カサンドラの溜息は長く、長く吐かれた。
もしや自分は地雷でも踏んだだろうか、とテリスは不安になってくる。元々表情の変化に乏しく、それでいて言いたいことはドストレートに言う質の彼女。明らかに、他の者達と壁を作っているのは見て取れていた。この学園に来るまでに何をしていたのか、イマイチ不明という点も含めて、である。
――竜騎士、向いてると思うんだけどな。つか、こいつの戦い方って完全にソッチ系だし。
竜騎士が希望なんじゃないか、と告げた途端黙り込んだカサンドラ。自分じゃなくても、彼女が竜騎士コースを選ぶのは必然と考えるだろう。平均的な身長と体格でありながら、高い跳躍力を持ち見目に反して腕力も高い彼女。魔法はそこまで得意ではないが、最低限自衛できる程度の上では持っている。というか、苦手というより好まないといった方が正しいのではないか。彼女の戦い方は、最前列に出てジャンプの一撃必殺を決めて瞬殺する、が王道パターンだったからである。あの戦い方を今後もしていくのなら、さほど魔法の腕は必要ないに違いない。最低限白魔法が使えればそれでいい、といった程度だろう。
そして、彼女のその戦い方は彼女自身の素質や趣向もあれど、どちらかというと――長年それが染み付いていた、ようなものに思えるのだ。彼女とは、中等部入学した頃からの付き合いではあるが。始めてカサンドラの戦闘訓練を見た時にはもう、今のスタイルが確立されていたように思えるのである。
学園に来る前に、既に多少なりの戦闘技能を備えた子供というのも実は皆無ではない。住んでいる地域によって治安は違うし、中には狩猟で食っていく民族も散見されるからだ。狩猟民族出身の者で一番志望者が多いのは狩人ジョブ選択者だが、中にはそれ以外のジョブのコースに回る者もいる。てっきり、カサンドラもそういう類なのではないかと思ったのだが。
「えっと……カッシー?……カサンドラさーん?」
あまりにもカサンドラの沈黙が長いので、ついつい恐る恐る声をかけてしまう。丁寧で物腰柔らかに見えるカサンドラが、怒ると恐ろしく怖い――否、怖いなんてものではない災厄に変貌することを、“親友”を自負するテリスは知っている。
「……そういえば」
やがて、彼女が言った言葉は。
「私……竜騎士志望って、貴方に言いましたっけ」
「へ?」
「確かに、自分に向いてるとは思ってましたけど。……そんなにわかりやすかったですかね……」
そこでやっと、テリスは納得する。どうやら彼女は、何で自分の志望先がバレたのかと真剣に考え込んでいてしまったらしい。
――つか、バレてないと思ってたんかい……。
基本的にツッコミ寄りのカサンドラだが、時折斜め方向に恐ろしいボケをかますこともあると知っている。そういう彼女の普段とのギャップを“かわいい”として、一部おかしなファンがついているということも。
「いや、バレバレだかんね?……だっておま、いっつも武器選択で槍ばっか選んでんじゃん……。あとジャンプ攻撃大好きっ子だし」
「あー……言われてみれば、そうかも」
「だろ?あと魔法の科目あんまり取ってないから、後衛職やる気ねえってのもわかってるよ。まあ後衛職選ぶんだとしても、狩人系ジョブなら必要ないっちゃないけどさ。お前なら出来るんじゃねえの、竜騎士。似合ってるし、いいと思うぜ。迷ってるって、何でだよ。今更他のスタイル確立する方がきっちー気がするんだけどよ」
ギリギリで志望コースを変える者がいないわけではないが――基本的に、中等部の間に多くの者は自分が最も得意な戦い方を見つけ、どのジョブを目指すのか確定しておくものである。何故なら、過酷な戦場を戦い抜く為の力の方向性は、一年や二年でそうそう決められるものではないからだ。人によっては生まれつき魔力が極端に少なくて魔導士系に向かない人物もいるし、鈍足ゆえ剣士や竜騎士と言った脚力を武器にする系統を諦める者もいる。何が向いていて向いていないか、中等部の三年間はそれをしっかり吟味するための期間といっても過言ではないのだ。
「わかっていますけどね。……竜騎士になるのに一番の課題が何なのか、貴方も知っているでしょう?」
はあ、とカサンドラは何度目になるかわからない溜息をつく。
「この世界の守護竜……そのいずれかに認められ、加護を受けることができなければ。正式な竜騎士の資格を得ることは叶わないんですよ?守護竜はかなり気まぐれと聞きますし……私みたいな者が本当にその力を得ることができるか不安です」
「おま……それイヤミか?槍術の科目で三年連続トップのヤツがそれ言うか?」
「身体能力と、竜の加護を受けられるかは別問題でしょう。いくら成績が良くたって、竜の機嫌を損ねたらどうにもならない。だから、そもそも竜騎士は志望者が少ないし、狭き門だと言われてるんじゃないですか」
彼女の言うことも間違ってはいない。竜騎士、というジョブの最大にして最後の関門は、この世界を守る守護竜の加護を受けることができるかどうか、なのだから。
自分達はこの学園の高等部を卒業する際、それぞれのジョブとして資格を得るに相応しいか最終試験を行うことになっている。竜騎士、という名前であるからしてドラゴンは当然無関係ではないというわけだ。竜騎士の強みはその高い脚力を生かした一撃必殺の槍攻撃。そして、竜の加護を得ることによるパワーアップと、守護竜を召喚する召喚魔法なのである。
