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<第三話・始まりの始まり>

 一番最初のカサンドラ――カレン・ラストは。ある幻想世界の、小さな農村の娘として生を受けた。

 幼い頃の村はそれはそれは貧しく、人々はいつも王の課す重税に喘いでいたらしい。いつも同じようなボロきれを身に纏い、いつも売り物にならなかった虫食いだらけの作物やカブの葉などを食べて飢えを凌ぐような日々。すべては、当時の王様が贅沢三昧で、そのためだけに民の税を重くしていったことが原因だったのだそうだ。

 何故伝聞調なのかといえば、カレンには一番酷い生活をしていた頃の記憶が殆ど無いからである。全てが変わったのは、カレンがやっと物心つく頃。王族の血を引きながら、妾の子として辺境の地に追いやられていた少年が軍を率いて暴君を倒し、全てをひっくり返して見せたのである。

 王族でありながら身分を隠し、庶民と共に暮らしていた少年は。民の痛みも、王の重責も同じほどに理解していたのだった。新たな王となった少年の名こそ、クシル・フレイヤ。長く艶やかな黒髪と海のように深い蒼い眼を持つ、先代王に似ても似つかぬような――それはそれは美しい少年だったのである。

 彼は先代が放置していた土地の開拓を推し進め、税金を軽くして弱者を救済する制度を整備し、貴族と平民の地位の格差を限りなく小さくするための政治を行った。貴族達からの反発は大きかったが、同じだけ庶民達からは多く支持を受けるに至ったようだ。初めて民の心が分かる名君がこの国に生まれたのだと、多くの人々が若き王を祝福し讃えたのである。

 貧しかった村は少しずつ豊かになり、カレンが十三歳になる頃には見違えるほど裕福な町に生まれ変わっていた。一番悲惨な時期をよく覚えていないカレンさえ、今の王がどれほど偉大であるのかは言うまでもなくわかっている。いつしかカレンの夢は、王宮に上がり自分達の命の恩人である王に仕えることとなっていった。その世界では、女が軍人になることもさほど珍しくはなかったのである。

 生まれついて高かった身体能力を生かし、カレンは王直属の騎士団に入隊することができた。夢のような時間だったと言っていい。何故ならばクシルは、自分の身近に仕える者一人一人の顔と名前を覚え、家臣への労いを忘れることがなかったからである。騎士団に入ったことで、尊敬する王と直接話す機会も得られるようになり――それがどれほど幼いカレンに喜びを与えたのかは、言うまでもないことだろう。


『お前が新たに入隊した、カレン・ラストか。その年で竜と対話し、高く空を舞う技術を持つとは……素晴らしいことだ』


 言い忘れていたがこの騎士団に入るには、ただ身体能力が優れているだけでは駄目なのである。

 この国で言う騎士とは、竜騎士を示す。国の守り神たる伝説のドラゴンに認められ、その守護を許された者だけが竜騎士になることができ、王に仕えることを許されるのだ。

 新人の中でも一際幼く、自分に最も年が近いカレンに親近感を覚えたのか、クシルは積極的に話しかけてくれるようになったのだった。


『私はいずれ、この国の身分制度を完全になくそうと思っている。王政の完全撤廃と、貴族制度の撤廃。それが私の悲願だ。そんなものは夢幻だと皆笑うがな、やはり納得がいかないのだよ』


 クシルはカレンに、自らの夢を語ってくれた。

 口調こそ堅苦しく、一見クールにも見える彼が。自分の前では柔らかい笑顔を見せてくれることが何より嬉しく、カレンの毎日は日毎輝いていったのだ。


『人の命は皆同じ。命の重さに、軽い安いがあるのはおかしなことだろう?何故生まれた地位だけで人生の全てを決められなればならぬのか。私は、誰もが平等に、自由に生きることのできる世界が欲しいのだ』


 やがてカレンが十七歳、クシルが十九歳になる年――悲劇が起こった。

 王都外れの森に住み着いた、冷酷無比な魔女。

 魔女は若くて美しい青年ばかりを浚っては、次々慰みものにしてその肉を食らった。内臓をごっそり食われた若者の死体がごろごろと転がるようになり、これは捨て置けぬとクシルも騎士団を派遣し、魔女討伐に乗り出したのだが。

 魔女は強かった。それはもう――選ばれた精鋭、竜の加護を持つはずの騎士団、五万人の軍勢をあっという間に返り討ちにするほどに。

 魔女は告げた。私が最も欲するのは、お前達の若く美しい王だ、と。王を差し出すというのなら私はこの世界を去り、もう二度とこの地では殺戮をしないと誓ってやろう、と。


『絶対にいけません、王!』


 その頃には、カレンは騎士団長となっていた。ゆえに、クシルの側に着いていたがため討伐隊外され、命を落とさずに済んでいたのだが。

 クシルが護衛に残した兵は、千人にも満たない数だった。五万人の精鋭をあっさりと討ち滅ぼすほどの力を持った相手に、この人数で一体どうすれば太刀打ちできるというのだろう?被害を増やさない方法はもはやひとつしかない。魔女が約束を守ると信じて――王の身柄を引き渡す他、ない。


『いくら民を守るためとはいえ、貴方様を差し出すなど考えられませぬ!今の我々があるのは、豊かな国に生まれ変わったのは全てクシル様のご功績によるもの……!貴方様がいなくなってしまえば、我々はこれから…どのようにして歩んでいけば良いのですか!皆、道標を失って路頭に迷ってしまうことになりましょう……!!』


 わかっている。他に手段など無いことは。

 それでもカレンは全力で止めた。他の騎士団の仲間達も同様に。此処に集まった者達は全て、王の人徳に惚れ王に命を捧げると誓った者達ばかりだ。カレンのように、村も家族も全ての命が王によって救われ、その恩返しのために入隊した者も少ないのである。

