の源たるクリスタル――それを見つけ、それに選ばれし英雄を探し出すことなのだ。

 この国の中心に聳える古城。その地に眠る膨大な力を秘めたクリスタルは、選ばれし者でなければ触れることもできないのである。クリスタルを王都に運び込み、儀式を行わなければ神の力は復活させることができない。そして、そのクリスタルに唯一触れることができる者こそ、選ばれた冒険者――英雄と呼ばれる存在なのだ。


「今年の最終試験は……半年後です。待てますか」


 リカルドの言葉に、アナスタシアは首を振る。


「そのような猶予はありません。……事は一刻を争います。一日でも一秒でも早く……英雄の候補に相応しい者達を選び出さなければなりませんわ。力を貸してくれますわね?リカルド」

「御意……!」


 ついに、恐れていた時が来てしまった。ならばもう、自分も腹をくくるしかあるまい。リカルドは力強く最敬礼し、玉座を後にした。

 どんな手段を使ってでも、英雄を探し出さなければなるまい。

 だがそのやり方どうするか、となると――。


――仕方あるまい。荒療治だが……あれしかないな。


 暗い決意を固める男を。不気味な月と、微笑む女王だけが――じっと見つめていた。

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