この世界は、火・水・氷・雷・風・闇・光・地の八種類の守護竜の加護によって守られているとされている。呼び出せるのはその守護霊本体ではなく、いわば分身のようなものではあるが――その力を借りることのできるメリットは極めて大きいものなのだ。例えば、短距離ならばドラゴンに乗って空を飛ぶこともできるし、戦闘中ならばドラゴンの力を使って強力無比の召喚魔法攻撃を行うこともできる。どれほど高い技術を持つ魔導士であったとしても、ドラゴンを呼ぶ召喚魔法だけは使うことができない。それが出来るのは、竜騎士の資格を持った者だけなのだ。
よって、竜騎士志望者の最終試験は、そのドラゴンに認められる実力を示すこと、であるのだが。――その内容こそ極秘とされているものの、相当難関であるのは間違いないらしいのである。なんせ、竜騎士ジョブコースを無事にクリアして資格を得られる者は毎年ひと握りであり、加護を受けられずに学園を卒業できず、留年する羽目になった生徒も少なくないのだから。
竜騎士志望者が増えないのは、そういう事情もあってのことなのである。誰だって、最終試験で引っかかって留年し、年下と再度机を並べて勉強する羽目になるのはなかなかの屈辱である。
「この世界の為に、真に身を粉にして戦う誓いを立てた者にしか……守護竜は微笑まないと聞いています。もしそうなら、私はきっと……」
カサンドラの言葉が中途半端に止まった。なんだ、と思うより先に彼女は立ち上がり――つかつかと食堂のテーブルの間を縫うようにして歩いていく。
「お、おいどうしたカッシー?まだ御飯食べ終わってないだろ。何が……」
どうしたっていうんだ、と言いかけて――テリスは目を剥くことになった。
カサンドラがいきなり、食堂の隅に集まっていた数人の男のうち一人の尻を思い切り蹴り上げたからだ。
「いってえええ!!?」
蹴られた方はたまったもんじゃない。なんせ竜騎士志望者の蹴りである。高等部の学生らしい男は無様に吹っ飛んで椅子から転げ落ちた。そして呻きながらも、恐ろしい形相で自分を蹴った少女を睨む。
「テメエ!いきなり何しやがんだ!」
「申し訳ありませんね。どうにも、非常に面白い方々だと思ったもので」
「んだと!?」
慌てて追いかけたテリスは見た。面白い、と言いつつカサンドラの眼が全く笑っていないということに。
「高等部の先輩方とお見受けしますが。……よろしいのですか。このようなことをされては、試験の結果に大きく影響を及ぼすことになりかねないと思いますけど」
何のことだ、とテリスは思って気がついた。高等部の少年たちが取り囲む中心に、小柄な別の少年がうずくまっていたということに。その少年の髪と服は不自然に濡れている。滴っている茶色の液体と、少年の涙ぐんだ様子を見て合点がいった。どうやらこの学生たちは、小柄な少年にお茶をぶっかけたりなんたりして虐めていたらしい。――高校生にもなってなんつー幼稚な真似を、とテリスは呆れる他ない。
「学内での皆様の生活態度、全部記録されてるってご存知でした?冒険者は最終的に五人一組で動くのが基本。協調性がないと見なされた人間は最終試験で落とされることになるんですよねー。……さて、寄ってたかって一人を虐めていた貴方がた、その評価に傷がついていないといいのですけど」
「ぐっ……!そういうお前は……」
「先ほどはすみません。ついうっかり、“滑って転んだ拍子に”足が当たってしまったようで。……で、私がなんですか?あんまり怖い顔されると、私もうっかりパニックになってまた“転んで”皆さんに怪我をさせてしまうかもしれないのですけど」
自分より明らかに身体も大きく、年上の高等部の男たち相手にこの態度である。カサンドラの、見目に反して強いキック力はたった今証明されたばかり。そして、此処に通っている以上彼らも冒険者志望と見てまず間違いないだろう。――自分達の方が分が悪い、と判断してか、彼らは捨て台詞を吐いてそのまま立ち去っていった。すげえなあ、とテリスは思わず感心してしまう。
能力は高いが一匹狼、物腰は丁寧だが言う言葉はけっこうキツイ。見目は可愛いけれど下手に触れると大火傷必至なこの少女。それでもテリスが彼女を認め、友人でありたいと思う理由はまさにそこにあった。
カサンドラはけして、自分の信念を曲げたりしない。誰がダメと言おうが見て見ぬフリをするのが定石だろうが、くだらない悪事を働く者がいるとわかれば無言で行動に移して、赤の他人であろうと助けに行ってしまう。静かな面の下にある、非常に熱い心。
――だから俺、お前を尊敬するんだよなあ。
大丈夫ですか、とカサンドラはさっき男たちに向けていたそれよりずっと穏やかな声で、虐められていた少年にハンカチを差し出している。見たところ少年はシーフ系ジョブの希望者であるらしい。腰には何本もの短剣が、鞘に収まった状態で吊り下げられている。
テリスが白魔道士を志望した理由は先ほどカサンドラに言った通りだが。もしも彼女が白魔道士志望だったなら、自分は他のジョブを選んだんだろうなとは思っていた。簡単なことだ。同じジョブ同士の人間は、同じパーティに入ることが難しいからである。原則、パーティ五人のジョブがバラバラである方が望ましい。その方が臨機応変に様々な戦い方が出来るからだ。
――三年後。……お前と同じパーティに入れたらいいなあ。
テリスの最初の夢は、それだった。
そのためにはまず、平々凡々な自分の成績をどうにかする必要がある、というのは百も承知であったが。