 魔女の残酷さは、捨て置かれた数々の遺体の惨たらしさが物語っている。誰も彼も美しい青年達だった。しかし皆痩せ細り、五体満足で亡くなった者な一人もいなかった。誰も彼も地獄の苦痛の果てに、生きたまま魔女に食い尽くされたのである。それがどれほど恐ろしい結末か、聡明な王がわかっていないはずがあるまい。


『お前達の気持ちは嬉しい。……しかしな。民を導ける有能なリーダーは他にいても……魔女の眼鏡に叶った生贄は、私しかいないのだ。誰にも代わらせることなどできぬ、けして。私が行けば、皆が救われる。そうすればいかな責め苦を受けてこの命が絶えたとしても……私の魂は未来永劫生き続けることになるのだ』

『しかし……っ』

『この国を、未来を頼むぞ……カレン。お前達のように心優しく、忠義に満ちた部下を持てたこと……私は心より幸福に思う』


 そしてカレンが敬愛し、ひそかに想いを寄せていた名君は。クシル・フレイヤは――死んだ。

 他の若者達と同じように――あるいはもっと惨たらしく。生きたまま両手足を切り落とされ、内臓を食われて殺されたのである。捨てられていた王の骸を見た時のことを、カレンはけして忘れない。美しく聡明な王の面影は見る影もなくなっていた。長い黒髪と、片方だけ残った瞳が。彼が彼であると証明する、唯一のものに他ならなかった。


――私は……あの方の願いを、叶えることが出来なかった。


 クシルはきっと、カレンに次の王になってくれと託したつもりだったのだろう。だが、クシルが“自分の代わりは他にもいる”と言ったように――カレンも知っていたのである。自分の代わりになれる人間は他にも存在しているのだということを。

 カレンは一人魔女の城に討ち入り、そして果てた。恐ろしい魔女に指一本触れることもできず、魔女の微笑みを崩すことさえできないままに。


――必ず殺してやる。あの女を、どんなことがあっても殺してやる。私は、私からあの人を奪ったお前を……絶対に赦さない。私が死んでも、来世でもけして!!


 カレンが願った、復讐と希望。

 あの人の仇を討ちたい。そして、もしもまた生まれ変わることができるのなら次こそは、あの人を救いたい。あの人が大人になり、老人になり、幸福に生涯を終える手助けがしたい。

 呪いながら、願いながら。カレン・ラストの人生は終わった。そして。


――気がついた時私は……見知らぬ世界で、別人として生まれ変わっていたのだ。


 カレンは死んだ。

 しかしその魂は死ねなかった。それはカレンの強い意思が引き寄せた結果であったのか。それともカレン以外の何者かが、そう望んだがゆえであったのか。

 確かなことはひとつ。“カレン・ラスト”は生まれ変わり、“彦根神菜ひこねカンナ”として甦ったということ。そして、前世の記憶と人格をしっかりと継承していたといいうことだった。


――神菜になった私は最初……これは、チャンスだと思った。あの人を救えるチャンスを、神が与えてくれたのだと。


 だが、次第に疑問を持つようになる。確かにクシルの生まれ変わりとされる人物に出会うことはできた。彼は容姿が殆ど変わっていなかったのもあるし、不思議なことに一目見ればすぐ“彼が戻ってきた”のだと神菜には理解することができたからだ。高校生になった時に出会った彼は、同級生の男の子になっていた。再び出会えた、今度こそ彼を助けることができる――そんな神菜の喜びは、即座に打ち砕かれることになる。

 彼の両親が莫大な借金苦に、無理心中を図ったのだ。

 その世界での彼の名前は優介。彼は親に刺し殺され、家には火が放たれた。後には無惨に焼け焦げた、彼と家族の遺体しか残らなかったのである。

 失意のまま神菜は生き、遅れて十数年の後病気で死ぬことになる。そして、息つく暇もなく待っていたのは三度目の人生だったのだ。


――私はただ、あの人を救いたかっただけ。そしてあの人を無惨に“殺す”モノの本当の正体を突き止め……真実を知りたかった。それだけなのに。


 何度転生しても、自分はあの人を救えない。

 時にカサンドラは男になることもあったし、あの人が女として生まれてくる世界もあった。お互いが同性になることも少なくはない。性別がひっくり返った状態で相思相愛になった前回のような例もある。

 ただ、どの世界でも――絶対のルールは、覆らない。

 ひとつ、クシルとは必ず彼が死ぬ前に巡り会う。

 ふたつ、クシルは必ず二十歳になる前に死ぬ。

 みっつ、クシルはカサンドラのように、前世の記憶を継承することができない――。


――どうしてこんなことになったのか。私は何故、無限の時を転生し続けなければならないのか。あの人は何故殺されなければならないのか。このすべては一体……誰の意思なのか。


 何一つわからないまま、カサンドラは転生し続けている。いつか、あの人を救える時が来ると信じて――あるいは縋って。

 狂いそうなほどの悲劇の連鎖の中で、それでもカサンドラが正気を保っている理由はひとつだ。愛するあの人を、側で守り続けること。あの人を運命の牢獄から救い出すこと。それが自分の存在理由であり、生きている意味だと確信しているからである。


――世界は優しくなんか無い。想い一つで、変わる世界などない。


 今、カサンドラは王国“ガーネット”にいる。

 そして一人の学生として、冒険者になるべく鍛練を積んでいる。

 再び巡り会うはずの、愛する人を探しながら。


――それでも、世界を変えるものがあるとしたらそれは……抗い続ける、人の意思だ。


 転生者、カサンドラは戦い続ける。

 あの人の無惨な結末と言う、許しがたい運命に風穴を開ける、そのために。

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